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METのトスカを映画館で


 1月30日、急ぎ大学の課題を討伐し、電車に乗って映画館へ。METことメトロポリタン歌劇場のライブビューイング(という名の録画映像)を見てきました。

 今日見たのはプッチーニの代表作『トスカ』。1800年のローマを舞台とした凄惨で血生臭いオペラです。

 上映最終日だったので、なんとか見に行けて良かったです。感想を書いていきます。


配役など

・トスカ  リーゼ・ダーヴィドセン
・カヴァラドッシ  フレディ・デ・トマーゾ
・スカルピア  クイン・ケルシー
・堂主  パトリック・カルフィッツィ 


指揮 ヤニック・ネゼ=セガン
演出 デイヴィッド・マクヴィカー
演奏 メトロポリタン歌劇場管弦楽団

上演日 2024年11月23日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場にて


詳細は松竹のホームページにあります。一部映像も見れますよ。


音楽の感想

 流石世界のMET。トスカ、カヴァラドッシ、スカルピアの主役3人は非の打ちどころがなく素晴らしかったです。なにしろ誰も無理して歌っているように聞こえない。繊細な表現や伸びやかな高音、豊潤な響きがあくまで自然に出てくるのです。アリアとか二重唱とかのザ・聴かせどころじゃないところでも、ナチュラルでリアルな表現に感嘆されられ、物語にのめり込むことができました。 


 とりわけ、スカルピア役のクイン・ケルシーさんの美声に聴き惚れてしまいましたね。バリトンながら華やかで明るさと重さを兼ね備えたケルシーさんの素晴らしい声。彼の声が劇に奥行きを与え、ドラマチックに仕立て上げていました。ただでさえ劇的な物語の筋が、セガンの巧みな指揮とケルシーの美声で数段魅力的に感じられました。


 そう。セガンの指揮にも触れないわけにはいきません。聞いたことのある音源や昨年7月に新国に見に行ったものと比べると、劇進行の描写が巧みだと感じました。第1幕では、アンジェロッティとカヴァラドッシの対話の場面、トスカに白々しく話しかけるスカルピアの場面、嫉妬と悲嘆に暮れるトスカの場面など。第2幕ではトスカとスカルピアのやり取りの場面など。ドラマチックで叙情的な音楽を創り出し、聴衆に人物の感情を増幅して伝達していたように思います。


 人気演目のトスカとなると、演者さんがどのような人物像を表現するかも注意して見たいですよね。今回のダーヴィドセンさんのトスカは、繊細で優しげ。ほんとに虫も殺せない、生あるものに悪いことをしてこなかったという感じを受けました。気性が荒い感じではなくて、なんだか安心して観れましたね。
 第1幕の二重唱は、ほんとにトスカが愛らしく感じられました。トスカとカヴァラドッシの上品ないちゃいちゃが見れましたよ。カヴァラドッシはトスカの可愛らしさに心底陶酔しているんだろうと思いました。

 トマーゾさんのカヴァラドッシは、思想の実現に邁進する人間というより、情に動かされる人間として表現されているように見えました。アンジェロッティへの友情とトスカへの愛情。この両立が叶わなかったのが、彼の悲劇かもしれません。

 スカルピアには、なぜか優しさを感じてしまったんですよね。私、もともとスカルピアというキャラクターが結構好きなんですよ。5音の動機と言い、テ・デウムで漆黒の翼を広げる感じと言い、2幕でのトスカへの畳みかけと言い、音楽がカッコよすぎるんです。
 ケルシーさんは悪役にしては声が明るくて魅力的すぎる。台本の表現する残虐無比な暴君には、若干のミスマッチ感もありました(パパ・ジェルモンとか歌ってるの聴きたい)。でもねぇ、それはそれで良いんですよ。強大さと気品を感じさせつつも、なんだかんだ言っていざトスカを手に入れたらデレデレになりそう。ツンデレ(?)なスカルピアとか素晴らしいこと限りなし。

 以上、総じて素晴らしい音楽・歌でした。メロディーラインと言い、ライトモチーフの使い方と言い、プッチーニの音楽の素晴らしさも再確認することができました。


次!演出編!


