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vol.5/烏帽子親について。
前回【vol.4/擬制的親子関係の話。②】はこちら☟
https://note.com/kitajima_sd4/n/nd72e1427429c
少し寒くなってきましたね!
今回は、文献や資料から見る昔の烏帽子親(よぼし親)についてお話ししていきます!
〈烏帽子親とは〉
本来、烏帽子親とは、中世武家時代の加冠・改名など、大人になる通過儀礼の際に、成人する人に烏帽子をかぶせる人・その後も親のように付き合っていく人のことを指します。
16世紀ごろからは烏帽子をかぶる習慣は衰えたと言われていますが、庇護奉仕の関係性が残って今日に至ります。
〈能登の風習 よぼし親〉
石川県には、能登地方にのみみられ、加賀地方には事例は確認されていません。これは考察ですが、加賀・能登それぞれに文化圏があること、能登が半島として地理的に封鎖されており、発展が難しかったなどと考えられます。
文献には、よぼし親の類型として以下のものが挙げられています。
昔は図の「後見型」が約半数を占めていました。現在ほど寿命も長くなく、医療も発達していない時代は、実親が、実子の身を案じ、(自分がいなくなっても生きていけるように)とオヤを他に頼むことが多かったようです。
現在は、サービスの充実や様々な技術の進歩により、図一番上の「親類型」がほとんどとなっています。
要するに、手伝いがなくとも業者がいるということです。
昔は冠婚葬祭は家で行っていたことを知っている人は多いかもしれません。
主催する家は、膳や軽食の準備、来客への対応、間の準備、新郎新婦の身支度など、行わなければいけないことがたくさんありました。
家族だけでは手が足りないことを、よぼし親・よぼし子の力を借りて行っていました。
必要だから始めたことが、今では「なくてもなんとかなる、やらなければいけないこと」に時代とともに変わっていき、現在の廃れた姿になってしまっているのだと思います。
次回は、この風習を今後どうしていくべきか、筆者はどう考えてどう動いているか、事例を交えながらご紹介します。