『遅れてきた先生』
序章「北田先生登場」
ナナカマドの根本にわずかに残っていた雪は、まだらに茶色くなったことを恥じて今まさに消えようとしていた。
そのすぐ横を雪解けの水たまりなど気にすることもなく、スピードを上げた車が走っている。ちょっと前までは路面の凍結でスリップする恐怖から、アクセルとブレーキ操作に神経をすり減らす日々が続いていた。今年の冬も大雪や地吹雪のせいで、視界を保てずにイライラが募る日が何日もあった。そんな半年間の雪の責め苦からドライバー達はやっと解放されたのだ。一気に発散させられたストレスの塊は路肩の泥水を勢いよく跳ね上げ、その飛沫は街路樹の根元に降りかかった。例年よりも雪解けの遅れていた北の街にも、ついに春がやって来た。
こんなところにあったのか。思わず声に出してしまいそうだった。
環状通りになっている片側3車線の大通りからほんの少しだけ中に入ったところに、目指す中学校の表示が見つかった。珍しく二階建ての校舎だった。すぐに見つかってしまいそうでいながら、なかなか見つけることができない。そんなかくれんぼ上手な子どものように、目的の建物はあるべきところにちゃんと存在していた。
こんなところにあったんだ。
地下鉄駅からすぐ近いところにありながら、ブロンズ製で浮き彫りになっている校名さえも目に付きづらい質素で小さな校門がそこにあった。改築を間近に控えた木造二階建て校舎のためか、学校という「大きな存在」であるはずのものが、周囲の建物に埋没してしまっている。それは、この学校のかかえている隠してはおかなくてはならない何らかの部分を暗示しているようでもあった。
それでも、朝8時を過ぎると、登校して来た生徒たちが子どもらしいはしゃいだ声を甲高く響かせ始めた。彼らは仲間とじゃれ合いながら次々と門をくぐっていった。小学生と見間違えてしまう幼い表情の子もいるし、顎のあたりに少しだけひげを生やした三年生もいた。冬物のコートを羽織った女子生徒もいたし、学生服の胸ボタンを大きく開け、靴の踵を踏んづけてやって来る男子生徒もいた。時間の経過とともに、登校して来る生徒達はだんだんと足早になっていた。
始業開始を告げるチャイムが鳴った。
新学期への期待とともに、新しい年度が始まったばかりの時期に特有の緊張感をもって登校していた生徒達は、テレビの校内放送に注目していた。4月も3週目となる今日になって、新しい先生がやって来るという。新年度が始まってからやって来る先生といったら、代替えの臨時採用教師にちがいない。
中学校では、前年度のうちに校区内の小学校から伝えられていた新入生の人数をもとにして学級数が決められる。その後で、転出入や私立中学への入学など様々な理由でその数は変更になり、4月の入学受付が終わってからやっと新入生の数が確定する。時には入学式が終わってからやっと新入生の数が決まることさえある。教職員の異動は前年度のうちに決まっているので、決められた学級数以上の生徒数になったときには教員数を増やさなくてはならなくなる。
この時期に新しい先生がやって来るということは、生徒数の増加による教職員の人数調整や教科のバランスから、学級数に見合った人員補充をしなくてはならなくなったからなのだろう。それとも、産休に入った女性教諭の代わりがやっと見つかった、というところだろうか。いずれにしても、生徒たちにはそんな細かな理由なんかどうでもよかった。新しく来る先生に大きな期待を、いや、大きな興味を抱いた。入学したての1年生を初めとして、この時間までに登校していた生徒のすべてが教室の隅に置かれたテレビに注目した。
21型ブラウン管テレビの画面に校長先生が登場した。
「全校生徒の皆さん、おはようございます……」
カメラの向こうにいる生徒を想定して、校長先生は返事の返ってくる間を十分に取ってから話を続けた。
「……今日から社会を教えてくださることになった北田先生です。えー、北田先生は……。」
