マラッカの少年007

旅先の出会いで、心に残るひとは居ますか?
わたしは居ます。ジェームスです。


ジェームスはイギリスから家族ぐるみでマラッカに遊びに来ていた男の子で、たぶん7、8歳くらいだった。

わたしはそのとき大学生の長い夏休みに、弟とクアラルンプールで待ち合わせてマレーシア&シンガポールを旅していた。マラッカにある長期滞在向けの安宿にチェックインしたところで出会ったのがジェームス一家だった、というわけ。

このとき確実にジェームスの親とも挨拶してるはずなんだけど、なぜか全然記憶にない。英会話は弟のほうが得意なので、洗練されたオトナのやりとりは弟にパスしてしまったのかもしれない。

わたしとジェームスは、ひと目ですっかり仲良くなった。わたしは昔からなぜか子どもに好かれる。たぶんわたしの精神レベルが異様に幼いんだと思う。それだけでなく、英語レベルもお子さま級で難しいことは話せないから、ジェームスと一緒に映画を観たり取っ組み合って遊んだりするのがわたしにはちょうどよかった。

昼は観光でいろいろ歩いて、夜帰ってきてジェームスと遊ぶのがルーティンになった。楽しかった。

宿の共有スペースにはテレビとディスク再生機があって、往年の名作DVDが揃っていた(当然全て英語)。ジェームスのお気に入りは自分と同じ名前の「007」シリーズ。映画を観ながら「彼は不死身のエージェント! めちゃ強くてカッコイイんだ!」と興奮気味に言うジェームスに、「その名も?」と私が合いの手を入れると、ドヤ顔のジェームスが「彼の名は…ジェーーームス!」っていう小芝居が定型になった。

そんなかんじに遊んでたら、宿のオーナーに「ユー、カム、シットヒア」ってソファに呼ばれてしみじみ説諭された。英語なので詳しく覚えてないけどこんな内容だった。

「ユーはちょっと幼いからいろいろ気をつけなさいよ。ここは日本じゃないよ。男は怖いよ。ユーはいくつ? ハイスクールくらい? 兄さんのいうことをよく聞いて、危ない目に遭わないように」

しみじみと。宿のオーナーのマレー系のおじさんは、娘を諭すかのように言ったのでした。

いやあの、アレは、兄ではなく弟なんだけど。そしてそんときわたし、ハタチもだいぶ過ぎてたんだけど。ジェームスと遊び転げる以外なにもやらかしてないはずなんだけど。なにかやらかしてたのかな…怖いな…もう覚えてない…(でも今考えると、おぼつかない英語で小学生男子と転げ回って遊んでる女は確かにちょっと心配になるかもしれない)。。

で、最後にジェームスに会ったのは、マラッカの中国人墓地(ブキッチナ。中国本土以外の中国人墓地としては最大)の丘に登って暑気あたりになった日だった。帰りのバスに酔って、体調最悪で夜も更けてから宿に帰ると、ジェームスが「ヘイ!」と駆け寄ってきた。私の帰りを待ち構えてたらしい。申し訳なかったけどあまりにも体調が悪くて「ごめんちょっと今遊べない。休む」とだけ言って部屋に戻った。

ら、翌朝ジェームス一家は旅立ってた。それでおしまい。最後のお別れも言えなかったし、連絡先も交換できなかったし、部屋へ戻る私を見送るジェームスの悲しそうな顔がいまだに忘れられない(弟には「可哀想なジェームス…」と嫌味を言われ続けた)(うるせえ)


たぶんもういい大人になってるし、結婚して子どもいてもおかしくない…みたいな年齢になってるはずだけど、元気かなジェームス。今でも『ロシアより愛を込めて』の列車のアクションシーンをくりかえし観てるかな。あのときはごめんよ。


今回のみどころ

マラッカの中国人墓地、ブキッチナは、もと中国のお姫様がマラッカの王に嫁いできたときに与えられた居住区。小高い丘になっており見晴らしが良いが、ひとがすくないため、女性の独り歩きは絶対にやめたほうが良い。また、車がないと厳しく、飲み物などを買うポイントも少ないためきちんと計画してから行こう。わたし(熱中症)みたいになるよ。

なお、マラッカには日本人墓もある。ここに限らず東南アジアはいろんな時代にいろんな日本人が進出している地域であり、太平洋戦争でもずいぶん侵略して周っていたということは、またどこかで書くかもしれない。

ついでのオススメ読書 『マレー蘭印紀行』。戦前の南洋旅エッセイ。からゆきさんの描写もリアル。



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