アイオカさん
何を捨てているんだろう。
何で捨てるふりしてるんだろう。
何で、こっちに気づかないんだろう。
そういう人なのだ。アイオカさんは。
コーヒーマシーンから出来上がりを知らせる音がして、コンビニの外に出た。
信号待ちをしていると、アイオカさんもコンビニから出てきて私の後ろで立ち止まった。コーヒーが熱い。持ち手を替えたいのに、どうしてか我慢する。右手が熱い。熱すぎる。
信号が青に変わる。人々に巻かれるように、アイオカさんは左に曲がっていく。私は右に曲がっていく。やっとコーヒーを持ち替える。右手の指と腹が真っ赤になっていた。
アイオカさんという人を知ったのは、彼と通勤の電車がよく被るからだった。電車とは埼京線のことだ。私は池袋にある会社に向かうため、渋谷で乗り換えていつも埼京線を使う。山手線も副都心線も使わない。埼京線がホームに入ってくるときの空気が好きなのだ。ボディの朴訥とした緑がいい。差してくる日光も、埼京線に反射すると少し柔らかく感じる。重苦しい気持ちにならずに会社に向かうことができる。
アイオカさんに目を止めたのは、(あ、本読んでる。)と思ったのが最初だったと思う。前髪が長くて、髪色は一度も染めたことないような真っ黒で。スーツがやけに似合わなくて、細身なのか、スーツの袖から見える手首の細さが目立っていた。アイオカさんは、青山ブックセンターのカバーをかけた分厚い本を、背筋を伸ばして読んでいた。重そうな本を、片手で持って読んでいた。
私は、自分と同世代くらいの人が電車で本を読んでいるとどうしても目がいってしまう。舞城王太郎を読んでいる玉虫色のスーツの人、吉本ばななを読んでいる赤い髪の人、カバーをかけた本に指を挟んだまま寝ているでかいヘッドホンの人。
本の嗜好と読者の人間性に結びつきがあるわけではないが、どんな本がどんな人に届いているのか、少し知れた気がして嬉しくなる。本を読むその人のことが気になっても、電車が一緒になることなんてそうそうないから、それきりになるのが常だ。他にはどんな本を読むのか。どんな生活をしているのか。どんな考えを持っているのか。すこし気になるけど、それは叶わずに日々はまた流れていく。東京に暮らしていれば、そんなの当たり前のことだ。人も日々も、すごい早さで流れていく。
けれどアイオカさんとは、乗る電車がよく被った。本当によく被った。池袋で降りるのも一緒だった。アイオカさんは青山ブックセンターか、紀伊国屋のカバーをかけた本を読んでいることが多かった。カバーをつけていないときは、『オーパ!』とか『旅をする木』なんかを読んでいて、カバーをつけるかつけないかの基準があるのかな?と思った。
「アイオカ」という名前だと知ったのは、あるとき、電車を降りて改札に向かっているときにかかってきた電話に、「もしもしアイオカです。ああ、その件はですね…」と応えていたからだ。アイオカってどんな漢字なのだろう。相岡?合岡?愛丘…?
低くもなく高くもなく、密度が薄い声で、普通に会話をしていたらするりと飛んでいってしまいそうな話し方だった。
帰りの電車が一緒になることはなかったから、行きの電車で毎日アイオカさんを探した。たいていは小さくなって本を読んでいて、たまに寝ていた。今日はどんな本を読んでいるのだろう。アイオカさんは読む本にカバーをつけていることのほうが多いから、表紙が見えなくてやきもきした。
私とアイオカさんには、池袋駅で降りた後の一連の流れができていた。電車を降りた後、西口を出てすぐのファミマに行き、その後信号を渡って、私は右に、アイオカさんは左に曲がる。分かれ道でやっとバイバイという流れ(本当に手を振るくらいできたらいいのに)。途中のファミマで、私がコーヒーマシーンの前でコーヒーが出来上がるのを待っている間、アイオカさんはお茶だとかエナジードリンクだとかを買い、ゴミ箱の前を通ってファミマを出ていく。アイオカさんから、実家の風呂場にいつも置いてあった石けんみたいなにおいがするのも、このファミマで知った。
信号が変わるのを待っている間、アイオカさんが近くにいて妙に緊張する。横断歩道を渡る人々に紛れて、アイオカさんは見えなくなる。そして一日がはじまるのだ。
そのアイオカさんが、“捨てるふり”をしていることを知ったのは、肌寒くなってきた頃だった。いつものようにコーヒーをマシーンから取り出して振り返ると、ちょうどアイオカさんがゴミ箱に近づいたタイミングで、手元が見えた。パッと開いた手からは何も落ちなくて、でもアイオカさんは平然とした顔でそのままファミマから出ていった。
今アイオカさん、何も捨ててなかったよね??
