「南風の頃に」第三部 5 全道大会(前編)
祖父の葬儀を終え、一週間ぶりに学校に行くと、早くも学校祭の準備を始めている学級が増えていた。まだ一月ほどあるのに学級ごとの企画が生徒会本部から伝えられ、それぞれの学級では準備段階に入っていた。僕の学級では「やりたがり部」とか「あそ部」と自らを称する10名ほどが中心になって全員参加の楽しいことを考えているらしい。
僕はそういうことにはあまり乗っていけない性格なので、去年と同じように誰かの喜んでいる姿を見ているだけの学校祭になりそうだ。そう思っていると、武部が有志でステージに出ようと言い出した。武部とはクラスが離れたので去年のように一緒に動くことはないだろうと思っていたのだが、超社交性を持ち合わせている武部は何をやっても見栄えのする男なのでこういうめだつことは得意分野なのだ。
全道大会があるからできないという僕を何とか説き伏せようとしつこく言い寄る武部は、祖父の死で落ち込んでいるだろう僕を盛り上げてやろうとする目的があったようだ。そのためもあってか、武部と同じクラスになった陸上部の樋渡や野田タクを巻き込んでの誘いになっていた。この三人は去年から合唱部の「助っ人」としてコンクールの時だけバスとテナーの一員で参加しているやりたがり、目立ちたがりの三人だった。
「あのな、ステージの枠当たったからさ『アカペラカルテット』ということでさ15分発表できることになったんだよ。三曲やることにしたから、ケンジは当然バスパートな」
「嫌だって、そんなのできっこないでしょ!」
「なんでさ、お前の声なんかバス以外にあり得ないでしょうに」
「そうじゃなくて、そんなのやりたくないって」
「まーた、ノダケンが出ないと盛り上がらなくてみんな面白くないでだろう!」
樋渡も本気で言っている。
「そうだよ、お前が出たらみんな喜ぶぞ! 陸上部の一年生部員に絶大な人気あるからね、お前」
野田タクは去年もステージで「オタ芸?」やらを激しく踊っていたくらいで、本当に目立ちたがりなのだ。
「いやー、最近さー、ノダケンファンが二年生たちの中で増えててさ、もちろん女の子だよ。俺なんかクラスなでさ、お前のことばっかり聞かれるんだよね。俺のことも聞けよって、いっつも思いながらよ、ちょっと盛って答えてっけどね」
樋渡は結構おしゃべりな奴で、その後も意味不明なことを話して野田タクと一緒によくわからない笑いをしている。武部もこの二人と同じクラスになったので暇じゃなくなったことだろう。
僕は強烈なNOを突き付けてやったのに誰も納得しなかった。もう人数と名前を生徒会執行部に届けてしまったからという「違法な」論法で乗り切られてしまったのだ。困った。
そんな学校祭の話を重荷に感じながら、学校での陸上部の練習も十日程の準備時間しかないまま全道大会に向かうことになってしまった。
今年の北海道大会は函館千代台競技場で行われる。この競技場は、第二次世界大戦前に野球の函館オーシャン球団で活躍した伝説的な名捕手、久慈次郎ゆかりのオーシャンスタジアムに隣接していた。久慈次郎さんは旭川にあるスタルヒン球場の名前のもとになったビクトルスタルヒンや、これも伝説の名投手である沢村栄治の投球を受けた日本のプロ野球黎明期の捕手としてとても有名な人だ。中学の時の野球部監督だった大谷先生は、自分も同じ社会人野球の捕手経験者として、久慈次郎さんを目指すべき見本として話すことが何度もあった。
北海道にもこのように歴史に名前を残すスポーツ選手は少なくない。陸上で言えばもちろん南部忠平さんだ。彼は世界の一流アスリートとしてオリンピックでも活躍していたし、当時の世界記録となる7m98㎝の幅跳びの記録を樹立した人なのだ。南部忠平さんは北海中学の出身だ。スキーやスケートなど冬季競技の選手だけでなく野球でも陸上でも北海道からだって全国的な選手にも、世界的な選手にもなれる可能性は確かにあるのだ。
札幌にやって来て高校生活の一年余りで、南部忠平さんの記念ポールがある円山競技場で陸上デビューをし、スタルヒンさんの旭川では花咲競技場での全道大会に出場した。そこでは姉と母に会うという思いもしないことが起こった。そして祖父の亡くなったすぐ後に行われるこの全道大会では、久慈次郎さんの像を目にして試合に臨むことになった。北海道を代表する大きな三つの都市は、それぞれにスポーツに関していろいろな物語を持った人たちの「聖地」でもあったのだ。
