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私の生まれた『町A』


People In The Boxというアーティストの『町A』という曲が好きだ。

2018年にリリースされた彼らの六枚目のアルバム『Kodomo Rengou』に収録されており、三曲目に配置されたこの曲に発売当時ガツンと衝撃を受けたことをよく覚えている。なおこのアルバムは明るく見通しがいいのに不安・不穏といった雰囲気が全編を貫いており、そういった複雑な味わいはピープル自体の魅力でもあると思っている。
最近Twitterのタイムラインにこの曲のファンアートが流れてきたのをきっかけにまた聴き直しているが、特にサビ、建造物の羅列だけでこれほど見事に量産型地方都市の風景を表す手腕には改めて驚かされる。音楽的にも『神社、寺院、中古車センター』のくだりのグルーヴなんか特に最高だ。
天国でも楽園でもなく、地獄ですらない。つまりは辺獄であり、停滞した地方都市をリンボになぞらえる羽多野裕文のセンスのキレっぷりが本当に好きでたまらない。
近年の芥川賞作家の中に彼らのファンがいる(しかも二人も)こともなんとなく頷ける。
自分は今までの読書体験の中で文学というジャンルはほとんど通過してきていないのだが、彼らやGRAPEVINEといったバンドの音楽からはそのエッセンスを嗅ぎ取れる気がする。
私にとっての文学は音楽の中にある。


趣味でダムや産業遺産を巡っている。そうすると必然的に地方に足を運ぶことが多くなる。行き先は山の中だったり産業の衰退した町が中心となり、華やかな場所はあまりない。
『町A』のサビで歌われるような暮らしのための店や施設は中心部に集約されていて、郊外に向かうにつれ家や田畑の他には何もなくなり、やがて野原や森といった自然の領域へと移り変わっていく。
車窓にはそういう風景が広がっている。

特に北海道の場合、産業遺産といえばその多くは炭鉱とそれにまつわるものを指す。ヤマの町はどこも華々しく一時代を築いた後、シャボン玉が弾けるように衰退していった。

私の生まれた『町A』もその中の一つだ。

父母は同じ町の出身であり、炭鉱夫と農家の娘のカップルだった。親戚もだいたいが農家か炭鉱夫。これだけでも他に目ぼしい産業のないモノカルチャーの町がどういったものであるのかお分かりいただけると思う。
全国的にも有名なとある農産物と、炭鉱。その両輪で回っていた町は、片方を失った途端急速に没落していった。
大事故による閉山、そして経営会社の倒産。父は仕事を失い、一家は活路を札幌へと求めた。新たな住まいは五階建ての特に珍しくもない団地だったが、初めて見る住居の形(集合住宅といえば炭鉱住宅と呼ばれる長屋タイプの建物が主流だった)がやたら新鮮だったのを覚えている。洗面台に栓をして水が貯められるのが面白くてベランダの手すりを擦りうっすらと塗料を移しては手洗いを繰り返していた。当時私はまだその程度のことで喜ぶような子供だった。
両親は慣れない土地に懸命に根付き、私も弟もそのままそこで学校に上がり、社会人となり、今も札幌市民として暮らしている。だからあの町を自分の故郷と呼ぶには正直なところ若干の後ろめたさのようなものがある。実際、あの町に帰るのは大人になってからは墓参り程度、年に一、二回あれば良い方だった。
それがダム巡りに目覚めたおかげで他家に嫁いだ今の方がよっぽど頻繁に足を運んでいるのだから、まったく人生は面白い。


谷底にへばりつくように細く伸びるあの町は、行政サービスの効率化のためにコンパクトシティ化が進められているそうだ。それでももはや、あの町は手の届く範囲に生活のために必要なものが全て揃う『町A』ですらなくなってしまった。巨大なショッピングモールは勿論のこと、パン屋もうどん屋もない。おいしいシナモンドーナツの店はある。
近年は企業の工場の誘致が進んでいるので若い人が少しでも定着してくれることを願っている。娯楽以前に、そもそも仕事がなければ若者は町を出ていくしかないのだ。
ネガティブなことばかりをあげつらう形になってしまったが、子供の頃の思い出もあるし、水は冷たくておいしいし、谷に沿って流れる川やそれをせき止めて出来た湖は碧く美しい。自然を身近に感じられる町だ。
これからも折に触れ通い続けることだろう。


もしもタイムマシンがあれば、『町A』どころじゃないスケールで繁栄していた頃のあの町を見てみたい。


残念ながらまだ幼かった私の中にその記憶は無い。

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