先週行われた始業式と入学式には、長い長い話をして生徒達に嫌われていた校長先生も、朝学活の時間を使っておこなわれるテレビ放送では、手短な話で終わるしかなかった。まだ話し足りない顔をした初老の校長先生と入れ替わって、昨日床屋に行って来たことがはっきりとわかる髪型をした若い代替えの先生が登場した。すると、画面は急にアップになり、21インチの画面は顔で満杯になってしまった。校内放送のカメラマンはそれを誰かに指摘されたようで、すぐにまた上半身だけの映像に戻った。
新しくやってきた先生は目線があちこちと動いている。落ち着かない様子だ。顔は正面を見ているが、なにかの合図を待っているようだ。
……カメラ目線に変わった。大きく息を吸うのがはっきりとわかった。
「皆さん・おはよう、ござ・います。あ、只今、あ……、ゴショー・カイ、にあずかり・ました・北田と申し、あ、……」
ブツ……ゴゾッ
「……イッ、……」
テレビ画面の下半分で事件は起こっていた。どうもメモの紙を落としたらしい。きっとそこには挨拶の言葉が書かれてあるに違いない。見ている方が恥ずかしくなるくらいのカメラ目線が、またあちこちと動き始めた。おまけに落としたメモの紙を取ろうとした拍子に、マイクに頭をぶつけた姿がテレビ放送を通して全校に流れてしまった。教室は一気に大きな笑い声に包まれた。
新学期が始まってから堅い話ばかりだった3学年18クラスの教室内に、封じ込められていた大きな笑い声が響いた。一階も二階も、廊下を挟んだずっと先の教室からも盛大な笑い声が響いてきた。新しい学年や新しい学級となって、仲間ともまだしっかりなじめずにいる生徒達がたくさんいた。この何日間か、緊張感といくぶん重たい空気の中にいた生徒たちにとっては、久しぶりに笑える出来事だ。笑うことを許された瞬間だった。700人ほどもいる全校生徒が一緒に同じ画面に見入った。そして同じ瞬間に誰にも気兼ねすることなく大笑いをした。そんな時間を作ってくれただけでも、この新しい先生がやってきた意味はあったのかもしれない。
「……ホクショウ……学校ですが……」
「ホク、ショウ……ウ、ガッコウ……?」
電話の声が意味することに気づくまで、しばらくの間彼の頭の中では言葉が迷子になってしまっていた。どう反応しているのか自分でもわからないまま、言葉をオウム返しにしか出せずにいた。
「……校長」
という言葉が聞きとれたことでやっと出口の光が見え「これは臨時採用の誘いの電話なのだ」と気づくことになった。
「ええ、はい、北田は私です。……はい、そうです……」
やっとのことで言葉たちが迷路を脱けてやってきてくれた。しかし大急ぎでやって来てしまったために今度は制御できないほど早口になっている。何度か呼吸を繰り返しているうちになんとか普通のしゃべり方になったようで、相手の反応もしっかりと耳に入るようになってきた。
それまでの間、電話の相手はさぞ困ったに違いない。こんなトンチンカンなことしか言えないやつを本当に採用して大丈夫なのだろうかと思っていたかもしれない。そして、電話の後には職員室で笑いの対象にされていたのに違いない。
「はい、やらせていただきます。はい、月曜日ですね、はい、伺います。地下鉄から……ですね。ええ、なんとかわかると思いますので。はい、どうもありがとうございました。はい、どうぞよろしくお願いします」
丁寧に受話器を置いて、大きく息を吸い込んだが、心臓の鼓動はまだ元に戻っていない。そばにあった広告の裏に走り書きした文字が、やっぱり迷子になっていた。自分で書いたはずの住所や電話番号の数字が読み取れない……。
