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N43札幌の空の下で<冬> 16「裸の王様」って何を言いたいのだろうか?


「裸の王様」は、アンデルセンによって書かれた有名な寓話だということはみなさん知っていますよね。
 
このての話は花子さんが大好きなのですが、今日はちょっと一人だけで長々と話させてもらいます。
 
寓話というのは、比喩として人々の生活に馴染み深いできごとを見せることで、何か大切なことを伝えようとする物語のことですから、この物語も何か人々に伝えたい意図があるはずですね。
 
今一度その内容を思い出してみると、こんな内容でした。
 ある王様が新しい服を作るために二人の詐欺師を雇います。詐欺師たちは、愚か者には見えない特別な布を使って服を作ると宣言します。実際には何も作っていないのですが、王様や宮廷の人々は愚か者と思われたくないため、見えない服を見えるふりをします。最終的に、王様はその「服」を着てパレードに出かけますが、誰もが見えない服を見えるふりをしている中で、子供が「王様は裸だ!」と叫び、真実が明らかになります。
そんなあらすじでしたね。
 
1870年代に発表されたこの寓話を思い出すときにいつでも結びつけて考えてしまうのは、現代社会に暮らす私たちの「情報に対する接し方の危険性」ということです。
 
子供たちにこの話の感想を聞くと「裸の王様」という題名から、王様の行動(虚栄心)に焦点を合わせる子が多いのですが、それ以上にもっと大切なことがありそうです。
 
現代社会では、他人の意見や行動に同調することが求められる場面が多くあります。例えば、職場や学校でのグループ活動や、SNSでの意見交換などです。このような環境では、自分の意見を持つことが難しくなり、他人の意見に流されやすくなってしまいます。「裸の王様」の物語は、このような同調圧力(と言えばいいのでしょうか?)の危険性を示していると思うのです。
 
また、現代でも王様のように強い力を持つ立場の人たちやリーダーの意見や行動に対して、疑問を持たずに従うことが求められることがあります。しかし、当然ながらその人たちが必ずしも正しいとは限りません。物語の王様のように、権威者が間違った判断をすることもあります。現代社会でも、権威(王様だけが権威ではありません。何かの中心になって進めている人たちもその範疇にあると考えてください)に対しても時には批判的な視点を持つことが必要になってきます。
 
そして、自分自身を欺くことや、他人に良く見せようとする虚栄心も現代社会の問題点の一つですね。王様のような社会的地位を持っているかどうかにかかわらず、SNSでの自己表現や、他人や他のグループとの比較によって、自分自身を見失うことがあります。物語の王様のように、自分が見えない服を着ていることに気づかなくなることもあるのです。
 
こんな話をすると、花子だときっと
「この話はそんなに難しいこと考えるもんじゃないでしょ!もっと気軽に子供みたいに楽しめばいいじゃない」
と言うに違いありませんが、今日はちょっとそれには同意しないで進めます。
 
また、これも同じような話じゃないかと私太郎は思うの作品があります。寓話という範疇かどうか定かではありませんがこんな作品です。
 
それは、1950年代になってレイブラッドベリーによって発表された「華氏451度」というディストピア小説です。この作品も同じ意図をもって著されていると思うのです。
 
<あらすじ>
 物語の主人公は消防士ですが、この世界での消防士は火を消すのではなく、なんと本を焼く役割を担っています。時の政府は情報統制のために本を所有することを禁じていて、本を持っている人々は厳しく罰せられていたのです。そんな中で、主人公はある日若い女性と出会い、彼女の影響で自分の仕事や社会に疑問を抱くようになっていくのです。彼は次第に本の持つ価値に気づき、真実を求める旅に出ることになります。
 ちなみに、タイトルの華氏451度というのは紙が自然発火する温度なのだそうです。なんか意味深ですね。
 
近未来の話として創られているので、作者が危機感を抱いていたことなのでしょうが、この物語が取り上げている主なテーマは次の二つだと考えられます。
 
情報統制と検閲= 政府は本を焼くことで情報を統制し、国民を無知のままに
        保とうとすることにより、個人の自由や創造性が抑圧され
        るようになる。
メディアの影響=テレビやラジオなどのメディアが人々の思考を支配し、浅
        薄で短絡的な娯楽に没頭させることで、社会全体が無関心
        になっていく。
 
