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生成AI画像の「無断学習」について「人間の脳の学習・勝手に受ける影響」とHIPHOPの「サンプリング」という概念などを用いて自己弁護をしてみる試み。

生成AIが学習を行うにあたり「ディープラーニング」という技術を用いているわけですけれども、これは言わば「自分の脳じゃなくて脳細胞を模したプログラムに学習してもらおう」という技術です。

今回は生成AIが出力する「画像・イラスト」を中心にお話をしますが、この「ディープラーニング」で学習されるのは「誰かの著作物」であります。

例えばNovelAIに関してはDanbooruというPixivを転載したサイトの画像と、Danbooru内で画像に設定されていたタグをベースに学習を行っており、NijiJournyなどでは「版権キャラまんま出てくる」などのカオスな問題を引き起こしております。

そして何よりも、絵師・イラストレーターの方々の「生成AIアレルギー」はとても強いものがあり、当然Pixiv上にアップされた自分たちの作品が勝手に学習され、さらに勝手に学習されたデータを企業がマネタイズし、さらにその著作物の特徴を勝手に利用してマネタイズしようと試みる人々(私もですが・・・)が沢山生まれてくるわけですので、その怒りは当然の様に思います。

しかし「生成AI」はこの世に生まれてしまいましたので、恐らく今後その存在が無くなることはなく、むしろどんどんと使い勝手が向上していきより普及して行くわけだろうなと思います。

さて、私は生成AIであるStableDiffusionを使い「人間が書くようなマンガに近づきたい」という取り組みをしており、Fanzaにて同人マンガを配信中でございます。※きたきつねねこで検索してね。

ということで、本日はこの「生成AI利用者である自分が自己弁護をする」というお話でございます。

誰かが「学習」をすることや「影響を受ける」ということを全て否定することが出来るのか?

子どものころは「漫画家になりたい」と思っていた私は、小学生のころよく紙に向かって好きな漫画作品の「トレースや模写」をしていた子どもでした。

当然、プロの漫画家が書くような絵をすぐに書けるようにはなりませんでしたけれども、こういった取り組みで人は絵を書くのが上手になります。

その甲斐があってか、中学生の頃は美術の先生に大絶賛される日々。しかし、絵よりも楽器が上手だと自己認識していた私はそちらの道には進みませんでした。※結局ウェブデザイナーになったけど。

さて、ここで疑問です。人間が学習することに誰も怒りませんが、コンピューターが学習することは駄目、という意見が多いのです。

なぜ機械的なイラストの学習が忌み嫌われるのか

これは当然のことなのですが、それは機械学習が「人間の学習速度」を遥かに超えるからです。脅威だからです。

絵を描く作業は「見た感じの特徴を脳で記憶する」ということ以上に「狙い通りの絵を手を動かして書く」ということが非常に難しいのではないか、と思います。

しかしAIは非常に美麗なイラストを秒速で出力できてしまう。しかもLoraを作成することで「誰かの作風そのまま」の絵を描くことが出来るわけです。

そうすると「数十年の時間をかけて絵を学んできた人」はとても不愉快な気持ちになります。当然の話です。

現在の生成AI画像は「人間が100年かかっても描けない様々な画風の絵を、秒速で生成出来てしまう」状況なわけです。
※とはいえ出来ないことはまだ沢山ある。

すると絵をかく方たちからすると「俺達の努力を軽んじるな」「俺達の仕事を奪うな」という気持ちがあたりまえの様に湧いてくるのは簡単に想像できます。

要するにこれは「機械化した肉体でオリンピックに出場するな」という話でありまして、「人間の作品」と「AIによる作品」を分ける試みやAIが禁止される対応が様々なWebサービスで取られているわけです。

人間の肉体には限界が有る。だから我々はテクノロジーを求める。

さて、人間がテクノロジーを手に入れないと東京に注文した商品は飛脚によって配送され、札幌に到着するにはおおよそ一ヶ月とかかかってしまうのでは無いかと思います。

しかし我々には車がある。飛行機もある。なので東京→札幌間の荷物は二三日で到着します。

というように、基本的に人間は「便利なテクノロジーにがんがん依存する」ということで幸せになる生き物なのです。

しかしテクノロジーを拒絶することで生まれる喜びがある。

しかし人間というのは2面性が有ります。なので四国の八十八ヶ所を徒歩で回ろうとしたり、42.195kmを自力で走ろうとしたり、自動車を持っているくせにロードバイクを買ってしまったりします。

