失恋を超えて相手を想えー男ではなく人として生きる
※この記事は、かなり昔に書きました。そのあと色々考えて、公開することを考えているうちに時間が経ってしまいました。一部、時間の表現がありますが、だいぶ前だと思ってください。
この前の記事で、自分に心を乱す存在の人が現れたことを書いた。正直書くことが恥ずかしかったのだが、要は好きな人がいるということだ。そして、恋愛を禁止しているから、にっちもさっちもいかないということを書いた。
その子(今後はKと書く)は、昨日僕に別に好きな人がいることを相談してきた。僕の親友だ。彼女は、就活とか卒論とか色んな悩みを持っていて、それを自分に相談してくれていた。どうやって生きればいいのかいいのか見たいな悩みを抱えていたから、色んな人に会うことがKにとって良いのではないかと思い、自分の親友を紹介した。
そうしたら、彼に恋をした。親友とは長い関係だから、人としても男としても魅力的な人間であることは深く知っている。そして、それにKが魅かれることは何もおかしくないし、正しい感覚だ。親友は、僕よりも魅力的なことは知っている。
そこで、この状況における私の心理状態について記述したい。
希望と絶望のマリアージュ
正直、ホッとしている。僕はKのことが2021年の初夏頃から好きだった。知り合ったのは、2020年の冬。授業を通して知り合った。去年の夏頃から、彼女は就活やらなにやらで、精神的に限界状態に陥り、半年ほど連絡が取れなくなった。自分はKがそうなった時にできることがなくて、そんな自分のこれまでのありかたを後悔し、人に優しくするとは何かついて本気で考えた。
今年に入ってから、彼女の方から、相談をしたいことがあるからと電話してくれることが増えた。そこから、関係がもとに戻ったように思った。自分としてKの近くで、ちょっとでも力になれていることが嬉しかった。それは今でも。
人として関係が深まっていることに喜びを感じている。
就活で、彼女の力になれた
自分が紹介した親友に恋をする。
人として深い関係を持っている
こんな事実だけでお腹一杯だ。
ここから欲望の話。
自分としては、ここから別の方向性で別の深い関係を築きたかった。恋愛はしないと禁じているけど、恋愛をしたかった。自分の中の誓いを守ることができたことにホッとしているけど、無性な喪失感を感じている。もちろん、仮に親友と付き合うことになるとして、自分はこれを応援し、その関係を喜ぶことが必要だ。辛くないと言えば、嘘になるが人を愛するということは、これを心の底から喜ぶことなんだ。
それに、Kと人間関係が終わったわけではない。親友と付き合うがどんな関係になろうが、それはKと親友の人間関係で、僕との関係ではない。これから、人としての関係を深める方向性、今まで通りの努力をしていけばよい。これは恋愛とか云々いう前に、人間関係の基礎だ。
私のいるところ
いつも自分の存在していい場所を探している気がする。家族関係が崩壊してからいつも自分がいていい場所を探している。見て見ぬふりをしている虚無感にたまに心を奪われる。いつも自分は根なし草で、放浪して、自分がここにいていいんだと思える場所をみつけられない。
自分という存在が、誰かの居場所になりたいと思える。強い虚無感。これに一緒に向き合うことができるパートナーが自分には必要だ。