モナリザお京になった日
コロナのお陰で、長い間封印していた「トラック野郎」のDVDと巣ごもりの日々です。
今まで「封印」してきた理由は単純。
夢中になりすぎるから、です。
でもさすがにこの年齢にもなれば大丈夫でしょう、ということで久しぶりにその封印を解きました。
画面に次々と出る俳優の名前を見ると、あぁこの人はもう亡くなったんだっけ…と、寂しさがつのります。
ふと、ある人のことを思い出しました。
そういえばあのおじさんはどうしているだろう?と。
そのおじさんはトラックの運転手さんでした。
トラック野郎の世界に夢中だった小学2年生の私は、毎日国道に出てはトラックに手を振っていました。
古き良き時代。
みんな笑いながら手を振り返してくれたりクラクションを鳴らしてくれました。
それが嬉しく、来る日も来る日も飽きもせず国道で手を振り続けデコトラ観察をしていました。
そんなある日、1台のトラックからおじさんが降りてきました。
「毎日ここにいるけどどうしたの?」
「わたし、トラックが大好きなの!」
おじさんは優しく微笑み
「そうか!おじさんのトラック乗るか?」
と、言ってくれました。
今なら幼児誘拐とかロリコン趣味とか騒がれそうですが、そこは昭和です。
ドアが開く重い音、助手席の目線の高さ、目の前に拡がる景色の大きさは私の想像をはるかに超えていました。
エンジンの振動が身体全体に伝わり、文字通り身も心もしびれまくっていました。
おじさんの真似をして、妄想で「ワッパ」を回せば、気分は映画の第1作に出てくる女性トラッカー「モナリザお京」です。
私はその後も毎日のように立ち続け、おじさんのトラックに乗りました。
ですが出会いは別れの始まり、お別れの日が来ます。
その日おじさんは温かい大判焼きを買ってくれていました。
それを頬張りながら、私はその日も「モナリザお京」を楽しんでいました。
別れ際に
「おじさんな、仕事で遠くに行くからユカちゃんとトラックに乗るのはこれが最後なんだよ。これはね、おじさんからのプレゼント。元気でね。」
と、可愛らしい紙袋に入ったプレゼントをくれました。
突然のことで幼い私は深く理解ができません。
ただ、おじさんと遊べなくなるということはわかりました。
その日を境に私は国道で手を振るのをやめ、モナリザお京ごっこも終わりました。
あの人はどこの誰だったのでしょう。
生きているなら幸せだといいな、亡くなっているならどうぞ安らかに。
映画の一番星ブルースを聴きながら、モナリザお京になった幼いあの日を何十年ぶりかで思い出していました。
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