カート・ローゼンウィンケルはギター界の村上春樹
ジャズがブルージャイアントのおかげで流行りつつありますが、ジャズギターはロックギタリストからすると難解だったりします。マイナーペンタ以外も多用するし、そもそもコード進行が難しすぎる。だが、それでも聞き馴染みが良いのがジャズの不思議です。ただ難解なだけではなく、リラックスさせられるような音楽。私は、カート・ローゼンウィンケルがそのようなアーティストの筆頭だと思っています。
カートは現代ジャズギターの皇帝と呼ばれる人物で、レジェンド的な存在です。そのカートが来日するということで、今回はコットンクラブに聴きに行きました。カートの作品の中で最も有名なアルバムであろう、The next stepを当時のメンバーで演奏するというコンセプトのライブです。私はUse of lightやZhivagoを聴いてカートのファンになったので、これは行くしかない!と思いました。
まず現れたカートは、アー写に比べてでっぷりと太っていました。皇帝の貫禄です。表情はにこやかで、近所にいる大物のおじさん、といった雰囲気でした。演奏に関しては、派手なテクニックはないものの、どこか自由さを感じさせる素晴らしいものでした。聴いているこちらが清々しくなるような演奏です。しかし、何をしているかはわからない。単純なことはしないのに、単純に見えるという不思議な演奏でした。
その感覚は、村上春樹を読んでいるときに似ています。村上春樹は文体こそ読みやすいですが、その内容は深く、能動的に読書をしないと真の価値は理解できません。しかし、仮に受動的に、つまり考察や理解に頭を使わなくても、読後はなんとなく清々しいものです。おそらく世界中で村上春樹が親しまれている理由は、この清々しさにあるのでしょう。
カートと村上春樹の共通点は、「自然さ」にあるのではないでしょうか。自身の井戸から、自然に汲み上げるように作品を作り、ソロを演奏する。それが清々しい。現代のポップスは自然ではなく、いわば人工的に型に嵌め込んだ作品が多く見受けられます。確かに盛り上がりやすいし、熱くはなるのですが、そこに生まれる清々しさはあくまで肉体的なものです。精神的に清々しくなれる音楽を聴きたいなら、カートの音楽は最適と言えるでしょう。
精神的な清々しさを言語化したいですが、これは難しい課題です。人によって違う可能性もありますし、そもそも聴く人の精神状態も影響するでしょう。しかし、映画にも、文学にも、音楽にも、同じ清々しさを引き起こす存在がいることは、何か普遍的な、本質的な感覚なのかもしれません。今後も同様のアーティストを探して、その共通項を抽出していきます。