あなたが、ここに生きていたことを私は忘れません。
今日は、高橋さんと作業するか。今年、90歳になるので、任せきりではできない。
いつも、集落の水道の手入れを依頼しているおじいさんだ。
わたしがここに、赴任していらい5年間のお付き合いだ。
朝、9時に水道の取り入れ口に着いたら、もう現場で作業していた。
10時には、落ち葉掃除も終わり、一息をついた。
「ワシわな、中学しかでとらん。中学出て、近くの土建屋さんで働いて、免許もなくて、重いもの運んだり、スコップで土を掘ったりと、情けなかった。
でもね。社長さんが、気に入ってくれて、いつもご飯を誘ってくれとった。
そして、結婚して、子供ができて、子供が3歳くらいのとき、いつまでも、土建屋さんで、汚れる仕事しとったら、この子が学校で、かわいそうやな。と思って、社長さんに、辞めたいと伝えた。
社長が、事務でもいいし、好きなことやらせたるでと、何度も引き留められたが、ワシは、近鉄バスの運転手に転職したんや。
給料は、半分くらいになったけど、なんとか生活してきたんや。
学校でとらんで、しょうがないけど、子供が大学出てくれたで、嬉しかったな。
なかなか、子供が間に合わんけど、頼むな。
北野さんが、辞めてくれっていうまで、この仕事やらせてもらうわ。
僕は、ちょっと小便したいで、と言いその場を離れた。
僕は、涙が止まらなかった。
10月には、高橋さんは90歳になった。
水道の取水口は、山の麓の堰堤に入る谷水を利用しているため、その取り入れ口は、豪雨や台風時に枯葉がつまるので、途中まで、車で行きあとは、細い道を歩かなければならない。
いろいろ考えたが、誕生月の10月にご自宅を訪問した。
「お世話になります。
実は、高橋さん、まだまだ、お元気なんですけど、来年の3月で水道の世話は、卒業にしてもらえんでしょうか。」
「ありがとう。北野さん。やっと、来てくれたか。
実はな、まだまだできるんやけど、妻が、うるさくてな。一人で、行くのは心配やてというんや。」
こうして、何度も、私も頭を下げて、僕は、来年度に心を切り替えた。
ただ、高橋さんの仕事は、僕はちゃんと記録し、少なくとも、僕が死ぬまで、決して忘れることはないだろう。