引っ越しを中心に家具類の遠距離配送までを扱っている運送会社で働きはじめて、一か月がたとうとしていた。大学は卒業できたものの、教員採用試験に合格できず、アルバイトをしながら次の年の採用を目指していた。そんな北田道生に、突然代替え教員の話がやってきたのだ。旭川家具の配送トラックに乗って静岡の藤枝まで行き、帰りにはそこから「ドラえもんティーバッグ」を積んで4日ぶりに札幌に帰ってきた日の夕方のことだった。いつもならまだトラックに乗っている時間だったが、珍しく泊を伴う本州行き長距離便の後で、偶然にも早いうちにアパートに戻っている時に電話がかかってきたのだ。
八戸から苫小牧までのフェリーを降りて午前中に札幌市内に入り、運転手の上司の方に報告した後、昼食に生姜焼き定食をおごってもらい、アパートに帰ってきたのは2時を過ぎた頃だった。やたら刑務所の話ばかりをしたがるちょっと癖のあるトラック運転手と二人だけの4日間はさすがに疲れた。銭湯に行ってから夕食にしようと考えているうちにウトウトしてしまった。そのまま寝てしまったらしく、電話の音で現実に戻されたのだ。
学生時代は陸上競技にのめり込んでいた。といっても、さほど才能があったわけでもなく、自慢できるほどの記録を持っているわけでもない。野球やサッカーやバスケットボールなどの球技に比べると、さほど人気のない陸上競技に夢中になっていた理由は自分でもはっきりとはわからなかった。球技であればゲーム性があって、やっていても見ていても楽しめるのだが、特別な記録が出ない限り陸上は地味なスポーツだ。わざわざ陸上の試合を見に来る観客だってごくわずかしかいない。野球のように将来プロとして生活をしていくこともできない。それでも、中学の時にたまたま出場した田舎の大会で優勝してしまったことから、自分には人よりも優れた力があって、その力をもっと伸ばせるのではないかと考えてしまった。それで高校では陸上部を選んだ。
高校の三年間は夢中で自分の可能性を探った。大学の四年間でその限界を感じた。それでもその頃にはもう、走ること、跳ぶことが自分の日常となっていた。試合では望む結果を出せなかったが、毎日の練習は嫌ではなかった。練習が楽しいということではなく、毎日毎日休むことなく練習を繰り返していくことが、自分を証明することのように感じていた。たとえ一日でも、練習を休むことは自分自身が存在する意味を否定してしまうのではないかと恐れていた。
走ることや跳ぶこと、そして投げることは、社会人になることの手助けにはなってくれなかった。だが、引っ越し屋のアルバイトのためには十分な体の力をつけることができていた。それぞれが一風変わった癖を持つトラック運転手達を相手することにもちょっとだけ慣れてきた。そして、自分がドロップアウトしてしまった経緯を勲章のように自慢する、ちょっとやんちゃな年下の先輩の扱い方もわかってきた。以前にも短期のアルバイトでお世話になっていた社長には、採用試験に合格するまでの腰掛け仕事であることも了承してもらっていた。臨時採用の電話があったのは、ここで一年間頑張ってみようと覚悟を決めた時のことだった。
彼、北田道夫と大学で同期だった仲間たちのうち半分は小学校で「先生」と呼ばれていた。公務員試験を受けたり、民間会社に就職したりする仲間達もわずかにいるのだが、半分近くは来年の採用を目指す浪人組だ。彼らのかすかな望みは、たとえ代替えの一年契約であっても「先生」としての仕事につくことだ。北田道生もその一人だった。
「よろしくお願いします」という喜びと希望にあふれた返事の後は、大忙しの二日間が待っていた。
「ほんとに良いのかー。せっかくよ、おめ、慣れてきたのによ」
「中途半端なんじゃねえの。いつまでやれるかわかんねんだろ?」
「あんた……。先生に、なんのか……」
「本採用にはならないんだべや」
「断っちまえよ。こっちの方が給料良いぞ」
「ダメだったらよ、またうちにこればいいっさ」
運送会社の社長や先輩達にはずいぶん引き留められた。迷いがないわけではなかったが、感謝の気持ちを十分伝えられないままやめることになった。