どうやらこの「敢えて苦を選択する」というのは人間にとっては喜びなようです。私もそういう気持ちが有ります。

ですので「なんらかのレギュレーションを設け、その制限の中で自分の肉体を鍛え、競う」という行為の尊さは理解しているつもりです。

そしてこの制限の中で「美しいイラストを書ける人」というのはリスペクトの対象となりますし、そのリスペクトを得るまでの道のりは簡単では無いわけです。

しかし、そんな尊いフィールドに機械が土足で乗り込んで来てドヤ顔です。そりゃ腹立つわ。

しかし学習はこれからますます外部化され、学習・記憶の外部化によりすでに死に体の文化は多数存在する。

私は1980年代の生まれですから「雑誌」を読むのが普通でした。しかし現在は全く雑誌を購入していません。

ぶっちゃけ「インターネットという集合知」により、かつての様々なメディアはどんどん弱体化しています。特に雑誌は心配になるレベルで弱体化していると思います。

当然ラジオ、テレビ、新聞などもインターネットに取って変わられているわけです。

かつては「色々なことを知っている人」というのは貴重な存在でした。例えばマニアックな音楽のことをよく知っている人とか、小説をめっちゃ読んでいる人とか、まあいろんなジャンルに専門家がいたわけです。

しかし「インターネットの登場→記憶の外部化」により「博覧強記である価値」はほとんど無くなりました。検索したらすぐに出てくる。オススメの商品や音楽はシステムのアルゴリズムで提供される。

かつては情報の中心地であったオールドメディアは陳腐化し、時代はパーソナライズされた情報へ。超便利です。

そしてここで生成AIが登場しました。あくまで「記憶の外部化」でしかなかったインターネットに比べて、生成AIの強さは「思考・体験・学習の外部化」なのです。

要するに情報が蓄積されるだけのインターネットとは違い、AIは「人間の代わりに何かをしてくれる」というものなのです。

しかも「労働を代替しよう」という発想にはなかなかならないものらしく、なぜか「お絵描き」だとか「音楽制作」だとか「動画制作」だとかそういった「人間の遊び」ばかりAIは上手くなりやがります。

AIは「経理業務」も「つまらないメール送信」も「クライアントへの謝罪」も「営業活動」もしてくれません。

どうしても「アート分野」の方々はアーリーアダプター気質というか、新時代への適応が早い特徴が有るのか、こういった技術を実際的に試すには良いフィールドなのだと思います。

しかしつまらない作業もAIが代替する時代はそう遠くないように思います。

さて複線。

何が言いたいかというと「すでにテクノロジーに淘汰された当たり前のもの」というのは沢山あるのです。家にカセットテープのデッキをお持ちの方は手を上げて下さい。家には有りますけれども、ほとんどお持ちじゃないかと思います。

要するに「テクノロジーは破壊と再生をする」という事実から、我々は目を背けることは出来ません。

今までテクノロジーは様々な人間の営みを代替してきたのです。そしてその流れは止まらないようです。

生成AI画像で起きていることは「学習・体験の外部化」です。

今までは美しい絵を描くためには「学習・体験」が必要でしたが、びっくりするくらいのスピードでそれを外部化出来てしまったので、そりゃ皆様びっくりするよな、と思います。

天才で無ければ生き残ることが出来ない時代になったように思います。

誰でも85点以上のイラストが生成できてしまう時代なのですから。

まあしかし、人間は様々なテクノロジーに依存してきた背景はありますし、絵が描けない人にとっての生成AI画像というのは夢のアイテムなわけですよ。

そして自力で絵を描いてきた人にとっては悪夢のツールです。

とはいうものの、どうしてもテクノロジーが進んでいく中で、人間はそのテクノロジーとの共存の道を選ばなくてはなりませんし、テクノロジーの進化は無価値では有りません。

生成AI画像を出力することに取り組む上で、テクノロジーを活用することは必須です。

よって私の最初の自己弁護ですが、「テクノロジーが進んで行くことは止められない。ならいっそそれに乗っかってテクノロジーの活用方法を進めて行きたい」ということです。

「盗用」が人を豊かにする?90年代HIPHOPの「サンプリング」というカルチャーで生成AI利用を自己弁護してみる。

さて、お次の議題です。最近のこの機械学習によって「著作権を無視されている」とお感じのクリエイターの方にとっては非常に不快な内容かとは思うのですが、実は「著作権を無視した結果、世界的に面白くなってしまった文化」というのが存在します。

それはHIPHOP。HIPHOPの成り立ちは「ファンクなどのレコードで、ドラムだけのパートを二台のターンテーブルで交互に再生し、その上でラップをした」というのが成り立ちであります。

要するに「他人のふんどしで相撲を取った」というか「他人のレコード使って自分の音楽を作ってみた」というやつです。

ぶっちゃけ著作権もクソも無い。

そしてそれが80年代に入ると「サンプラー」という録音再生装置を利用して、様々な音楽のパーツをバラバラに切ってコラージュする、という技法でHIPHOPのビートが生み出されるようになりました。

そしてこの「他人の著作物」によって生み出された音楽は、世界的ムーブメントになり、サンプリングは結局著作権問題で下火にはなったものの、HIPHOPはアメリカにおいてロックよりも聞かれる音楽となったのです。