演出の感想

 伝統を踏襲しつつも少し独自性を出すという私の好きなタイプの演出でした。第1幕の教会は荘厳でシックな内装と金を基調とした豪華絢爛な祭壇。悪目立ちせずに劇進行を支えるいい舞台だと感じます。冒頭から祭壇横の足場に佇むマネキン(?)が、幕切れのテ・デウムではスカルピアを崇拝・恭順の対象としているように見えたのにはハッとさせられましたね。(テ・デウムは松竹のホームページで見れます)


 第2幕、スカルピアの執務室は、奥まった部屋に大きな長方形の机と、小さな丸い食卓、あと椅子や雑貨・小物が配されていました。壁紙は宗教画のようだけど、よく分からない混沌とした印象。劇中の状況を表しているようにも見えるし、スカルピアのたぎる欲望を表しているようにも見えます。壁の1箇所には十字架と聖書を置いた礼拝の場所が用意されていましたね。トスカの劇展開上、この十字架は欠かせません。また、聖書を置いていることで、スカルピアをそれなりの教養人で知性的な人物として表現しているのだと思います。

 トスカがスカルピアをナイフで刺す場面、トスカの手が紅く染まったのは芸が細かいなぁと思いました。一体どういう仕組みなんでしょう。


 第3幕はサンタンジェロ城の城壁の上が舞台です。大きな城壁の上には甲冑を帯び剣を抜こうとしている大きな翼の生えた像が置かれていました。冒頭音楽だけで進行する場面では誰かの処刑が起こなわれていましたね。
この演出は珍しいのではないでしょうか。

 総括すると、第1幕は神あるいはスカルピアへの恭順が、第2幕ではスカルピアの品格・神性が、第3幕では反抗と蜂起が、舞台背景によって表現されているように見えました。


 「反抗と蜂起」と書きましたが、誰の誰に対する反抗・蜂起なのでしょうか?恐怖政治を敷いていた王党派のスカルピアは第2幕で死んでいますし、共和派のカヴァラドッシは第3幕で処刑されます。スカルピアを殺したトスカも第3幕の最後で死にます。

 ここで、思い返したいのは物語の背後に存在する政治情勢・国際情勢です。トスカの物語は王党派が実権を握るローマで展開します。そんな中、ナポレオン勝利の報が飛び込んでくるわけです。これにより共和派がナポレオンを後ろ盾として躍進すること、王党派は一転して権力を追われること・迫害を受けることが予想されます。
 こう考えれば、「反抗・蜂起」とは王党派に対する共和派の反抗・蜂起と捉えることができるのではないでしょうか?


 さらに、最後のシーンは意味深でした。今回の演出ではスカルピアの部下が結構効果的に配置されていたと思います。第2幕のスカルピアの執務室にはスポレッタやロベルティが控えていることが多く、まさにスカルピアの犬という感じでした。トスカがスポレッタやロベルティに嘆願するような素ぶりを見せており、スポレッタ等が無表情に撥ねのけていたのも印象に残っています。そして第3幕ではスポレッタがカヴァラドッシの処刑に立ち会っていました。おかしいのはこの後で、カヴァラドッシの死を確認したスポレッタは一度退いた後、スカルピア暗殺の発覚による城内の騒動に加わって戻ってくるのです。果たしてスポレッタは、それまでスカルピアが死んだことを知らなかったのでしょうか?そして、なぜすぐさまトスカが犯人だと判明したのでしょうか?スカルピアがトスカと2人きりであったことをはっきりと知っていた者はスポレッタのみです。

 今回の演出では、スポレッタがトスカを処刑が行われる城壁へと案内していました。執務室から1人で出てきたトスカについて、スポレッタがスカルピアに確認を取らないことがありえるでしょうか?

