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なぜ絵師・イラストレーターだけが「生成AI」を恐れるのか? 他ジャンルの人ってAI大歓迎だよね? という話について。
生成AIに対する嫌悪感の強さ、みたいなものに関しては絵師・イラストレーターの方々が最も強い嫌悪感を抱いているような気がします。
近年AIは様々な分野に進出しているわけですけれども、実は「イラスト・絵」以外のジャンルのクリエイターからAIに対する不満みたいな発言を聞いたことが有りません。
本日は「イラスト分野以外でのAIの活用具合と、なんやかんやAIをすんなり受け入れちゃっている人たち」について書いて行きたいと思います。
音楽作る人はAIに嫌悪感ゼロ
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私、結構音楽もやり込んでいるのですけれども、音楽の分野でもAIが進出してきました。
例えば「楽曲のパートをバラバラにする」という技術もディープラーニングによって作られておりますし、なんなら「ミックス」という各パートの音声を調整する作業や、「マスタリング」という楽曲のバランスを整え終わったあとの、最後の音質調整工程に関してはすんなりとAIツールが受け入れられた様に感じます。
当然、このAIマスタリングツールはホビーユーザーが最も多く購入したのだろうとは思いますものの、エンジニアの友人に意見を聞いてみたところ「別に良いんじゃね? 俺もつかってますし」みたいな反応でした。
どうやらAIで楽曲の調整の方向を大まかに確認し、AIも使いつつAIによって判断された情報をベースにマニュアルで調整して使う、なんてこともしているそうです。
実際のところ、恐らくこういった楽曲に対するアプローチに関しても「既存の著作物」を学習しているはずなのですが、不思議なことに音楽業界の人でAIを嫌がっている人はあまりおりませんでした。
なんなら「便利だったら別に良いじゃん?」みたいなすげえ雑な感想の持ち主が多いような気がします。
不思議なことに「仕事奪われる~!」みたいな焦りや「AI滅びろ!」みたいな言葉を発してる音楽関係の人はまだ会ったことも見たこともありません。
なぜ音楽分野に関してはAIが許容されるのか?
実はこれに関してはすでに答えがでておりまして、音楽業界というのは実質テクノロジーの進化とともに進んできた業界なわけであります。
録音フォーマットに関してはレコード・テープといったアナログなものから、CDだのMP3だのデジタルなものが普及するとそれにあわせてきた背景があります。
それに「MIDI」という規格によって「楽器が弾けなくても音楽ができる」というムーブメントを1980年代にはすでに経験しております。
実際この「打ち込み音楽ムーブメント」によって失業したミュージシャンは多数おります。
打ち込み創成期にスタジオミュージシャンとして活動されていたベーシストの方に当時のお話を伺ったことが有りましたが、みるみる仕事減ってびっくりした、とのことでした。
そもそも歴史上、テクノロジーと人間の摩擦を何度も繰り返してきたのが音楽の世界なのだなあ、ということもあり、恐らく音楽関係の方々は新しい技術が発展してきても平気でとりあえず受け入れてみる、というスタンスなのでは無いかと思います。
最近はなんなら「AI生成の楽曲」というのもかなりの品質になっていますけれども、そこに不満が向けられているようには全く思えず、むしろ音楽関係の人々からすると「シグネイチャーな自己表現こそ命」みたいな思いでもあるのでしょうか、AI生成楽曲にたいしては歯牙にもかけない様子です。
コンプライアンスの問題さえ無ければ、プログラマーはAIにソースコードを書かせたい現実
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私はお仕事(ウェブ制作)の際にガンガンAIにソースコード書いてもらいます。
だって一行一行プログラム書くの面倒くさいんですもの。
しかし業務上、コンプライアンスの問題でAIでプログラムを書けないという状況はかなり多いと思いますけれども、きっとそういった環境に身を置くプログラマーは絶対にAI使いたいって想ってるはずです。
それに私の友人のプログラマーも、CopilotとかChatGPTにガンガンAIにソース書かせてます。
プログラマーと言えば過去「家に帰れないブラック仕事ナンバーワン」だった時代が有るわけですので、プログラマーは極力AI使って楽に仕事を進めたいわけです。
実際のところ、AIに対して強い拒絶感を持ってるプログラマーの話はあまり聞いたことがないような気がします。(私の人間関係の中では今のところ)
実際のところ「プログラマーという職業が消えるのでは?」みたいな話になることはありますけれども、今の生成AIの能力で行くと「大きく複雑なプロジェクトはメモリしないので対応出来ない」という現状があり、やはり部分部分でしか対応出来ないということもあり「超高性能の入力補助エディター」くらいの役割でしか有りません。
おそらくAIがソースコードを書ける背景には、Github上のソースコードなんかを(Github Copilot以外も多分そうではないかと)ガンガン学習したからだろうな、と思います。
要するに誰かの制作物をやはり無断で学習しているわけです。
しかし、イラストや絵の分野に比べて生成AIに対しての反発が起こることが少ないような気がします。
