遅れてきた先生

 

第三話  三人の酔っ払い

 

 窓から乱入してきた大坪にいわれるまでもなく、野球部は本当にとても弱かった。しかも部員は10人しかいない。そんな野球部の顧問を北田先生は任されることになった。

この中学校では運動系も文科系もたくさんの部が活発に活動していて、それぞれに専門の先生方が熱心に指導していた。サッカー部やバスケット部などは二人や三人もの先生が顧問になっているのに、野球部には専任の先生がいないままに新学期を迎えていた。学生時代には陸上部だった北田先生が、若くて体力があるからという理由で野球部を担当することになったのだが、彼が赴任することになるまでは誰も担当者がいないまま、美術の山下先生が部長先生という名前だけで部を存続させていたのだという。本当は小学校を希望していた北田先生がこの学校に呼ばれた理由の一つは、部活動を持てるだろうという「予想」からだったこともあるようだ。 

この頃、いや、いつだってそうかもしれないが、野球やサッカーやバスケットなどの部活動に参加しているのは、いわゆるやんちゃな生徒達が多かった。どこの学校でも、それに対処するために生徒指導の観点から学年一人ずつが担当になることが多かったのだ。しかし、ここの野球部にはそんな生徒が全くいなかった。まあ、だからこそ弱小チームだったのかもしれない。そんな弱い野球部の10人を北田先生はけっこう気に入っていた。

 

5月の連休が終わって気温が安定し、グラウンドでの練習が本格化した頃、また一つ中学校の現実を知ることになった。

 放課後の練習が始まり、ノックの時間になった。それまでに準備運動や塁間ダッシュ、キャッチボール、トスバッティングなどを終え、北田先生が来るのを待ってノックが始まることになっていた。本当は部活の顧問をする先生として、放課後はすぐにグラウンドにやってきて、全員が集まるところから指導できればいいのだろうが、いつも慣れない校務で走り回っている北田先生にとって、生徒が帰った後の時間は大忙しなのだった。

まあそれにしても、野球が素人の北田先生。そのノックはひどいものだ。内野ゴロがうまく転がらない。どうしてもうまくいかずに力任せで打ってしまうので、空振りじゃないときには外野さえ届かないところまで飛んでいったりする。やっとゴロがころがったと思っても、とても届きそうにないところだ。そして力だけは目一杯あるので、外野手がどんなに頑張っても追いつきそうにないフライを連発するのだ。そういうあたりが続いてしまうと、守っている方もダレてしまうのだが、3回に1回は空振りをしてしまっていた初めのころよりはずいぶんましになったので、生徒達も少しは期待してくれていた。

陸上競技を7年間続けてきたので体力的には中学生に負けるはずはなかった。でも野球の技術は小学生以下だ。そんな北田先生でも、10人だけの野球部にとっては運動音痴の山下部長先生よりははるかにあてにされ、期待されていた。今まではノックも生徒同士で行い、山下先生がグラウンドに顔を出すのは練習が終了するときだけだったのだという。彼ら10人の野球部員にとっては毎日グラウンドに顔を出し、練習を見ていてくれる大人が必要だったのだ。そして何より、北田先生は若く、仕事に追われていないときには一緒に走ってくれることもあるのだ。走り出すといつまでも止まらなかったり、体力作りの筋トレがやたらと多く、その内容が中学生にとってはものすごくきつかったり、という難点はあっても、一緒に練習してくれる大人がいるというだけで、10人の野球部員には救世主が現れたがごとき出来事だった。 

特に中学の3年間を弱小という言葉も恥ずかしいほどに弱い、本当に弱すぎるこの野球部で頑張り続けたキャプテンにとっては、初めてまともに相手をしてくれる顧問が来てくれたと涙を流して喜んだくらいだ。彼は、次々にやめていく同級生達がいる中で最後まで頑張り続けたのだ。彼らが入学したときには同学年に10人以上の仲間がいたという。

