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誹謗中傷がなくならないのは何故か


繰り返される誹謗中傷

いま(投稿日現在)世間を賑わせているフジテレビジョンの問題について記したときにも触れましたが、同社では、今回の騒動とはまったく関係のない、アナウンサーを含む社員やそのご家族が、何の根拠もないことで誹謗中傷の被害に遭われています。
中には、ある社員が、先日開催された社員説明会で「子供が学校で(親がフジテレビジョン社員であることだけを理由に)いじめを受けている」と明かし、上層部に訴えたと聞きます。

また、昨今の斎藤元彦兵庫県知事を発端とする問題でも同様のことが起きました。百条委員会の委員だった県議会議員が、ある政治家から根拠のないことをSNSで言われ拡散されたことなどが原因で、大切な命が「自殺」という形で奪われたのです。その後、知事と県内の首長が、誹謗中傷についての共同声明を検討しなければならない事態になりました。

このほかにも、このようなことが、あらゆるところで多々起きています。その行為は何度となく繰り返されており、一向に減る気配を見せません。それどころか、増えている感も否めません。

話題の公共CM「決めつけ刑事」

フジテレビの問題では、多くの企業のCMが「ACジャパン」の公共広告に差し替えたことで、それらのCMが、いま注目を集めていると聞きます。

そのなかに「決めつけ刑事(デカ)」という全国キャンペーンの作品があります。嶋田久作さん扮する刑事が、逮捕して取り調べている男性について「SNSの投稿」だけを根拠として犯人だと決めつける…という内容です。
ラジオ・テレビでオンエアされている作品では、後に「真犯人が自首してきました」と部下から言われ、誤認逮捕であることが分かったときの刑事の姿と、犯人と疑われた人の刑事に対する悲痛な叫びが表現されています。その姿の対比が、なんとも印象的です。新聞広告で見せる嶋田さんの表情もスゴイ…。

辺りを見渡せば、そんな「決めつけ刑事」ばかりが目立つ…公共広告のテーマに、このような形でなってしまうことを、私達は恥じなければなりません。

では、なぜ、こうした行為が減らないのでしょうか?ここでは、私なりの考え方を記します。

私が考える、誹謗中傷する人間の特徴

誹謗中傷する輩は、頭の中が自分のことだけになっていて、周囲のことがまったく見えていないんですよね。しかも、自分の発する言葉が100%「正義」「世間の常識」だと錯覚している。自分が他の誰よりも一番偉いと思い込んでいる。誹謗中傷しているという意識が、まるでない…。

そういう輩ほど、弱い人間を攻撃することでしか自身を満たすことができず、言葉では言わずとも「構って欲しい」とわがままを言う…。本当は構ってほしいくせして、それと自分のやっていることが矛盾しているということに「気付かない、気付けない、気付こうとしない」というのは、人生を無駄に過ごしているだけで、あまりにも勿体ないなと思います。

そんな人間を生むのは誰か

そんな人間を生んでいるのは、そんな彼等が幼少期を過ごしたときの、親を含む周囲の大人だと断言してよいと思います。「子は、親の姿を見て育つ」と言いますからね。

つまり、その人が、みっともないことを平気でやるということは、実は「親の代からそうだった」ということ。「子の姿は、親の姿を映し出すもの」とも言えます。
誹謗中傷とか差別とかいじめとか、そういうものがなくならない根本的な原因は、こうしたことにあるのではないでしょうか?そして、それを無視しつづける周囲の大人にも責任があると考えます。
そして、そんな親は、子が何かしらの不祥事を起こした時に限って、必ず「こんなはずではなかった」と言って嘆くのも特徴として挙げられます。育て方が間違っていたことに気がついてないという証拠です。

これって、巡り巡って、知らず知らずのうちに、私を含む我々が、そういう社会にさせてしまっていることになっていることだろうと思います。これが繰り返されて、今に至っているのではないでしょうか。
誹謗中傷がなくならない大きな原因は、ここにあると考えます。

争いの根

〝思うのは自由。言葉や態度に表さない。〟
…これができれば、ある程度は皆が穏やかになれるはずです。

〝自分に満足できないから、相手の幸せが耐えられない。〟
…こういう人、多いですね。なぜでしょうか?

〝「私は正しい」争いの根は、ここにある。〟
…結局、自分のことだけで頭がいっぱい。そんなことでは、この世界では生きていけません。
戦争・紛争も、そうやって起こります。これは、歴史が証明しています。

出典 / https://togetter.com/li/1936067

これは私の持論ですが、人間形成は、すべて、幼少期からの教育如何で決まります。いかに「親の存在」「周りの大人の存在」が大事かということです。
とんでもない人間が生まれているのは「親・周囲の大人がだらしなかったから」ではないか…そう思います。

どうすれば誹謗中傷をなくせるのか、減らせるのか

そんな「争いの根」を生まないためには、何をすべきか。
私は、次のことを提案します。

「大人は、いつも子に手本を示せるような行動ができているか、自身を見つめ直すこと」

「自分中心に物事を考えることだけを、また、自身の利益のことだけを考えないこと。自分の家から一歩でも外に出たら、そうした考えを一切排除し、他人優先で物事を考えること」 

「同時に、これから自分はどう生きていかなければならないかを真剣に考えること」

ひとりひとりが、そういう意識を持つこと、そういう考えにシフトしていくことが重要だと、私は考えます。これ、理想論でもなんでもありません。これが「当たり前」のはずです。
勿論、私自身も実践しています。100%できていないかもしれませんし、人間なので100%にすることは難しいかもしれません。しかし、それに近づけさせる努力は怠っていません。

本当の「社会的弱者」とは?

簡単に誹謗中傷するような人、また、人の悪口しか言えない人のことを「こういう人は、実は、社会的弱者だ」と言う人がいます。いや、それは違う…本当の弱者は、それに対して、何も言うことができず、怯えている人のほうではないかと思います。
ならば、そうした人は何者なのか…一言で表すならば、それは「ならず者」ではないかと考えています。この社会、ならず者のほうが多いような気がしてならないのは、私だけでしょうか?

この世で自分が生きていられるのは、同じ世界にいる誰かのお陰。誰かの助けがないと生きていけないのです。「ならず者」にならない為に、いつも、人に対して感謝の気持ちを持つことと、前の項で挙げたことを、人に言う前に、まず自らが率先してやっていきたいものです。

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