なにせ仕事が楽。良いプログラマーほど楽するのが好きですからね。
なぜ「イラスト界隈」だけがAIを過剰に拒絶するのか
ということで、最後にイラストのお話になります。
前述のとおり、別分野だとわりとあっさりとAIを受け入れてしまっているわけなのですが、なぜイラストの分野だけこのように燃えるのか。
そのことについて考えていきたいと思います。
音楽業界は「打ち込み」でミュージシャンが失業し、その後「ナップスター」に著作権を破壊されているから
音楽業界にとっての恐怖はAIではなく、前述のMIDIでの打ち込みや、ナップスターなどのP2Pで音楽ファイルが無断で流通してしまった過去、現在であれば聴き放題のサブスクリプションサービスによって創り手の利益が薄くなってきてしまっている、などすでに大きなパラダイムシフトに向き合ってきたかと思います。
反面、日本では特にマンガ業界の著作権保護の対応は手厚いわけです。クールジャパン、なんて言葉も有るくらいですから国を上げて守っているくらいあるかもしれません。
著作権保護団体であるJASRACは、音楽業界人にはかなり嫌われている存在ですが(そもそも楽曲利用料は徴収するが、アーティストに還元しないなどの暴挙多数)、漫画家さんとかはJASRACのことめっちゃ信頼しているような気がします。一時期週刊漫画雑誌でもJASRACと漫画家がタッグを組んで広告を打っていた時期がありましたし。
漫画業界は漫画村の一件なんかも有りました。しかし、現在はそういった海賊版サイトみたいなのは軒並み消滅傾向では無いでしょうか。
音楽業界は低価格のサブスクリプションでアーティストの利益を薄められたものの、海賊版音源を消すことに成功。
その方式で作り手の利益を損ないつつ、サブスクリプションでなんとか利益を得る、という方向にマンガ業界が進むかと言うとそんなことは有りません。
まともなマンガ読み放題のサブスクリプションサービスが存在しないのは、マンガ業界の利益を守る取り組みがあるからと考えるのが自然です。
良く言えば保護、悪く言えば既得権益。
今回生成AI画像によって危機感を感じているイラスト界・漫画界の皆様は他ジャンルに比べ、業界全体が危機を迎えたことが無かった、という背景が有るように思えます。
そもそも音楽業界あたりの守られてなさは本当にびっくりするくらいで、その世界の中でしぶとく生き残った人もいますし、消えてしまった人もいますし、そんな過酷な環境から世界に飛び出る才能も存在します。
最終的に「クリエイターとして利益を得るには、相当突き抜けていなければならない」という時代なのかもしれません。
プログラマーはブラック労働だからAI大歓迎
さて、ゼロ年代にプログラマ-として働いていた私の肌感覚からすると「プログラマー=ブラック業界」です。
まずプロジェクト後半なんて家に帰れない。
なのでAIがでてきてやっとプログラマーは人間の暮らしができるのかもしれません。
そもそもプログラミングのプロセスは、絵を書いたりだとか他の創造的な作業に比べると楽しくないのかもしれません。
プログラムは狙い通り動いたときが一番気持ち良いと私は想っています。要するにプロセスよりも結果重視の作業なのでは無いかと。
恐らくなのですが、イラストだのマンガに関してはこの「プロセスが楽しい」という作業なのでは無いかと思います。
そして生成AI画像によってそのプロセスが破壊されているので腹が立つのも当たり前かもしれません。
さらに、絵の世界に関しては、自身の絵柄や作風が完成するまでのプロセスが膨大なようにも思えます。
プログラムはわりと正解の道が有り、個性的なソースコードよりも他者が理解しやすいソースコードが正解です。
しかし、芸術分野に関しては個性的な作風が重要になります。
その作風があっさりと模倣されてしまう。怒って当然です。
とはいえ音楽の世界では「サンプリング」という、他人の音楽を盗用して音楽を作るという文化が有ります。(サンプリング技法と文化的発展、及びAI学習の概念における問題についてはまた後日記事化しようと想ってます)
当然サンプリングされた方が怒ったケースもたくさん有りました。
しかし残念なことにその「サンプリング=盗用」によって音楽文化が一気に豊かになってしまった背景もあり、現在サンプリングについてはサンプリングをした本人が全責任を負うのならば、勝手にしたら良いのでは? という風潮では無いかと思います。
要するに、絵師・漫画家というのは他ジャンルに比べるとだいぶ守られており、業界・業態に大きな激震が走ったのなんてきっとアナログからデジタルへの以降くらいだった。
従来大きな変化に巻き込まれた経験が少ない中、かなり精度の高いイラストが秒速で出力されるようになった為、過剰に反応してしまっている状況なんじゃないかな、と。
そういったパラダイムシフトを何度も経験した世界の人たちは今更AIに対して驚くようなことは無く、過去失われてしまったと同時に手に入ったものを、片目づつ見つめることができるのかもしれませんね。
絵師さん特有の文化背景とAIの相性が悪い件
さて、さらに言いますと絵師さんとAIの相性の悪さに関しては「トレース問題」についても言えるかと思います。
音楽の人とかって結構気楽にパクったりインスパイアされちゃったりしちゃったりするんですけど、べつにそんなの当たり前じゃん、みたいな空気があります。
しかし、絵師さんの絵のトレース元が見つかったりするとXで燃えまくったりしますよね?