そんな唯一の三年生である高橋キャプテンが、毎日の練習をしっかりとまとめてくれていた野球部の練習時間のことである。

 その日は月曜日で、陸上部とサッカー部が休みなので、グラウンド全てを使って気兼ねなくノックができる週に一度だけの日だった。サッカー部も陸上部も土日は練習試合や大会があるので、月曜は休養日に当てていたのだ。野球部はというと、練習試合を受けてくれる学校もほとんどなく、それ以上に試合を組めるだけの実力もなかった。試合をするにしてもなんにしても、まずは、野球ができるような基本的な動きをつくらなければならなかった。練習試合さえもままならないという野球部としての悲惨な状態は、素人とはいえ北田先生にさえはっきりとわかるほどだった。技術を身につける以前に、運動できる体作りが必要な生徒が多かったのだ。ともかく基礎練習を積み重ねるしか方法はなさそうだった。

その日、北田先生が職員室にまだ山のような仕事を残したまま練習に顔を出すと、広いグラウンドには何もなく、10人の野球部員たちはバックネット前に集まってなにやらヒソヒソと話をしている。彼ら10人は部活動だけが楽しみで学校にやって来る生徒ばかりなのに、その様子からは放課後の一番楽しい時間が始まったエネルギーの高まりも熱気も感じることはなかった。彼らの声は届かなくても、楽しい話とは思えない空気が漂ってきていた。いつもなら姿が見えた途端に、どんなに遠くからでも大声の挨拶がやって来ていた。今日はそれすらなかった。

何か、何かがあったのだ。

北田先生が来たのだから、いつもと同じように、円陣を組んでその日の練習ポイントを確認してからノックが始まるはずだった。

「なんだよ、準備できてないべや」

「……」

「ノックバットは?」

「……」

「何でベース入れてないんだ?」

「……」

「ボールケースは?」

「……」

いつもとは違う。部員たちが反応しない。

「高橋!」

「……」

唯一の3年生であるキャプテンの高橋は、プレーは下手でも、気配りだけは一流であると職員室で評判の「いいやつ」のはずなのだが、何か言いづらそうだ。目が落ち着かない。

学生時代に運動部に所属していたことの良さは、組織としての部活に慣れていることだ。上級生が下級生に厳しく接するように、北田先生も生徒に対しての接し方は厳しく、いかにも体育会系らしかった。10人の部員達はそういう部活らしさをも望んでいた。そして北田先生は、体力的に中学生には負けるはずがなかったから、中学生相手とはいえ結構な厳しさでビシビシと鍛え、活動への取り組みも厳しくしつけていた。去年までの野球部とは全く違う練習風景だった。

「いやー、去年までは練習なんて呼べるもんじゃなかったですよ」

自分達のやっていたことなのに、五人の二年生と三年生の高橋は人ごとのようにそう言っていた。

「野球好きな中学生達が集まってさ、公園で野球でもしようかって、じゃれ合っているようなもんだったっすよ」

一年生達はそれを聞いて笑っていた。

ただ北田先生の厳しさは練習時間だけのことで、練習以外の時間は互いにつまらない話で盛り上がることができた。それは競技の成績の差ではなく、同じ競技に打ち込んでいるものどうしの連帯感だとか、仲間意識という感覚が互いを引きつけるからだ。それも北田先生にとっては、今まで何度も経験してきたことだった。これも部活動の楽しさの一つなのだ。技術の上手下手や強さ以外の、人としてのつながりが身につく時間なのだ。学年の違いを超えたつながりだって否定的なものばかりではないことがわかる時間だ。

大学の体育会は縦割り社会で、力社会で、旧態依然としていて、民主的でない。そんな決まり文句のようでいてよくわからない言葉を使って批判ばかりする人もたくさんいることはわかっている。その人達も一度部活動を経験してみるといいのだ。そうすればちょっとは考えが変わっていくに違いない。運動会で手をつないでゴールするのが平等で民主的だ、と思っている馬鹿さ加減がわかるはずだ。スポーツには、どんなスポーツであれ「民主的」も「平等」も直結するはずないことがわかるはずだ。

 

「1年生、ベース入れろ。」

「山本、ノックバット。」

「片田、ボールケース持ってこい。」

「速く!」

誰も反応しない。全く動こうとしていなかった。

「先生……」

高橋がキャプテンが、困っている部員を代表するように言った。

「……小屋が……、だめなんです……。」

「なに? だめ?」

小屋に目をやってみても、いつもと変わらないようにしか見えない。

「……何が?」

「……今、だめ、なんです……」

部員達の目が小屋に向けられた。

野球道具は、一塁側のファウルゾーンにあたる部分に立てられた小屋に、グラウンドを使う他の部活動の分と一緒にまとめて入れてある。2坪ほどの広さでドアには南京錠をかけてあったが、窓やドアーの作りから考えると、鍵が閉まっていたところで入り込もうとすればいくらでも入れるような代物である。

