大切なモノは失ってから気が付く-ポーランドで日常を想う
こんにちは、久しぶりの投稿です。唐突ですが、今ポーランドのワルシャワにいます。ワルシャワ大学に留学しています。
「えっ⁉、大学はあと少しだからnote始めてたんじゃないの???」と読者の中には思う人も。最後の投稿をしてから偶然が重なり、ポーランドのワルシャワ大学に1年間の交換留学をする機会を得ました。「こんなチャンス二度とない‼」と思って、何もかも(4年での卒業とか内定とか)を捨てて、ポーランドに来ました。
今回は、ドタバタ準備の中で考えたことを書こうと思っています。白状するとタイトルだけ作って、何を書こうと思っていたのか不明の状態で書いています。今、改めて考えながら書こうと思っています。
「日常」についてーポーランドで人の温かさに気づく
人生は後悔の連続。「あの時、ああしなければ」「この時こうしておけば」そんなことばかり。
留学に行くとき、友達に送っていただきました。直前には一人暮らしの部屋の片づけをみんなに手伝っていただきました。自分は改めて多くの人に支えられているんだと強く感じました。空港に送りに来てくれた大学の親友には別れ際に「正直、なんというか寂しいね」と言われて、泣きそうになりました。書きながら思い出して泣きそうです(執筆時は、到着してから、約1週間。ドタバタで新しい生活に適応することで精一杯でした)。落ち着いて、考えると寂しいです。
皆と学生として、過ごした時間が止まってしまうことは悲しい。あと半年でも、深夜まで色んなことを語り合うような時間を一緒に過ごしたかった。
でも、いやだからこそ、今を頑張ろうと思える。頑張らないと。
※この記事は、最初は「後悔と自己肯定」というタイトルで書く予定でした。しかし、人間関係に書いた時に、感情があふれ出てテーマをかえました。
いま、執筆はポーランドにて。ふと、日本での友達との日常を思い出し、ちょっとというかかなり寂しくなりました。当たり前って、実はすごいこと。人がいて、時間を共にする。深夜まで酒を飲みながら他愛ない話をする。そんな時を過ごした人との出会いは偶然の積み重ねで、運命的なこと。こんな日常の大切さと貴重さをポーランドに来て気が付きました。
いや、日本の友達に感謝だよなあ
でも、ポーランドに人がいないわけではない!
こんな日常をポーランドで作りたい。帰る時にふと風のようにいなくなるけど、思い出してさみしくなるような日常を作る。そんな日常が世界中にできたら素敵だよな。それに、それの大切さをかみしめながら旅立てる人間になりたい。
日常のありがたさー失敗は繰り返す??
家族の解散を経験した自分。一緒にご飯を食べていた毎日、離婚でそんな家族団らんの時間を失った自分。その時に、家族との当たり前の日常も当たり前でないはない尊い時間であったことを学んだはず。日常は当たり前で「常」にあるものだけど、なくなる時は案外一瞬で、気が付けばなくなっている。そして、また新しい日常が始まっている。だからこそ、日常の一日一日を大切にしないといけない。
家族が解散した代わりに、それ以外の友達関係が人間関係の財産のほとんどになった自分。人間関係を作る努力をして、手にした新しい日常。それへの感謝を十分に伝えることができずにポーランドに来てしまった気がする。結構な後悔だよね。
だから、ポーランドの日常は大切にしたい。まだ新しい日常と言える何かを手にしたわけではないけれど、これをかみしめながら日常を作っていきたい。全く違う人たちとニューノーマルな生活。きっとこの日常はよくも悪くも一生残る。
日常はどんどん変化していく。一つ一つの日常との出会いを大切にしていくんだ。そして背後の偶然(でも必然??)みたいなものに感謝する。そうすれば、それがなくったとき、自分がそこを離れるときに後悔をしないから。
そんな素敵な日常との出会いを大切に、自分。