もちろん音楽の世界でもパクった!みたいな話がでてきて燃えることがありますけれど、ごく弱火なのではないかと。
イラスト界隈は、他ジャンルから見るとこの「厳格すぎるプレイヤーズルール」みたいなものがとても強い業界なのだなあ、と感じます。
AIどころかトレースが駄目ならば、3Dモデルを動かしてラフを書くのは良いのか、みたいなところにどういった意見があるのかは私はよく知りません。正直外部からすると写真のトレースも3Dモデルで下書き作るのも似たような話に思えてしまうんですよね。
なんていうかAIに関しては、そういったトレースだとか3Dモデルだとかの延長線での利用も可能だろうな、とは思うんですけれども。
どうも「パクリ」みたいな概念に対しては強い忌避感があるのが絵師さんの世界なのだろう、と推測しております。
「何が卑怯でそうじゃないのか」みたいな話が、絵の世界は多いような気がします。音楽については前述のとおりガバガバですが、絵の世界はどっちかっていうとスポーツの世界に似ているな、と。
要するに「極限にフェアなスタンスで素晴らしい作品を生み出す作家」が評価される世界であり「あまりフェアではないスタンスで人を楽しませる作家」は叩かれてしまう、ということなのかなと解釈しています。
要するにプロセスまで含んだ技術力が評価される、という特異で、ある意味ガラパゴス的な価値観を幸運にも維持出来ていた、というのが外部的評価になるのでは無いかと思います。
※でも人が嫌がることを喜んでやってしまうAI派は人として駄目ですよ。例えば特定漫画家に粘着してLora配布しちゃうような愚行はAI生成派から見てもクソオブクソ。
とはいえ外野は安心して見ている件
私は絵師さんではありませんので、実は生成AIイラストに関しては恐れるに足らないと想っています。まだまだ人の方が優れているからです。
ChatGPTはまだ人間よりも優秀じゃ有りませんので、今現在「AIに仕事奪われそうで怖くて禿げてきた・・・」みたいな人はいませんよね?
ぶっちゃけ、イラストの世界だって同様だと思うのです。
だって完全に手書きで絵を書くイラストレーターが不要な時代が来たら、世界中のどんな仕事だって全てAIに代替されているはずなんです。
前述のとおり音楽だってプログラムの世界だって、AIによっていつか人間が不要になるかもしれないという可能性は全く変わりませんし、すでに「人間よりも一部部分突き抜けてAIが優秀」なんですから。
なので完全に絵師さんの仕事が失われてしまったとしても、数年後には全ての仕事が同様に失われてしまうんです。
確かにお絵描きだとか音楽だとか、そういう楽しいことを先にAIでやるよりも、公務員だとか経理業務だとかをAI化しろよ! って私も想ってます。
ぶっちゃけ「生成AIやディープラーニング技術」によって、リスクの低い仕事というのはほぼ無くなってしまいました。
なのでそもそもAIの登場により考えなければならないのは「自分の好きなことがAIに代替されてしまうこと」よりも「AIの登場によって人類がこれから何をするべきなのか、人間とはなんなのか」というより哲学的な領域のお話なのでは無いか、とすら思うことがあります。
もしくはAI的なものに対して、より人間的なものの追求だったり。
結局のところテクノロジーが時代を逆行したことなど一度も有りませんので、適者生存する為にはある程度時代を考慮してみる、という作業も必要なのでは無いかと外野は勝手に思ったりするわけです。
このような話は非常にナイーブな内容を含んでいるような気がしますけれども、あまりにも意見が極端に二分化して叩きあうみたいなのってそりゃそれでどうなの、って思っているのでこういう記事を書いています。
とにかく他者のやっていることに対してリスペクトを持つべきだ、というのが私のスタンスです。
絵を書くということは尊いことですし、かといって生成AIで画像を生成することが全てクソなのかというと、私はその行いにも価値があると信じています。