「だれ?……」

「……中に、……いるのか?」

キャプテンが小さくうなずいた。

北田先生が小屋に近づいて行くと、後ろから部員達が恐る恐る続いた。

ドアに手をかける前から……そこで何が行われているのかがはっきりとわかった。体の中のあらゆるところに染みこんでいきそうな、透き通った鋭い臭いが小屋の外までやって来ていた。

「出てきなさい! おい!」

小屋の中で人の動く気配があり、何かが倒れる音が聞こえた。

少し待ってから北田先生がドアを開けた。手前に開いたドアーが小屋の中の空気を外へと運んできた。昔プラモデルに夢中になっていた頃に嗅いだ覚えがある。強烈なシンナーの臭いがやってきた。

中には男二人と一人の女の子がだらしなく座っていた。いや、座るというより崩れていたと言った方がいい。制服は床に脱ぎ捨てられ、ワイシャツはズボンの外にだらしなくはみ出している。ベルトも外れかかっていたかも知れない……。3人ともこの学校の3年生らしい。

「なんだお前ら? 何してんだ?」

「……あ、……」

「……ら、れあ?……」

立ち上がることができないようだ。

「ほら! 早く出てこい!」

「……うう、う……」

焦点の合わない目、力の抜けた肩の線、唇が開いたまま、左側の男の子の口からはよだれが垂れていたかもしれない。脚を踏ん張れずに体が右に左に振れてしまう女の子は、前髪が長くたれてしまって顔を完全に覆い隠していた。腰を抜かしたような様子で動こうとしない男の子は、奥の方で暗闇に紛れて呻いている。

「う、うう……う」

「お化けか、おまえら」

口には出せずにいる言葉が、北田先生の頭の中で何度も繰り返しやって来ては、また離れていった。後ろから覗き込むようにしていた野球部員たちに命じて職員室へと走らせた。

「3年生だな?」

キャプテンがうなずいた。

「ランレ……、ラレヨおまえ?……」

なんとなく言葉のように聞こえた。

「オマレ……チウッ、ラ……」

目は見えているようだ。高橋のことを判別できている。

「バカ、チクってねえから今までそこにいたんだろうが!……おまけにお前らのために俺にずいぶん怒られてんだぞ!」

北田先生の言葉がだんだん強く、激しい言い方になってきた。

「……ウワ、……」

「ウワじゃねえよ! こんなとこでアンパンやってんじゃねえ!!」

北田先生の強い言葉に反発したかのように、ビニール袋を握った女子生徒が立ち上がろうとして右隣の男の子にもたれかかった。と、その拍子にウソのように2人そろって横に転がってしまった。わざとスローモーションで実践して見せてでもいるようだった。ラリッているとはまさにこのことなのだろう。膝の関節が役に立っていないような二人の動きは、テレビで何度か見たことのあるマタタビに酔っぱらった猫のようだ。そして2人が転がったあたりで「バリッ」と音がしたかと思うと、黒くて細いものが転がるのが目に入った。

それは、ノック用のバットのグリップ部分だった。ノックバットは木製のもので、グリップがとても細くできている。普通のバット以上に折れやすいだろうと思っていた北田先生の予想がこんなところで現実のものとなってしまった。

「あっ! おまえら……、コノヤロウ!」

たった10人しかいない野球部は予算もごくわずかしかない。部費で備品を買うのは大変なので古いものでも我慢しながら使っていたのに、シンナーに酔っぱらって、わけのわからなくなってしまった奴らに一本しかないノックバットを折られてしまったのだ。

 激しい口調で怒鳴った北田先生の声をたいして気にすることもなく、女の子は左手のビニール袋の口をしっかりと握っている。その姿は綿あめを買ってもらった少女のようでもあったが、袋の中には何も入っていない。いや、入っていないようにしか見えなかった。女の子はその袋の口を閉じることだけは忘れずにいる。あの袋の中にあるらしい、その存在さえも見せていないシンナーが、こうやって子供たちの頭を狂わせ、周りを巻き込んで大きな事件へと発展させてしまう。

