見出し画像

子連れ移住で難しいと感じたこと(我が家の場合)

うちの子は元気者で年の割にしっかりしていて気遣いの人だ。
その分繊細で、ふとした時に疲れがどっと出てしまう傾向にある。
小さい頃にはなかった、小学校三年生位から見えてきた新しい一面だ。

移住して新しい学校に行き始めたのだが、最初の一週間はとても疲れたそうだ。
学校の雰囲気や時間割の違い、友達作りの緊張感、転校生としての周りからの視線、登校時間の長さetc‥。
全て真新しい事で、この小さい体で受け止めるのは大変だったのだろうと思う。
そして二週目の今現在、私の横で布団を被り丸くなって寝ている朝の9時。
平穏を装っている私の頭の中は
このまま学校に行けなかったらどうしようー!
不登校‥オンラインスクールってあったよなぁ
私の伝え方が上手くないからかな‥
等々、自分に対しての反省と今後の動きを想定して色々考えている。
ビシバシとお尻をペンペンしてでも着替えさせ、引っ張ってでも学校に行かせるべきなのかとも思う。
実際引っ張って学校まで連れて行き、校門の前で泣き叫んで抵抗している学生を見たことがあるのだが、あれは胸が締めけられる思いがする。

実は私も小学校に行けない時期があった。
どれ位の日数かは忘れたが、同級生のちょっとした言葉が原因で学校に行くのが嫌になり、毎日毎日泣き叫んではトイレに鍵を掛け何時間も篭っていた。
あの時の我が家のトイレは俗にいうボットン便所だったので、そこに立て篭もるとは我ながら相当な気持ちの表れだったと思う。
今は絶対できない。
母は毎日怒りトイレのドアを叩いていた。先生も家に来てくれてが頑なに行かなかった。

ある時母が私を車に乗せドライブをした後、学校に横付けして校門やグラウンドを眺めながらぼーっと過ごした事をなぜだか今もよく覚えている。
その頃の母は工場でパート勤めをしており、この日も出勤日だったはずだ。
会社に頭を下げて休みをもらい、プリプリと腹を立てている我が子をなだめながら車に乗せ、運転をしながら母は何を考えていたのだろうか。
自分が現在同じ立場になった今、「あの時どう思っていたの?」と聞いてみたかったが、去年に母は亡くなっておりそれができなくなった。
あー。聞いとけばよかったなぁ。

まさか我が子も素質があったとは。私に似ちゃったのかなぁと寝ている我が子を眺めながら考える。
行きたくないときの気持ちはとてもよくわかる。何故なら私は登校拒否の先輩だから。行きたくないと思ったら頑なに行きたくないのだ!これは譲れない。
でもふとしたきっかけでその気持ちがスッとなくなり「行ってみようかな」と身体が動き出す瞬間も知ってる。
その時がくればいいな。




いいなと思ったら応援しよう!