函館千代台競技場は二種認定の競技場なのでサブトラックは設置されていない。その代わりメインスタンドは三階建てで立派な外観を呈している。第二コーナーからバックスタンド側は盛り土の芝生席になっているが第三コーナーからは二階建ての観客席が設置されているので、中に入ってみるとかなり大きなスタジアムに感じた。
さすがに北海道大会となると札幌地区大会とは違い、第一日目から大勢の観客がやって来ていた。6月末の函館は夏を感じさせる天候で初日は快晴の中で競技が開始された。
祖父の葬儀の関係で一週間練習から遠ざかった結果は僕の体に如実に現れた。札幌市の大会から定期試験をはさんで祖父の葬儀関係と合わせると二週間ほどの練習ができない期間があった。このブランクは自分が思っている以上にパフォーマンスの低下につながってしまった。札幌市大会の時に比べて思うように自分の体をコントロールできない状態だったのだ。コンディショニングということに今まで全く気を使ってこなかったが、その大切さが身にしみてわかることになった。
四日間日程の一日目最初の種目は八種競技の100mだ。大会開始のトップにスタートすることになった。この日は途中に400mリレーの予選が挟まっている。砲丸投げと400mとの間。ちょうど一時間ごとに組み込まれていた。混成競技とリレーの組み合わせは去年の札幌地区大会でも経験していることだが、全道大会ではリレーだけの出場だった。練習不足を実感している中でこの組み合わせがどんなふうに影響するのか、少し不安があった。でもそんなことより今できるすべてのことをやってみるしかない。
練習をしないことで十分な休養期間をもらったつもりになっていたが、それは全く違った。朝のアップの時から体が重くて仕方がなかった。疲れている時とは違い、何かこうエンジン内部に油が回り切っていないような、アクセルを全開にしているのにそれに反応してくれないような、自分の身体を思うようにできないもどかしさを感じながら進めることになった。
朝早くの記録だからという理由だけでなく100mは11秒台になってしまい、幅跳びも7mに届かない結果で、他の種目もなんともしようがない状態で二日間が終わってしまった。
5788点という合計点で優勝できたのだが、この点数は札幌市大会の時よりも100点も低い結果になってしまった。気候的にも良いし、シーズンインからちょうどいい時間がたった体の動きの面からも、良い結果が出ておかしくなかったのだがそうはいかなかった。前回の記録より今日はさらに良い記録が出るかもしれないと期待していた関係者が大勢いた。ところが、それをしっかりと裏切る結果になってしまった。だが、それは当日の努力などではどうすることもできなかった。
喜多満男は5409点と前回よりもしっかりと100点以上点数を伸ばしてきた。やはり去年の経験がしっかりと彼にはいかされていた。さすがにこいつは本物なのだ。
リレーの予選はランキング1位の高校と同組になったことで、かえってメンバーのモチベーションが上がったようで、3着取りのレースで2着に食い込めた。
「まだまだ終わりにしないぞ!」
組み合わせ表を見た時から、坪内さんの絶叫にも似た大きな声の檄が他のメンバーにも伝わったようだった。
2レーンからスタートを切った坪内さんの飛び出しは相変わらず素晴らしく、カーブの頂点では外側の2校を完全に追い越していた。後半もスピードを落とすことなくトップの高校とほとんど同時に樋渡にバトンが渡った。坪内さんの気持ちが乗り移ったような樋渡も見事な飛びだしを見せ、坂道ダッシュを二人で競っていた雰囲気そのままだった。
2着でバトンをつないだが、ランキング1位の札幌第四高校の二走は札幌大会で100m二位になった10秒台の記録を持つ選手だったので、樋渡は徐々に離されるしかなかった。三走の三年生福島さんはカーブを上手に回って安定した走りでバトンを運んできたが、やはり第四の三走も100m決勝を争ったうちの一人で差は開くばかりだ。それでも、3位以下には大きく差をつけて繋いでくれたため僕は結構余裕をもって走らせてもらえたのだ。
女子の混成である七種競技は三日目スタートとなり、走り高跳びは二日目に組まれていた。札幌市の大会も同じ番組編成ならば山野紗季は走り高跳びを棄権することもなかったのだろうが、本人は全くそのことにこだわってはいなかったようだ。学校での練習でも幅跳びや槍投げに多くの時間をかけていた。