「本当にありがとうございました。」
北田道生は深々と頭を下げて事務所を後にした。頭を下げている間じゅう、このお決まりの短い言葉に目一杯込めたはずの真意がどれだけ伝わっただろうか、と考えていた。
あちこちを駆け回るだけで二日間が過ぎてしまった。学生時代には教師としての実務的な勉強などすることなくここまで来た。6週間の教育実習でなんとなく教師としての生活はさせてもらったが、実質的にはゼロから教師としての準備をしなければならない。あちこちに電話をかけたり、買い物に出かけたり、あれもこれもと気持ちだけは大騒ぎしていた。それでも準備できたのは頭髪と服装くらいのもので、教師としての準備は何一つできていない。しかも、初めは「……小学校」と聞こえた赴任先は「北翔中学校」という市立の中学校だった。北田道生は小学校の先生を目指していたのだ。
小学校の教員採用試験は学科試験の他にもピアノや水泳、バスケットボールのジグザグドリブルなどの実技の試験もおこなわれる。運動能力だけは自慢できることなので、水泳やドリブルは得意にしていた北田だが、ピアノは大学生になるまで触ったことすらなかった。8月の教員採用試験に向け、前の年の冬からピアノの猛練習を重ねた。それでも、本格的にピアノをやってきた人たちとは比べものにならない。何しろ本当に初めて鍵盤に触るのだ。毎回中央のドの位置を確認することからはじめて、バイエルの95番以上の曲に挑戦しなければならなかったのだ。更に、弾き語りで小学校唱歌をもう一曲、というのが採用試験の課題であった。
当時住んでいたアパートからすぐ近くに大学のピアノボックスがあったので、半年間そこに通い詰めた。朝も昼も晩も夜中も……。時間がある限り、毎日ピアノに触れる。それぐらいしか上達の道は無いと思ったのだ。それでも、「3歳の頃からピアノを習っていた」多くの学生達との差は大きすぎた。テキスト通りに順番に習得していくなんてことはかなわないと悟ったため、課題の二曲だけを弾けるようにすることに専念した。採用試験を経験した先輩達から、ピアノヘタ受験生のためのお薦め曲を教えてもらい、その弾き方のレクチュァーもしてもらった。確かにその先輩達もあまり上手くはなかったが、それなりに曲になっていた。
弾き語りはピアノの下手さを隠すためにも、大きな声ではっきりと歌うという「秘訣」を教えてもらい、そのやり方に特化した時間を過ごした。そして、採用試験当日も何百回めかの演奏になった課題曲をなんとか完走することができたのだ。きっと今でも、あの二曲だけなら「ピアノを弾ける」と言えるかも知れない。
そんな学生時代の「必死の深夜特訓」なんかは全くお構いもなく、中学校への誘いの話がやってきたことになる。同じように臨時採用の形で「先生」と呼ばれる立場になった同期の仲間は3人いた。彼らはみな小学校に赴任している。中学校から口のかかった人は誰もいなかった。そのため中学校の先生達につながりは全くなかったのだ。
土曜、日曜をはさんで、月曜の今日。臨時採用とはいえ初めての赴任先までついにやって来た。北田先生の気持ちはさらに高揚した。だが、予想外に小さな校門にその気持ちが少しだけそがれていた。
玄関に入るとスノコ状の踏み板があった。そこで昨日買ったばかりの真っ白な上靴に履き替えて二階の職員室へと向かった。壁に掲示してある美術の作品や様々なポスターに見覚えがあるような気がして、自分の中学生時代を思い出さずにはいられなかった。妙に懐かしさを覚え、なぜか自分の居場所に帰ってきたような気持ちになっていた。
朝の職員打ち合わせで教職員へ挨拶するまでの間、校長室で長い時間待つことになった。約束の時間より早く来るのが礼儀だろうと、いつもよりうんと早起きしたのだが、ちょっと着くのが早すぎてしまったのかも知れない。硬過ぎて座り心地はあまり良くないソファーに腰掛け、壁に掛けられた歴代の校長先生達の写真を順番に眺めていると、ここがずいぶんと古く歴史ある学校であることがわかった。