 「トスカ」という歌劇にまつわる謎として、「カヴァラドッシはなぜ処刑されたのか」というものがあります。第2幕でスカルピアはトスカに見せかけの処刑を約束します。カヴァラドッシの処刑は銃殺を装い、実際は空砲を撃たせると言うのです。そしてスポレッタには、「パルミエーリ伯のときと同じように」と意味深に繰り返して指示します(プッチーニは敢えてこんなぼかした言い方にし、聴衆の自由な解釈を可能にしているようです)。

 何だかねぇ、今回の演出では、どうもスポレッタはキナ臭く思えてくるのですよ。すなわち、スポレッタはスカルピアの死を知っていたけれども、敢えて知らないふりをしていた。そして何らかの意図を持ってカヴァラドッシの処刑を差配した。ひょっとすると、スポレッタはスカルピアの死を受けて独断で実弾を込めさせたのかもしれない。などどいったように…

 こうしたスポレッタの行動、その背後にあるのはやはりナポレオン勝利の報ではないでしょうか?近いうちにナポレオンの軍勢が大挙してローマにやってくるかもしれないのです。国際的な共和派の旗頭とでも云うべきナポレオンが勝利し、ローマおける王党派の頭目・スカルピアが亡き今、スポレッタも身の振り方を考えなければいけません。

 私が思ったのは、「スポレッタが共和派への転向を企図してもおかしくないのでは?」ということです。スポレッタの元々の政治思想が分からないですが、強烈な王政信者というわけでなければ、この機に共和派へ鞍替えした方が得かもしれません。スカルピア死亡の混乱を収め、ナポリ=シチリア王国に反旗を翻し、ローマにナポレオンを迎え入れれば、スポレッタはローマにて共和国の重役になれるかもしれません。
 共和派への転向という発想は飛躍しすぎだとしても、スカルピア体制でナンバー2であったであろうスポレッタが、この機にナンバー1の座に就く野心を抱いたのかもしれません。厄介事の種になりそうなカヴァラドッシを(スカルピアの指示によるものとして)処刑しておき、王国に報告を上げることで、緊迫した情勢に乗じてスカルピアの後釜に座ることができるかもしれません。
 そもそも、スポレッタはスカルピアのことをどう思っていたんでしょうねぇ。リブレットだと恐怖で付き従っているように表現されていて、心中では嫌っていた可能性もありますよね。警視総監のスカルピアは、王国から派遣され、にわかに統治者の座に就いた人物。もしスポレッタがローマに長くいる人物だとしたら、スカルピアの暴政に思うところがあったのかも。スポレッタがスカルピアことを疎ましく思っていたとすれば、第3幕はスポレッタによる亡きスカルピアへの反抗が開始と見ることができるかもしれません。どんな形であるかは別として…


 などと…。いろいろと想像を誘起してくれるという点において、私好みの演出でした。


 演出の全体的な印象としては、3幕とも斜めの構図で、人と人との距離が近め。映像で見る限りでは、狭さを感じる演出でした。狭さ、これが意図して作られたものだとしたら、そこにはどんな意味が込められているのでしょうか。主役3人の死―可能性の収斂―を表現する意図があったのか。物語を歴史上・過去の一幕として矮小化し、現在と切り離す意図があったのか。あんまりピンくる考えは浮かびません。


 また、私はオペラを観る時、結構衣装にも注目して見てるんですが、今回はあんまり気付けたことはなかったです。1幕のトスカの胸の部分の模様と祭壇の十字架の光背(?)が似てるなぁと思ったぐらい。スカルピアが首からかけている紋章には何か歴史的背景や演出上の意味があったのでしょうか。知識がないから分かりませんでした。


 演出編、以上!一言で言えば、おもしろかった。



総評

 素晴らしい歌手と音楽。豪華でザ・オペラという感じながらも意味深い演出。そして垣間見えるリアリズムの追求。映像ながら大満足の3時間でした。「プッチーニとMET」とか、幕間のドキュメンタリーも良かった。
 欲を言えば劇場で観たい!生の音楽を聴きたい!


(こんなに書いたけど、『トスカ』を見たことない人にとっては何のこっちゃよね…)
(東劇では2/6(木)まで上映してるらしいですよ)




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