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遠距離介護我が家のはじまり③
翌日、少し早めに家を出る事にする。
今回の帰省で絶対にやらなければならないと決めていた事。
『介護申請』
役所に行ってそのための手続きを済ませる事がまず私がやるべき最重要ミッションと思っていた。
両親の介護保険証を窓口に持参しサクサクッと申し込みが完了。
はじめこそ父はまだそんなの必要ないでしょと言っていたけどこの時の判断が間違っていなかったと後々大きな実感を得る。
前日の夜まで母はまた一緒に父を迎えに行くと言ってたがその時点で
「明日の朝になったら絶対しんどいっていうの目に見えてるから明日は留守番してな」と言い案の定朝には
「やっぱり留守番するわ。あんたが言った通りもう流石に今日は無理だわ」となった。
おかげで私は昨日の溜まったストレスを朝マックという手軽な方法で解消することができた(笑
父の退院の時間がわからなかったがそのうち家に電話をして知らせてくるだろうしそれを母が私の携帯に伝えるだろうと思い適当に午前中に着けるように出発。
予想通り病院の最寄りに着いた頃に母から連絡が来た。
病院に着き待ち合わせたところに向かうとすでに父がいた。
内視鏡検査が一番喉をガリガリ引っかかれるみたいできつかったとかその影響で血液混じりの痰が出るからしばらく様子を見なきゃいけないこととかを話しその後担当医の説明を聞く。
残念ながら肺がんのステージⅢ。
ステージⅢと言ってももうほぼⅣに近い。
そしてリンパや同じ片肺の中で転移もある。
覚悟はしていたけどやはり宣告されるときつい。
父は今回受診する前から治療方針は決めていた。
70代後半ということから手術も抗がん剤も放射線も多分無理と言われていたのもあるけど本人もあえて無理してでもやろうとは思わず静かにガンと共に残された日をできるだけ穏やかに過ごしたいと緩和医療を選択。
私もそれが一番いいと思った。
一人っ子で小学生の頃から母に言われていたのもあるから受け入れることはすんなり出来ていた。
「お母さんがもう長く生きられないってわかった時は延命治療はしないでね。痛いのや苦しいのは嫌だからそれを取る注射とかは良いけど人工呼吸器とか辛い治療はしないでね」
そんな事を何度も聞いて育ってきたから父も同じ選択をした事は何も驚く事はなかった。
むしろ先生の方が私や父の様子を見て少しびっくりした顔をしていた。
それから今後の予定や次からは緩和医療の先生に会う事も説明される。
一通りの手続きも終わるとすでに昼過ぎ。
お腹も空いていたのでコンビニでおにぎりとかを買ってささっと食べたら帰宅する事に。
やはり慣れない場所にいるだけで疲れるようで早く帰ると言う。
家に帰る前に電話で母にも報告はしてあったが着いてからもその日はずっと今後どうしていくかについて話した。
まずは近いうちに介護認定の調査の人が来る事を伝え要介護か要支援かはさらに1ヶ月後ぐらいにわかると。
右も左も分からない介護の事、30年前に祖母(母の母)の介護を母は叔母とやっていたがあの頃とはまた随分制度なども変わっているだろうし当時介護でかなり疲れてあの頃のことはほとんど覚えてないと言う。
とにかく私の周りには医療関係の友達やいとこもすでに介護がスタートしていたり他の友達も介護経験者が多く有益な情報をこっちが聞く前にたくさん教えてくれる。
そんな事から介護の準備をケアマネさんも少し驚くぐらいのスピードで着手する事にし自宅へと帰って行った。