無から有を作り出すことはできず、無は虚無を広げることになる。一種の病である。あのちっぽけな虚無の空間が作り出してしまう狂った世界が、今こうしてたった10人の野球部にまでやってきている。そして生徒たちとの大切な時間を奪い、数少ない備品の中からノックバットを破壊してしまった。それなのにこの女の子は、誰にもとられないようにと綿あめの袋の口を必死で押さえる幼子のような姿を見せているのだ。

なんともいえない、怒りのような、悲しみのような激しい感情がやってきて北田先生は目の奥のあたりが熱くなってきたのを感じた。

「これは絶対弁償させてやる」

良いも悪いも判断できずにいるから、こんなところでやってしまうのだろうが、学校内でシンナー吸ってしまうようじゃもう、ダメだ。

病院直行だな。

変わらずに小屋の中に崩れて動けずにいる三人の生徒から目を離すことなく、そのうつろな表情を目に焼き付けながら、北田先生は当然そうなるものだと思っていた。今まで学校以外のどこかで隠れてやってきたのだろうが、学校内で見つかってしまったら強烈な指導がなされなければならない。タバコもシンナーも学校内でやることの重大さを教えてやらなければならない。学校以外でやれば良いというわけでなく、あえて学校でやってしまう状態がもう末期だということなのだ。見つかることも叱られることも考えられなくなったのかも知れないし、そんなことすら超越してしまったのかも知れない。

シンナーから脱出するためにこの子たちにとられる今後の処置を想像していた。決して短い時間で復帰できるわけじゃないことは想像できた。

 

やってきた先生方に、3人は千鳥足を支えられるようにして連れて行かれ、野球部の練習はようやっと始まった。

「高橋、なんでもっと早くに言いに来ないんだ」

北田先生の叱責にキャプテンは涙を流した。きっと、口止めされて心優しい高橋は言い出せなかったに違いないが、結局は自分達が損をする形になってしまうことがわかっただろう。でもそれは高橋だけの話ではなく、他の生徒達もそうだし、まして薄々そのことを知っていた大人達の方が遙かに重大に考えなければならないことだった。

中にいた3人のうち二人は高橋キャプテンと同じクラスなのだという。そして、常習の3人だということを聞いた。ずっと夜遅くになってから親たちが引き取りに来て、彼ら3人は家庭へと戻った。学校で発見されたのは初めてだったらしいが、この学校の3年生の中では誰もが知っているごく当たり前な光景になっていたのだという。家庭に返すのではなく、病院か警察に連れて行くべきではないのかと職員室では判断を迷った。が、最後は管理職たちが決定して家庭に戻す決断をしたと聞いた。

 この3人はその後、修学旅行には参加したものの2学期になると学校に顔を見せなくなってしまった。卒業式にも参加できず卒業後も不安定な生活を続ける結果となった。あの頃……、シンナーが原因で廃人と化す子供達がいたのだ。家庭に返すという決断が果たして正しい選択だったのか。家庭がしっかりとケアできる状態だったのか。学校ができることとできないこととの境目が、そして学校は何をすべきなのかを考えさせられた出来事だった。

学校内でやるからダメなのでなく、学校内でさえしてしまうほど我慢できない状態になっていることがダメなのだと、家庭にも関係機関にも強く発信しなければいけない。北田先生はそう思った。学年代表をしていた年配の先生は、学校としての対応の難しさがあるのだと歯切れの悪い言い方をしていた。自分達教師を含めた学校の無力さを嘆く言い方だった。

 

この年、野球部は全敗でシーズンを終えた。3年生の高橋キャプテンにとっては最後まで勝てない部活動で終わってしまった。それでも彼には絶大な信頼を寄せる後輩が9人もいたのだ。その一つだけでも彼はすばらしいキャプテンだったと言えるだろう。そして、北田先生のノックの技術が格段に上がったのは特筆に値することだった。なんと、真上にキャッチャーフライを打ち上げることもできるようになったのだ。

 

 北田先生は、この中学校で臨時採用教員をもう一年務め、その間に再度教員採用試験を受けたのだが合格させてはもらえなかった。実際に担任を経験しているにもかかわらず、本採用にはしてもらえない理不尽さを同僚の教師たちは嘆いてくれた。それでも何も変わることはなく、相変わらず臨時採用の形のままなのだが、その次の年には別の中学校で勤務することになった。

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