「こうやっていろんな種目の練習加えた方がね、ハイジャンにも効果があると思うの」
そんなことを言う彼女の変化が僕にはちょっと信じられなかった。去年の札幌市大会で話していた彼女の言葉とは大きく変わってきているような気がしたのだ。
健太郎の1500m予選が一日目の正午に行われ、3着取りのレースを健太郎は常にトップグループから離れることなく、最後の一周で二着に位置したままゴールまでやって来た。5000mを目指した練習を積んだことでかなりの余裕が生まれた走りになっていた。そして、レースでは相手のスピードにしっかりと対応してペース配分をするようになっていた。去年の今頃は山野紗季や憲輔さんにマイペースな走りをずいぶんと批判されていたのだが、健太郎の言う「豊平川フリーランニング」で何かが変わっていったのかもしれない。
午後16時からの決勝になると日差しもやわらぎ、北海道の初夏の雰囲気が強くなっていた。16人による決勝は突出した選手がいないため最後まで競り合うレースになった。留学生たちは3000m障害と5000mに出場していたので、予想外にゆっくりしたペースで進んだレースの中、健太郎は自分の設定タイムに合わせて前半から集団をリードする走りをしている。今までの健太郎のレースを知っているものには予想外のことだったが、健太郎はそのまま最後までトップを争う走りをした。
最後のスプリント勝負で抜かれてしまったものの、体をゆすりながら最後の直線で力を振り絞って走る彼の姿に、応援に来た一年生を含め南ヶ丘陸上部のみんなは驚きながらも最大音量での声援を送った。健太郎は4分3秒58のタイムで見事三着に入ったのだ。
「もー、スローペース過ぎ、前半からペース上げておけばよかった!」
レース後のこの言葉は健太郎が発したものとは思えない内容だった。健太郎の意識は去年と全く違っている。
大会初日からすでに全国大会出場を決めた健太郎の走りは、南ヶ丘陸上部に大きな力を与えてくれた。応援にはるばる函館までやって来た一年生部員たちも大喜びだ。学力の面だけでなく益々健太郎は彼らの尊敬の対象になったようだ。
二日目には八種の110mのすぐ後に400mリレーの準決が組まれていて、僕は三十分ほどしかない準備時間にちょっと慌て気味になっていた。そんな雰囲気がほかのメンバーにも伝染してしまったかも知れない。タイム的にも決勝進出は難しかったのだが、それ以上にバタバタした感じのバトンパスになってしまった。決して失敗したわけではないが、バトンの精度で勝負しなければならないチームなのに力みがちな走りが受け渡しに出てしまったようだ。二走から三走、そしてアンカーの僕へのバトンでそれぞれちょっとずつタイムロスしてしまっていた。ゴールの時点では5着に落ちてしまっていたが2着でゴールした苫小牧の高校がバトンゾーンでテイクオーバーしてしまい繰り上がって4着になった。それでも、3着取りの準決は突破できなかった。最後のフィニッシュではほんの胸の差まで迫ったのだが、今日の自分の走りではこれで限界だった。
リレーの少し前から始まっていた女子走り高跳びでは、川相智子が150㎝の予選通過の高さを一回でクリアーして午後からの決勝へ進出した。走り高跳びではこの大会で6位以内に入賞すると全国大会の出場が決まる。去年の全道ジュニアで三位になっている彼女にとっては、何としても勝ち抜けたい気持ちが強かった。その思いの一端は山野紗季が出場しないことでもあった。
予選は慎重に140㎝から始めすべて1回目に成功させたのでちょうど良いアップになったようだ。札幌地区大会で最後ガス欠になってしまったので、今回は跳ぶ高さと回数を計算して臨むと自分に言い聞かせた。そして、昨年の新人戦以来、自分の背の高さまでは何としても跳ぶんだと何度も宣言してきた。こんな風に川相智子が自分の気持ちを口外するなんて今までに無かったことで、妹祥子との関わり方からも彼女に何か変化をもたらすものがあったに違いない。
150㎝の予選記録を16人の選手が突破して決勝に進んだ。この人数からも昨年の新人戦に比べるとそれぞれレベルアップした選手が多くなっていることがわかる。新人戦で優勝した旭川の選手ももちろん決勝に残っている。そして、この試合が高校生活最後だと意気込んでいる三年生たちもたくさん残っている。山野紗季が参加していないことに驚いている顔見知りの選手もいたが、今や川相智子も他の選手にマークされる存在になっていた。