HIPHOPの「サンプリング」は悪だったのか。

それは簡単に割り切ることは出来ません。だって「リスナーは喜んだ」という事実はあります。

しかし、自身の楽曲をサンプリングされることを好まないアーティストは、HIPHOPアーティスト相手に訴訟を起こすことも多々有りました。

当然「サンプリングされた側は盗まれたと感じている」わけですので、盗まれたほうにとってサンプリングは悪です。

しかし出来上がった音楽は「フレーズは借用しているものの、サンプリングした作りてのクリエイティビティを全く無視することは出来ない」という事実もあります。

要するにサンプリングした、かっこ良い音楽が出来た、そしてそれはサンプリングネタを借用はしているものの「同一の音楽ではない」という事実が有ります。

善悪の判断は皆様にお任せしますが、私はこの「サンプリングで作られたHIPHOP」が大好物であります。

盗用とはいえ「クリエイティビティ」は必須だよね、という話。

このHIPHOPの「サンプリング」ですが、同じサンプリングネタが用いられる場合も有りますが、やはり出来上がりは別のものになります。

そして当然「格好良かった方の勝ち」みたいな空気も存在します。

「他人のなにかを使っているけれど、そんな中でもクリエイティビティが評価される」という土俵が生まれた、ということです。

ただ丸パクリするだけでは怒られてしまうと思いますが、他人の作ったものを切り刻んでそれを自分の表現に乱暴に吸収する、という文化はすでに40年前から存在していた、というわけです。

私がこのHIPHOPのサンプリングを評価したい点は「他人のフレーズを盗んででもしたい表現が有った」という表現に対してのモチベーションです。

楽器が弾けなくても音楽が出来ないか、というのがHIPHOPの根源です。

すると「絵が描けなくても絵が描けないか」という情熱にも、少し価値が生まれそうな気がしませんか?

機械学習とサンプリングの共通点

さて、これらの共通点ですがざっくり乱暴に表現すると「他人のものを使っている」ということです。

機械学習は「サンプリング」と非常に似ています。

機械学習:他人の絵を学習し、真似ることが出来る。
サンプリング:他人の音楽の一部分を再生したり編集したり出来る。

そしてサンプリングで作られた音楽は、盗用されたフレーズの楽曲と同一の楽曲にはなりませんし、生成AI画像も同様に学習された画像と同じ画像を出力するわけでは無いのです。

正直なところ、これらの「技法自体」に善悪を求めるのは難しいかと思います。

あくまで利用する人間のモラルや、リスクを背負いこむ意気込みだとか、盗まれたほうの心情だとか、そういった「感情的問題」がサンプリングはもちろん、生成AIの世界においても語られてしまうわけです。

話は戻るけれどやはり「クリエイティビティ」が全てでしかない。

さて、生成AIで画像を出力するものが自己弁護をはかる際、言い分はやはり「クリエイティビティ」しか無いと思います。

作りたい物がある。そしてそれを作るための技術が生成AIでした、みたいな感じで。

わりと生成AI絵師(笑)が叩かれる理由というのは「ただAIを利用して金儲けをしている」「絵師に対してリスペクトが無い」「ただのインプレ稼ぎ」「手で描いているとか言い始める」だったりするからじゃないかな、と。

はっきり言って生成AI画像の出力は、エクセルで在庫管理表作るとかよりも全然簡単ですので、ただ一枚の絵をプロンプト頑張って出したって「あっそう」で終わる労力なわけですよ。
※とはいえ私は美麗な一枚絵出せません。マンガ特化なので・・・。

まあさらにこの「AI絵師」のクリエイティビティの低さに関しては、Fanza同人のAIコーナーに行くと解りますけれども「二次創作ばかり」であることも上げられます。

確かにマンガやアニメの絵柄まんまエロ漫画化出来ますので、ToLoveるだとかSAOだとか、はては名探偵コナンだとかの二次創作作品が目立ちます。

なんか「AI使っていっちょメイクマネー」の匂いがします。

中にはちゃんと「技法」としてAIを取り扱おうとしている意思をお持ちの方や、「やっている内に技術ついて来てなんか面白いこと出来るようになってきた」みたいな方もちらほらいる感じですので、大変もったいない。

しかし「機械学習」という強力なツールを使って、誰かが努力して作ってきた市場をモラルなく蹂躙するのはやっぱり駄目だよな、とは思いますものの「絵が描けないけどマンガ原作には自信ある!」みたいな方にとっての生成AIというのは「優れたツール」であるな、とも思うわけです。

最終的に感情論にはなってしまいますけれども、やはり「創作に対する愛情」みたいなものが誰かに伝われば、技法に関してはあまり問題にならないような気がします。

ただ、残念なことにHIPHOPのサンプリングのようにAI生成が「強烈なクリエイティビティと新しさを、まだ人に届けられていない」ことや「成り立ちも解らんで絵師を叩くバカ」が沢山いる状況では、やはり生成AIイラストにヘイトが集まるのは仕方ないよな、と思います。

最後の自己弁護ですが「ちゃんとクリエイティブなことをするためにツールとして生成AIを使いたい」ということでお許し頂けないかと。










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