そう考えると何か現代の私たちの生活がこの内容に近づきすぎている気がしませんか。オールドメディアなどという言い方が流行りのようですが、テレビもラジオもSNSも結局は同じことですね。
 
この二つの物語は年代の違いはあっても、私たちに同じことを訴えてるのではないかと考えているのです。
 
<現代社会に暮らす私たちの生活と大きなつながりがある?!>
「華氏451度」は、現代社会における情報統制やメディアの影響についての警鐘を鳴らしています。インターネットやSNSの普及によって、清濁入り乱れた情報の氾濫や意図的なフェイクニュースの問題が顕在化している現代において、この作品が発するメッセージはますます重要性を増していると考えられるからです。それは、時代を超えて「裸の王様」のもつメッセージに共通しています。
 
<こんな時代に生きる私たちはどうすればいいのでしょうか?>
アラ還(アラウンド60)やアラ古希(アラウンド70)の私たちにとっては辛い話です。今まで人と争うこと対立することを嫌い、人を信じることの美徳を学んできたはずなのですが、ここにきて人を疑うこと、対立する側の人たちとどう対峙するべきかを考えなけらばならないのですから。 
 
でも、自分を大切に相手も大切に生きていくための方法は必ずあるはずなのですから、少しでもその生きるすべを考え広めなければ……。
 
<私太郎の考えた私たちが現代を生きるための3つの重点>
1. 自分の意見を持つ= 他人の意見に流されず、自分の考えを持つことが大切 
          なのです。無 数にやって来てしまう情報を多角的に収
          集し、自分が本当に正しい と思う「自分の」意見を持
          ちましょう。
2. 批判的思考を養う=権威者やリーダーの意見に対しても、時には批判的な
          視点を持つことが重要です。疑問を持ち納得できるま
          で考え、比較し、調べる習慣をつけましょう。
3. 自己認識を高める=自分自身を正直に見つめ、虚栄心に囚われない。自分
          の価値を他人と比較せず、自分自身の成長を楽しみに
          生きることが大切です。
 
なんて立派なことを言ってしまいましたが、何よりも「安易に人の意見に流されないこと」が大切なような気がします。
 
我が家の花子さんの口癖です
「誰が何と言ってもこっちのラーメンの方が美味しいんだよ!」
 
行列のできるラーメン屋さんが札幌にはたくさんあって、テレビなどで何度も話題になります。そしてそのたびに放映の次の日から大行列ができますが、花子も私太郎もそのラーメン屋は大したことがないと知っています。だって我が家の近くにあるラーメン屋の方がはるかにうまいのですから。
 
でも、並んでいる人の口からは必ずその店を絶賛する言葉が聞こえてきます。
「それ昨日テレビで言ってたことだよ!」
でも、そう言わなければ「味に疎い人」というレッテルが張られてしまうみたいです。でもねー、その人たちの味覚を疑うくらいな差があるのですよ本当は……。ということがラーメン屋以外のことでも何度もありました。
 
なんかそんなことと「裸の王様」が結びついてしょうがないのです。アラ古希の愚痴だと思ってもらって結構。老人のたわごとという判断でも構いません。でも、事実は自分で見て味わって比較して判断すべきもの。他人の評価や判断に簡単にのってしまうのはどうかねー……。
 
ということで、「裸の王様」は私たちに何を伝えたかったのでしょうね。アンデルセンにしてもイソップにしてもずいぶんと古い時代から語られてきていることが実は現代の私たちの生活にちゃんと結びついてしまうことに驚くばかりです。と同時に人間はこういうことを繰り返し、そして対応しながら今まで長い時を生きてきているのだということが今更ながら感じられてしまう話でした。
 
「あんた最後の話が説教っぽくてよくないよー。ハッキリ言いなよー、SNSってやばいんだよって!」
花子さんのそんな言葉が聞こえてきそうなので今日はもうこの辺で終わりにします。
したっけ!


ほかにも公開している作品がありますのでお立ち寄りください。


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