決勝は140㎝の高さから始まった。川相智子はパスすることにした。高跳びを始めて以来、初めてのパスだった。この高さからスタートした10人ほどの選手は皆クリアーしている。
次の145㎝もパスすると、他の選手たちの表情が変わった。「さすが」という表情にも見えたし、「おっ」という驚きの表情にも見えた。川相智子にとっても150㎝からスタートするのは初めてだったが、学校の練習では常にスタートの高さをここに設定して練習してきた。それは山野紗季と相談して二人ともここから始めることにしたのだ。山野紗季の混成の場合は、確実に点数を確保するために140㎝から始めることにしたが、150㎝を本来のスタートの高さと考えて練習に臨んできたのだ。
自分の踏切地点の位置を確認して、川相智子はゆったりとスタートを切った。助走距離を長くして徐々にスピードを上げる走り方にしてから、力みが取れスムーズな助走ができるようになっていた。バスケットのレイアップシュート練習でつかんだ右腕の振り込みと伸び上がりがうまく作用して、この日も跳躍が横に流れることなく真上に向かって踏み切ることができている。余裕をもって最初の高さをクリアーした。
周りの選手から「ホー」という声が聞こえた。自分たちと比べて浮く高さの違いがはっきりと分かったのだ。彼女自身も自分の調子の良さを感じていた。バーの上でしっかりと腰と踵のクリアーを調整できている。オレンジ色のセーフティーマットの表面が陽射しで熱くなっているのが少し気になったが、まずは気持ちの良いジャンプができていた。
インターハイの北海道大会は初めてだけれども、昨秋以来強い選手と競ってきたし、最も強いはずの山野紗季と毎日一緒に練習してきた経験は大きかった。全国大会の出場権だとかよりも自分の記録に挑戦する気持ちで参加できていた。今はそのことが最も楽しいことだった。
153㎝をパスすると他の選手の目の色が変わった。昨年の新人戦で優勝した旭川志文高校の選手がじっとこちらを見ていた。彼女は地区予選で161㎝を跳びランキング二位でやって来ていた。新人戦三位だった川相智子以上に山野紗季をマークしていた一人だった。そして、彼女はこの高さを一度落としてしまった。
156㎝をクリアーした川相智子は、今日は自分の背の高さを越えられると思った。バーの見え方が違ったのだ。スタート位置から見ている時も、踏切での高さに対する感じ方も、バーの上でのクリアーの時もしっかりとバーを越える自分の姿をイメージできていたのだ。一週間前の円山競技場での練習でも同じような感覚があった。その時は上野先生に今日はもうやめておいた方がいいと止められていた。
「練習で調子よすぎて体が軽く感じた時は危ないよ。どうしてもやりすぎてしまって自分の限界わかんなくなっちゃうから。練習で調子がいい時こそね、まだいけると思ったところでやめておく。それも大事だよ!」
確かに札幌地区大会が終わってから一週間跳ばない日があって、体が軽くてしょうがなかった。
「バネがたまってるんだよ」
沼田先生はそう言った。
「昔のさ、有名な選手の人たちの練習日誌なんかを見てるとな、大きな試合前には敢えていつもより跳ぶ練習を控えて『跳びたくてしようがない』状態を作るそうだ。そうやって体にも気持ちにも『バネをためて』大会に臨んだみたいだぞ。だからな、そう思っておけ!」
二人の独特な言い方が面白かった。そして本当に自分の状態を理解していてくれた。
今日はその時以上に自分の感覚が鋭くなっている気がする。スタート位置で助走の一歩一歩から踏み切ってクリアーするまでの流れがしっかりとイメージできる。スタートしたときにはもうすでに頭の中でクリアーできていた。159㎝を一回目でクリアーしたときにはバーより10㎝以上も体が浮いていた。そして、それを見ていた参加選手の中からも大きな拍手が沸き起った。コーナーの芝生席から身を乗り出して声援をくれていた紗季とタックンが二人そろって頭の上で大きく手を叩いている。
野田君は八種の最終種目1500mの出発時間になり、第3コーナーのスタート位置に集まっていた。もうすでに優勝を確実にしているのになんだか浮かない顔をしている。本人はあまり調子が上がらないと言っているけれども、それでも圧倒的に強い。そんなすごい人たちと私は練習してきたのだから、自分だってまだまだ上を目指さなければ。走り高跳びは辞退してしまったけれども、紗季だってランキング一位で明日からの七種に参加している。
私だってもっとできる!