50人もの「本物の」先生達を前にして、緊張感いっぱいで、ぎこちなさばかりがめだった職員朝会での挨拶がおわり、トチリまくった放送による生徒達への挨拶だった。書き込みの入った教科書と真新しい事務用品をもらった。その後事務室で書類をつくり、提出書類の宿題をいっぱいもらった。同じ教科の先生には進度の説明を受け、明日から始まる授業の約束をたたき込まれた。
「二年前にさ、古今和歌集の演習、一緒にとってたよな。あの後藤先生の……」
一年先輩だという森山先生が目尻をいっぱいに下げて話しかけてきた。その演習は二十人ほどの受講者だったが、北田先生には全く彼の記憶がない。見覚えのない顔だった。小柄な森山先生はあまり印象に残りそうもない顔だった、……から、かもしれない。
国語を専門に勉強していたのは中学校課程の国語科の人たちで、北田先生は小学校課程なので、副免として国語と社会の免許を取っていた。だから中学校課程で卒業した先生達に比べて専門性は低いかも知れない。でも、それは取っている授業数が少ないだけで、決して手を抜いていたわけじゃない。それはともかく、全く関係する先輩達のいないところに来たつもりでいたのに、同じ学校出身で同じ授業を受けたという先生がいたことに少し驚きを感じていた。世の中というのはどこに行ってもこういうものなのかも知れない、と北田道夫は思った。地方出身の彼は札幌に来てまだ四年しかたっていないので、大学の仲間以外は知り合いがほとんどいなかったのだ。
その後、教頭先生と教務主任には、中学校教師としての心構えをみっちりと教えられた。そして、最後に校長先生から教師としての義務と服務規程などについての長い話をいただいた。この校長は話が長いことで有名な人なのだそうだ。北田先生の隣に座る高松先生は、出身大学が同じだという理由でずいぶんと長い話に付き合わせられることが多くて閉口している、と教えてくれた。もっとも、北田先生にとっては高松先生自身も話が長い人だと感じていた。
その後、不格好きわまりない生徒達への挨拶を後悔している暇もなく、校務の分担内容などを教えてもらうために、初めてづくしでメモだらけのプリントを手に初対面の先生方の間を行ったり来たりが続いた一日となった。改築間際のため、新校舎と旧校舎とが入り組んだ造りになってしまった建物のあちこちを走り回りながら、教師生活の一日目が過ぎていった。休み時間にすれ違った生徒達が、例外なくみんな含み笑いで通り過ぎていくのを感じていた。
何年振りかで味わった給食を楽しむ余裕などまったくなく、放課後は初めて見る教科書を線だらけにして授業の下調べがいつまでも続いた。このぶんだと、明日からは生徒と同じように予習用のノートを用意してきた方が良さそうだった。真面目な生徒だけでなく、授業を教える側の先生としての仕事もやっぱり予習から始まるのだった。
そうこうしているうちに、時計の針はあっという間に午後7時を過ぎ、8時を回った。職員室にはまだ多くの先生たちが残っている。慣れないネクタイ姿に肩こりを覚え、地下鉄を降りたときには10時をまわっていた。バスへ乗り継ぎ家に着いてからも、どこまで準備すればいいのかわからないまま明日から始まる授業のことばかりを考えながらも、焦りと緊張とを繰り返してきた今日一日の一つ一つのことが、いつまでも頭の中から消え去ることはなかった。
遅くにとった夕食のせいばかりでなく、横になっても、全く眠気すら感じない夜を北田先生は過ごすことになった。人の一生の中で、きっと何度も経験することのできないこの時を「幸せ」と感じることもなく、彼の代替え先生としての生活が始まった。
4月16日月曜日。北田先生はこの日23歳になっていた。
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