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N43札幌の空の下で<冬>      9 25人学級にしましょうよ!

・公立学校教員の処遇改善 教科担任制、小学4年に拡大 
・学級人数の上限を40人から35人に引き下げる
・残業代の代わりの「教職調整額」を5%に引き上げる

この年末になって、文部科学大臣?がらみで文科省が上記のような方向性を示し始めました。それについて、中学校教員経験者として話します。

花子さんはこういう話はあんまり好きじゃないので二人の時には話題になりにくいのですが、いない間にちょっと自分だけの考えを言ってしまいましょう。

<学級人数の上限を30人以下に>

何年もかけて徐々に学級人数を引き下げてきましたが、中学校の全学年にまで及ぶのはまだ先のよう。中一ギャップの解消などもあり中学校一年生だけ35人学級が実現されていましたが、その時の経験です。

小規模校で1学年が72人しかいない学校での学級編成は中学1年生だけ35人学級が適応されて、1学級が24人の3学級でした。後にも先にもそれまでと10人以上も少ない学級を担当したその余裕たるや夢のようでした。もちろん小規模校が故の校務分掌と教科持ち学級の多さはありましたが、生徒一人一人への対応には歴然とした差が生まれました。

欧米の教育政策や方法論を参考に変更してきたことはたくさんあっても、唯一真似しなかったことがこの学級定数減の方策でした。

一学年が百人だとすると、上限40人学級の場合は3学級編成で1学級人数は33人と34人。上限35人学級の場合も3学級編成になり変わりはありません。ところが上限30人学級だと4学級編成になり、1学級人数は25人になります。学年総人数により学級人数の差はありますが、35人学級では恩恵はかなり限られてしまいます。

学級人数定数が減ることは単に担任としての負担の軽減だけではありません。学校の先生たちは全員で学校の校務を分担して進めていますから、先生の数が多ければ多いほど校務分担の負担は軽減されます。
 逆に中途半端な小規模校になると少ない人数で大規模校と同じだけの校務分担を背負うことになり、一人で二役も三役もかけ持つことにもなります。小規模校であろうが大規模校であろうがやるべき仕事量には変わりはないのです。

欧米のように教ま員は授業以外のことにはかかわらないシステムではないので一つの学校を何人の教員で動かすかは大変大きな問題です。学級数が一つ増えれば単純に教員数は一人増え、その増え方によっては副担任や学年所属教員、さらには事務職員などの増加につながることもあります。
 逆に教員数の不足から教頭が事務の肩代わりをしたり教科指導を行うことまであります。そのような人手不足?の状態で学校がうまく動いていくのか?答えはもうお分かりだと思います。でもそれが現在の日本の学校の状態でもあります。

そして、この現状の中で様々な問題点を学校へと送ってくれるのが文科省でありマスコミであり保護者達?……でもあります。そこに輪をかけるようにメディアが攻撃を加えてしまうことさえあります。おまけに「ブラック職場」のレッテルまで張ってしまったら、教職希望者が増えるわけがありません。

N43札幌の空の下で<冬>

<教育にお金をかけましょうよ!>

小学校で英語を教えることになった時、プログラミングの授業をするとなっとた時、文科省は英語の教員派遣やプログラミングの専門家の派遣を考えず、現有勢力で研修を積みなさいという方向で進めました。
 基本的に金を掛けずに新しい取り組みをしなさいというのが文科省なり政府の方向性だったのです。

小学校の音楽専科、体育の専科、理科の専科、こういう教科担当制に近いやり方はもう半世紀以上前から行われてきているのですが、未だに全体でそういう方向性になっていませんでした。英語の先生を小学校に雇えばいい。プログラミングのプロを雇いなさい。体育の先生を小学校で採用すればいい。単純にそういうことでしかないのです。それが、一番専門の知識や技術に触れる機会になるのですから。

でもそれを日本ではしてきませんでした。なぜでしょう。それは教育に金をかけることを嫌ったからです。特に教職員数を増やしたくなかった。教職員組合(日教組)が強い力を持つことを嫌ったのですね。現在はもう日教組の力など政府組織に対抗すべき何物もありません。

さてそこで、教育にお金を掛けましょうよ。
ここから日本という国が盛り返していけるかどうかは次世代の日本人にかかっているのですから、今の子供たちに金を掛けて教育するべきです。

教育するという言葉を使うと、何か躾けるとか強化するとか強制するとか洗脳するとか悪い語感がありますが、そうではなく、日本人が本来持つすばらしさをしっかりと受け継ぐことのできる大人に育むために、教育にお金を掛けて国家として未来を作り上げましょうよ。そういう意味です。

中途半端に欧米の進んだ(?)教育をまねなんかせずに、日本人が数百年もかけて積み上げてきた素晴らしい文化や伝統を引き継いで発展させてくれる大人に育てたいのです。それは同時に日本という国の持つ素晴らしい面を引き継いで発展させることにもなるはずです。
 日本の教育制度をまねしようとする国が増えている中で私たちがそれをやめてしまってはいけないのです。

教員養成大学で実践的な授業を増やしましょう。これも教育に金を掛けるかどうかの範疇です。良い教育をするためには、教員養成カリキュラムで出来るだけの経験を積ませてから教員として活躍して欲しいからです。教職課程を何単位か取っただけの先生では現在の学校を担ってもらうためにはちょっと心もとないのです。

もちろん実際に学校に赴任してからの経験が先生を育てるものであることは十分承知していますが、新卒一年目であっても担任は同じく担任。その差は歴然とあるのですが教師として出発するときにやはりそれ相当の力を身に着けているべきです。それが教師にも子供たちにも互いの幸せにつながります。

いずれにしても、日本の国として教育にお金を掛けることを、本気で考えていかなければならない状態にきていることは間違いありません。

教育改革という言葉はもう何十年も前から聞き続けています。ほんとにその言葉を実践する方法は残業代代わりの給料アップではありません。

まずは学級人数を30人以下にすること。それによる教員数増から始まるべきです。出発点はそこ!

とまあ、花子のいないうちに彼女の嫌いな話をしてしまったのでちょっとすっきり。でもきっとまた、「つまんない話ばっかりして……」というクレームがつくはずです。でもその時はその時……ということで今日はここまでにしましょう。

今年も残り僅かになってしまった真冬日の札幌から、ジジババの片割れ道産子太郎がお送りしました。



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