156㎝をクリアーした6人のうち2人だけが159㎝に成功し、3位以内の入賞が決まった。でもそれ以上に、この試合は勝ちたいし、自分の記録を超えたい。自分の身長より高いところを跳んでみたい。そして、本当のハイジャンパーになる。
「身長越えましたよ!」
沼田先生にそうやって伝えてみせる。
次の162㎝の高さを川相智子はパスした。
見ていた全員が驚いた。最初のうちは何かトラブルがあって棄権したのかと思っていた人が多く、野田タクは柵を乗り越えていこうとして山野紗季に止められた。
「なにやってんのよ、もー! ちゃんと見なさいよ! あれが棄権した顔に見える?」
「なにー!」
「智子が勝負に出たんだよ。勝ちに行ったんじゃないのー! もう、わかってないなー!」
「そ、そうなの? だって162だよ!」
「だからだよ! ここがポイントの高さだと智子は感じたんだよ。だってほかの人たちはもうぎりぎりのところに来てるじゃない。智子はここまでノーミス。しかも3回しか跳んでないんだよ。そんな人がパスしたら他の二人はどんな気がする?」
「そうだなー……勝つためには自分が絶対に成功させなきゃなんないわけだし、きつい高さだし、プレッシャー凄いわな」
「でしょう! だから智子はそこで勝負に出たんでしょう!」
「ほう、なんと! そうだったらすごい自信だなー」
「大丈夫、半端な練習してないからね! 勝てるよ!」
昨年の全道新人戦で優勝した旭川志文高校の二年生選手は、三回とも惜しい跳躍をしたがクリアーできなかった。札幌藻岩北高校の三年生は、自分の限界の高さに挑戦したが踏み切ることができずに三回目を棄権した。
沼田先生と上野先生はこの川相智子の度胸の良さに驚きを隠せなかった。
「いやー、確かに『パスする場所考えれ』って言ったけどさー、まさかここでパスするとはなー」
「勝負師だね。本当に!」
そんな周りの人たちの反応など気にすることもなく、川相智子は自分だけの挑戦をしていた。165㎝に上げたバーをしっかりと見据え、自信をもってスタートを切った。もうその時にはクリアーまでのイメージが出来上がっていた。そしてそのイメージ通りに体が動き、難なくこの高さを越えた。自己新記録で菊池美咲の記録に並んだわけだが、本人は当然の結果としか感じなかった。今日ならここまでは跳べて当たり前という感覚があったのだ。
「今日は自分の背の高さを越えること」
それが決勝が始まった時の目標だったのだから。
「169でお願いします!」
そう計測係の先生に伝えると
「1メートル69で良いんだね?」と聞き返された。
「はいそれでお願いします。69です!」
言葉のやり取りは聞こえなかったが、両手の指を九本見せている川相智子の姿は今まで見たことがないほど堂々としていた。いつも以上につらく感じた1500mを走り終えてその様子を見ていた野田賢治は、まるで彼女に山野紗季が乗り移ってしまったように感じてしまった。
「ねえ、本当の天才って、この子の方かもしれないよ」
上野悦子がそう言って夫の方を見ると、沼田恭一郎が何か恐ろしいものでも見たようなこわばった顔をしていることに気がついた。確かに今まで見て来た川相智子とは違う人格が、あそこでバーを睨みつけている。そう、確かにそんな姿に見えた。
自分の踏切位置を確認した後169㎝の高さに設定されたバーと自分の背丈を比べてみた。
「あれ、身長伸びたかなー? 168だったはずだけどなー?」
自分の頭のてっぺんが169㎝あるはずのバーの上にあったのだ。
「なーんだ、これだと沼田先生に自慢できないなー。まだ身長より下じゃないのさー!」
なんだか自分自身でおかしくなって笑ってしまった。