アイオカさんは真面目な顔を崩さずに去っていったから、そんなの私の勘違いだと思った。
いや、でも確かにあれは手を広げただけだった気がする。
真相が知りたく、それから私は、ごみ箱に近づくときのアイオカさんを注意深く見るようになった。
結論を言うと。私の勘違いではなかった。
アイオカさんは、ごみ箱に向かって何も捨てずにただ手を広げていたのだ。
真面目な顔をして、ゴミ箱に向かって手を広げるアイオカさん。晴れの日も、雨の日も。どうしてそんなことをするのだろう。謎は謎のまま、仕事に追われ、肌寒かったのが震えるほど寒くなった。
残業をこなし、今日は家で映画でも見ようと考えながら駅に向かっていると、アイオカさんが少し前を歩いていた。上司であろう人も一緒だ。
「アイオカくん、元気を出さないと。きみは……だから。
……みたいにそんなにしょぼくれていると、早死にするよ」
うまく聞き取れなかったけど、どうやらお説教を受けているみたいだ。それも理不尽な。
アイオカさんがそれに対してどう応えているのか、表情も分からなかったけど、嫌なきもちになっているだろうなと思った。なんて上司だ。「早死に」なんて言葉、よく使えるな。
アイオカさんは思い立ったように、
「じゃあ、僕、コンビニ寄っていくんで。お疲れ様です」
と言っていつものファミマに向かっていった。少し早歩きで。
「おう、おつかれい」
と言う上司の声を背後に、私はアイオカさんの後をついていく。妙な胸騒ぎがして。
ファミマに入って、声が出そうになった。
アイオカさんは、ごみ箱に向かって手をぐっと握っていた。
ぐっと、ぐっと力を込めた後、いつものようにパッと手を開いた。
捨てるふりをしたアイオカさんは、私をかわしてファミマから出ていった。
泣きたくなった。泣かなかったけど、泣きたくなった。
アイオカさんが、誰にも気づかれないように捨てるふりをしていること。
アイオカさんが、理不尽な説教の後、苦しそうな顔で手に力を込めていたこと。
アイオカさんが、私の視線にまったく気づかないこと。
映画は観ずに寝た。何もする気になれなかった。
朝が来たら会社に行かなきゃいけないから、嫌だって言ってばかりいられないから、支度をして電車に乗る。
また同じ車両にアイオカさんがいる。今日は青山ブックセンターの昔のカバーがかかった本を読んでいる。前に買った本なのだろうか。
アイオカさん、私もよく青山ブックセンター行くんです。新しいカバーも、前のカバーも良いですよね。どこのカバーが好きですか。どんな本が好きですか。
アイオカさんは、電車に揺られながら本を読んでいる。
ファミマに寄ってコーヒーを頼むと、
「あー今機械、洗浄中です」
と言われた。うまく聞こえなくて聞き返そうとしたら、後ろに並んでた人が早くどけと言わんばかりに間を詰めてきた。
そんな態度しなくても…と思いながらファミマを出ようとすると、アイオカさんがまたゴミ箱の前で手を広げていた。
アイオカさん、それ本当に誰にもバレてないと思ってんのかな。
私のこの気持ちも、それをすれば捨てることができるのかな。
ごみ箱に向かって見よう見まねで右手にぐっと力を込めた。ぐっと力を込めた。
瞬間、アイオカさんが私の右手を押さえて、
「そんなことしないでください」
と言った。
なんだそれ、と思った。自分だって毎日のようにしているのに。
肩に掛けた鞄から本が何冊か覗いている。持ち歩いてるの、一冊だけじゃないんだ。
アイオカさんの手は、ひどく冷たい手だった。
私の右手は、ものすごく熱かった。ファミマのコーヒーより、何倍も熱かった。アイオカさんの目は、細くて一重だった。私の右手は、とてもとても熱かった。熱すぎるくらいだった。
<了>
この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』2月号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「すてる」。人が目を向けなくなったものや、誰かが手放したものに光を当てた6作品が集まっています。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひごらんください。