8月7日 映画を観た日
〈映画鑑賞会〉
S君がうちに映画を観に来た。S君はたまに一緒に映画を観る映画友達だ。
映画鑑賞のお供となるご飯を作る。
今回はじゃがいもと玉ねぎとソーセージのジェノベーゼパスタと、枝豆とブロッコリーとシーフードのアヒージョを作った。
すごく美味しかった。
特に、アヒージョに入っていた枝豆。魚介と野菜のうまみが染み込んだ枝豆。あの枝豆。毎日食べたい。誰か来る時は、毎回アヒージョ作ろうかしら。
ご飯を作り終えてまず1本目に行定勲監督の
『GO(2001)』
という作品を観た。ネットの友達に勧められたばかりだったので、自分が選んだ。
在日韓国人の杉原と日本人の桜井が出会って恋に落ちる、主に恋愛ストーリー。
「名前って何?バラと呼んでいる花を
別の名前にしても美しい香りはそのまま」
(『ロミオとジュリエット』小田島雄志訳より)
そう書かれたページを開いて、静かに泣いている杉原を見て、こちらも泣きそうになった。自分、感情移入しすぎる。
ラストシーンでは、あの家庭で育った桜井が、自分の中にある在日韓国人のレッテルを剥がしたのは、どんな理由であれすごい勇気と愛だったはず。
自分にとって合理的な行いは周りに左右されないことだとしたら、感情どころか理性をも取り除くことのできる部分があると思っていた。逆に、何に忠実になるかで判断にかなり変化があるとも思う。
話し始めといて何が言いたいのかよくわからなくなってきてしまったけど
結局全てに可能性は付いてくるんだけど、中でも理性は視野が広がるから、特にそうだと思っていて、その上で自分の本心を信じ続けていることも、この映画を通して大切なのかもしれないなと思えた!
2本目はS君の希望、コゴナダ監督
『アフター・ヤン(2021)』
を鑑賞。
コゴナダ監督は、唯一の長編作『コロンバス(2017)』が有名で、空間意識のある撮り方が魅力的な監督だ。アフター・ヤンはそれに加えて、家族愛が大きなテーマだった。
この作品を観て感動した私たちは、コゴナダ監督は何者なのか、しばらく調べた。けど意外と本人に関する情報は少なかった。
ホームページには、コゴナダ監督の映像エッセイというものが沢山載っていたので鑑賞した。すごく面白かったので、映像エッセイってなんぞやと思った人は是非観てみてほしい。
映画の途中で、お父さんがヤンの記憶を覗くシーンがあり、そこが、本当に、美しかった。。
終始モニターを前にふたりして呼吸を忘れるくらい引き込まれていたと思う。
映画を観終わってからもう一度そのシーンに戻って、もう一度「おぉ〜…」と感動した。
音楽も構図も光も空間もヤンが教えてくれたことも全部完璧で、素直に美しいと思った。
3本目はなんとなくアニメが観たくなったのでりんたろう監督の
『メトロポリス(2001)』
を観た。
原作は手塚治虫で脚本は大友克洋で、手塚治虫と大友克洋を足して2で割ったようなアニメーションだった。
衝撃的だったのは背景画の緻密さ。3DCGもかなり使われていた。20年以上前って考えると、映像がひたすらに凄かった。
クライマックスの建物の激しい崩壊シーンで流れるレイ・チャールズの歌声。
かっこよかったなあ。衝撃音をあえて流さずに真逆とも取れる音楽を流す手法には名前があるのだろうか…
「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」や、最近だと「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章」のラストシーンも個人的にそんな感じでカッコイイ。
ストーリーとしては、フリッツ・ラングによる同名のSF映画『メトロポリス(1927年)』にかなり影響を受けているらしいので、そちらのメトロポリスも観なくては!と思った。
S君はメトロポリスの途中から、しかもむちゃくちゃ大事なシーンから爆睡していたので、感想を語り合えなかった。おはよう。
映画以外にも、コゴナダ監督の映像エッセイをみたり、最近みつけた良いMVを教え合ったりしていたので、なんだかんだ映画は3本しか観なかった。でもそれぞれの作品がすごく濃い内容で、これ以上は頭がパンクしていたと思う。
〈ひとりになって考えたこと〉
S君が帰ってから、寝る前にツイキャスをした。そこで、GOという映画観たこと、その感想を話した。
話してるうちに、少し前に読んだ
ブレイディみかこさんの『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー(新潮社)』西加奈子さんの『i(ポプラ社)』の内容やメッセージを思い出していた。
国も話も違うけれど、人種の違いやセクシュアルマイノリティに取り巻くさまざまな問題が、今だに起こっている事についても書かれている本だ。
少し考えすぎて、なのに言葉に詰まって、ツイキャスを聞いてくれている人を困らせてしまっていたかもしれない。
反省……
いつかどこかで、ちゃんと書けたらいいなと思うことのひとつに、自分のセクシュアリティに対する考え方や悩みがずっとある。
その上で、いじめや拒絶みたいに、わかりやすい差別を確認しにくい現代の日本において
中学生の頃、引っかかっていたことがある。
当事者を気にかけましょうみたいな優しさだ。
中学の社会の授業中
「当事者(たしか心は女性だけど体は男性って書かれていたような)と会話する際、どう対応すべきだと思いますか?」
というプリントが配られた。
この時、教室には当事者がいない設定なんだなと思った。特別扱いされたい訳じゃない、こんな優しさなんていらないだろ、と思って
「何も気にしません。」
と書いた。
でも、その答えはシチュエーション的には正しいようで、あの授業の生徒としては、現代社会を生きるひとりの人間としては、どうだったのかな。分かった気になる優しさが、無自覚に人を傷つけるからこそ、皆で気にしなくちゃ、声を上げなきゃ、伝えなきゃずっと変わらないじゃないかとも思う。
あの教室にいた自分だって、こんなの変えたいと思う社会が、目の前にあったわけで
そんな状況で歩き続けている自分がいるんだっていうこと、形に残されたものから考えさせられ続けている。
〈本日のまとめ〉
映画ってすごいなって、残すってすごいなって思った。あと、この映画鑑賞会は定期的にやれたらいいなと思う。
アヒージョ、美味しかった。
帰省したら家族に作りたいなって思った。
明日から東京だ。学生最後の夏休みだ!
美術館にて、学生料金を使いまくります。
おやすみなさい。