大きく息を吐いて、両腕を前後にゆっくりと動かし……助走を開始した。
頭上のバスケットリングにボールを乗せるような右腕の動きと、右膝の曲げ伸ばしにアクセントをつけた踏切から真っすぐに背伸びするように跳び上がった。ふくらはぎの部分をかすかにこすってしまいバーは揺れていた。背中からマットに着地した姿勢のままバーの揺れを見ていると、抜けるような青空に架かった白黒の虹は、次第に動きを止めそのままスタンドにとどまっていてくれた。
白旗が上がった。
歓声が沸き起った。
私は、思わずマットの上で両手を上げてジャンプしていた。
「やったー!」
並んで応援していた山野紗季と野田タクが見事に声をそろえて叫んだ。
「うおー!」という咆哮にも似た叫びが南ヶ丘の応援席からやって来た。
「智子―!!」
「智ちゃーん!!」
という聞きなれた声は父と母がスタンドの最前列から発した声だった。
平日の開催なのに、この函館のスタジアムまで父が自慢のレクサスを運転してやって来ていた。半日かけて応援に来てくれたのだ。父が応援に来たのは初めてで、いつもは祥子の長い話を喜んで聞いているだけだった。
「こんなことでもなかったら函館の温泉なんか来れないもんねー!」
そういう父の照れ隠しのような「言い訳」を決勝が始まる直前に聞いた。なんかうれしかった。母は笑っていた。
「祥子がね、部活の関係でどうしても抜けられなくてね、二日間はお留守番してもらうことになったの。でもその代わり裕也君連れて来たから。祥子がね、裕也君にいっぱい写真撮って来いって命令してるんだよー」
武部裕也は、南ヶ丘応援団の中で巨大な望遠レンズのカメラを二台ぶら下げて手を振っていた。
169㎝を越えられたことで自分自身の満足感を満喫してしまったのか、次の高さに向かう意気込みが薄れてしまった。今日はまだ5回しか跳躍してなくても疲労感はたっぷりあった。肉体的な疲労よりも頭の中が疲れていると言えばいいか、もうチャレンジする気持ちにはなれなかった。自分の身長を越えたはずだったが、何と知らないうちに背が伸びていたなんて……もう! それだけが心残りだったが、全国大会に出場できることになったから、そこで頑張ろう。そうやって自分を慰めて競技を終了することにした。
「ナイスジャンプでした。全国大会も頑張って!」
ピットを離れようとしたとき、記録係の役員の方が声を掛けてくださった。その声は、いつも上野先生が掛けてくれていた励ましの言葉のようだった。
「ありがとうございました」
三人の係の先生たちに向かって頭を下げてスタジアムの外に出ると、南ヶ丘の部員たちに囲まれて祝福された。こんなことは初めての経験で、なんて言えばいいのかわからなかった。
「やったね智子! 全国大会だよ! すごいよ! 私も明日から頑張るからね」
「うん、もーぜんぶ紗季のおかげだよ! 一緒に全国行こうね!」
「もちろん! ハイジャンだって負けないからね!」
「でもねー、今日は身長越えられると思ったんだけど、なんか私背が伸びたみたいでね、169のバーより高かったんだから。168センチのはずなのにー」
「それって智子、スパイクのせいだよー! スパイクの底の厚さ考えてないでしょう」
「底? あっ、そうか! このスパイク厚底スタイルの20㎜仕様なんだった」
「もうー、ずいぶん強気でパスしたと思ったら、本当は結構舞い上がってたんでしょ!」
「そうかも。でも、ということはちゃんと頭上越えたってことだよね!」
「そう、やっとだね。私はもう中学校の時に越えてたからねー! 明日だって智子に負けないからね」
