遠距離介護日記我が家のはじまり①
私は千葉県出身で現在は北海道在住。
一人っ子なのでいずれは親の介護をする事になるのは覚悟の上でしたが北海道から関東に戻るという考えは一切なし。
夏の暑さが1番苦手でもう北海道以外には住めない。
親は親で冬の寒い北海道なんて無理の一点張り。
そんなわけで2024年の1月、それは突然やってきた。
遠距離介護の始まり。
きっかけは父の肺がん。
前年の12月いつものかかりつけで健康診断をやりレトゲンを見たら怪しい影が。
腫瘍マーカーもやってみたら残念ながらしっかり数値が出てしまいかかりつけから紹介状を書いてもらい大きな病院で精密検査をすることに。
そして私は召喚された。
70代後半で基本的には健康で病気は多少の高血圧と軽めの糖尿病程度の父と若い頃から糖尿病を患ってる常に体調不良を訴える70代前半の母。
すでに一筋縄では行かないのは想像してたのでまずは今後どういう経緯を辿ることになるかを考え準備を始める。
最初に紹介状を持って行く時は父1人で電車に乗って行ったけど私が召喚されたのは検査入院をするタイミング。
母もそれは不安そうな声で電話をかけてきて私に説明する。
父は耳が遠いので電話で話すのは少し難しくだいたい連絡事項はメールでやりとりしていた。
日頃から毎年実家に帰るような孝行娘ではなかったしけして経済的に楽ではない我が家なのですんなり行くと言ってもらえると思ってなかったようだけどそれは流石に行くに決まってる!
父の一大事だから!!
父は若い頃から丈夫でとにかく滅多に風邪もひかないタイプで当然入院もしたことがなかった。
せいぜい虫歯とかで歯医者に行った程度。
大学時代ラガーマンで捻挫や打撲は怪我のうちに入らないと小学生の娘にも唾つけときゃ治るというような乱暴な事を当たり前のように言っていた。
70歳過ぎてもその感覚なので母が足首を捻って捻挫をしたかと思った時も長いこと痛がっていたらしいのにそういう扱いで病院に行こうとも言わず2人でそのまま放置したが帰省した時私がその足を見たら目を疑うほどに曲がってしまっていたのにショックを受けた。
糖尿病から足の親指を切断もしてる母なので足のバランスも悪く歳のせいもあり骨粗鬆症気味だと思うからほぼ骨折していたんじゃないかと思った。
流石に20代の頃の感覚でいるなと父にも怒った。
そんな父が1泊2日とはいえ検査入院となったら不安にもなる。
最初は検査入院のことを母は言ってなかったので2泊3日の予定でLCCのチケットを手配したが後から父が1泊入院すると言うから慌てて帰る日を変更した。
変更できない安いチケットだっただけにドブに捨てることになったのは悔しい(泣
それでも交通費は出すと言ってくれてるのでありがたい。
とはいえこちらとしても高い料金を出させたくないので若干一か八かな場面にも出くわすLCCに頼らざるを得ない。
飛行機代の値段は遠距離介護をするには大きなネックになる。
大きな航空会社の料金も当然チェックしたけど1/4の価格で行けたりもするので基本的にはLCC一択、時期的に難しい時は高い航空券もやむなしと腹は括る。
まだその頃の父は自覚症状もなくちょっと咳が多いけどタバコをやめてないからだろうなという程度だった。
流石にレントゲンで影を見つけた日からスパッとやめて私が行った時には咳もそれほど出なくなっていた。
帰省して翌日、早速家族3人で病院へ。
検査の為あちこち行ったり待たされたり、糖尿病で1日に何度もインスリンを打つ母は精神的な不安もあるのか低血糖を何度も起こしそうになりその度に補食を自分で補っていた。
正直足の悪い母は連れていくのはかわいそうだと思ったし次の日に父を迎えにいく時は母には留守番してもらおうとその時点で思った。