「そうだね。それより沼田先生に自慢できるよー! ハイジャンパーになったって言えるよ!」
川相智子と山野紗季。この二人の関係は本当にずいぶんと変わってきた。上野先生が言うように本当の天才はどっちなのかわからないほどだ。いや、両方なのかもしれない。
川相智子の両親とともに今日になってやって来た武部が、今終わったばかりの走り高跳びの写真をタブレットに映し出してみんなに見せている。苦手にしていた空中でのクリアーの動作が見事にまとまって出来るようになったことがよくわかる映像だった。
「さすが陸上部公認のカメラマンだな」
野田タクの誉め言葉に「当り前よ」と答えた武部は、続いて僕の1500mを映し出した。その表情がアップにされると、そのどれもが顔をゆがめた苦しげなものばかりだった。
「やめろ、それいらないからもう消してくれ!」
「いやー、たまにはケンジの苦し気なアップも良いもんでしょうに。へっへっへっ……」
「そうだな、ノダケンの苦しむ顔ってなんかこう、安心できる気がするよな」
樋渡も武部やタクと同じで僕をイジリたいみたいだ。
「そうだぞー、いつも何でもできてしまうお前が苦しんでるってのはよ、他の者にも安らぎを与えてくれるんだって」
「なんだよそれー!」
まあ、なんにしても今回の僕の出来は自慢できるものじゃ無かったからしょうがない。こんな風にかまってもらえる方が気が楽になる。そして、こいつらはみんなそれを分かってやっている。オレたちは仲間なんだということを、これでもかという位にアピールしているのだ。
「そういえば武部さー、お前どこに泊まるの? 川相の父さんたちと一緒ってわけじゃないんだろ」
川相智子の両親は湯川のホテルでゆったりしてから明日帰ると言っていた。武部は最終日までいてカメラマンの仕事に徹すると言うが、ホテルまでは陸上部と一緒というわけにはいかない。応援に来ている陸上部員たちも別のホテルに泊まっている。
「うちの父さんの実家がさ、堀河町ってとこでこっからすぐ近くなんだ。しばらく来てなかったからね、ついでにじいちゃんばあちゃんに会いに来たのさ」
「父さん京都じゃないの?」
「今はね。でも生まれは函館、中部高校の卒業生だって。中部高校ってすぐそこでしょ」
「……父さんって離婚したんじゃなかったの……」
「へっへっ、家の親は特別で変わってるから、普通とは違うみたいだぞ」
「そうなの?」
「武部君のお母さんもしょっちゅう京都行ってるよね」
「うん、家のバカ姉もさ、京都で父さんと一緒に暮らしてんだ。なんか変な人たちだろ!」
「武部の姉さんって、南ヶ丘でも伝説的に優秀だったって話じゃなかった。京大だろ?」
「まあ、家の中では伝説的なバカ姉貴だったね」
「あのね、『マジカルミーちゃん』って私たちは呼んでたくらいね、何でもできちゃうとんでもない人だったよ」
「まあ、そんなのどうでもいいからさ、タクは明日本番なんだろ? カメラ向けられて緊張すんなよ」
「お、おう!」
「おう、って、おまえもう緊張してんじゃないか?」
「私も明日から七種が始まるんだよねー。ちゃんと撮っててよ公認カメラマンの武部君! 他の女の子の写真なんか撮ってたら今度はアウトだからねー」
「脅すなって、わかってますよ山野紗季様! 朝一でちゃんと来ますから、ハードル頑張って」
「OK! OK!それでよし!」
「ヤバイ! 武部、やっぱ山野にはかなわねえなー」
樋渡は自分たちのリレーに間に合わなかったことをちょっとだけ皮肉っていたが、こうしてわざわざ函館まで来てくれたことを一番喜んでいた。
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