不気味な人

 一緒にビーズのライブに行って楽しかったねかっこよかったねビンビン来たねってまくし立てながら歩いている雨の帰り道で、一切の文脈を無視して突然
「俺と付き合って」
と言われてわたしの興奮は一気に冷めた。
 せっかく楽しい一日だったのに。これからもこんな日が過ごせると思っていたのに。
 わたしの足が止まる最後の一歩は耳につく音をアスファルトに残して水を撥ねかした。回れ右で振り向いたわたしの前にいるのは顔を俯かせて突っ立っている達也。
「わたし、彼氏いるし」
 これからの展開がわたしには想像がついた。今までもあったことだ。何故か趣味の合う奴は男友達が多くて、わたしはずっとその関係がよかったのに相手は段々わたしのことが好きになってしまう。わたしはそれに気付かなくて、気付かない振りをしているんじゃなくてマジで気付かなくて、それである日突然「付き合ってください」。はい、お仕舞い。友達関係を続けようという奴やもう会わないでおこうという奴や振り向いてもらえるまでずっと待つよって奴がいたけど今彼の拓哉とはもう七年付き合ってていまだにラブラブだしそろそろ結婚も考えようかなあ考えてほしいなあって段階だからそういうのは全部脈無し、それに疲れてか諦めてか、結局向こうから離れて行ってしまうのだ。
 というか彼氏がいること、達也知らなかったんだ。隠している積もりは無かったんだけどそういう素振りや会話って無かったんだっけ? と思い出そうと頭を働かせる前に
「それでもいいよ」
って、え? それでもいいの? てかそれどういう意味?
 わたしの頭が達也の言葉に追い付かない。相変わらず俯いたままだから表情から何かを読み取ることもできない。
「二番目でいいから。好きなんだ」
「はあ? 何言ってんの? そんなことできるわけない」
 わたしに二股掛けろってこと? そういうことができる女だって思われてんの?
 ようやく上がった達也の顔を見てわたしは悟る。本気だ。
 本気だけど同時に諦めていることも引きつり気味の頬を見れば分かる。
「分かった」
 そう言って達也は傘を少し前に倒しながら、つまり顔を隠しながらわたしの横を通り過ぎてぴちゃぴちゃと歩いて行った。すれ違い様、わたしと達也の傘がぶつかった時にばいばい、と達也が言ったけどわたしは応えない。
 やけに諦め早いな、慣れてるのかな、振られ慣れてるって可哀想だな、というところまで考えて思い直す。既に彼氏がいる人に告白して振られることに慣れているんじゃないのって思ってしまう。根拠があるわけじゃないけど……。
 そんな疑問をぶつけたくて、それにとにかく誰かに話してすっきりしてしまいたくて、マンションに帰ったわたしは携帯のアドレス帳から拓哉のページを呼び出す。そこには「タクヤ」って登録名とテル番、メアド。タツヤってタクヤと一字違いなんだ……。そのことが何か引っ掛かってわたしは携帯をぱくんと閉じる。
 冷えた体をシャワーで温めてほうれん草と油揚げの煮浸しを作ってご飯とわかめの味噌汁をよそって座卓に着いたところで、やっぱり携帯を手に取ってしまう。拓哉。今日は仕事遅いのかな。達也に告られたことを話したら嫌がるだろうか、それとも怒るだろうか。たぶん悲しむんだろう、優しい拓哉。
 画面が暗くなってボタンを押してまた明るくして、また暗くなってを繰り返すうちに小さな食卓からは湯気が消えてしまって、それでもわたしはずっと携帯の画面を見ている。こんな時に拓哉から掛かってきたら運命を信じてしまいそうだ。もちろんそんなことは起こらないし、起こったとしてもそもそもずっと見てるんだから全然運命なんかじゃなくて確率的に説明がつく話だ。
 まずは用意した食事を平らげよう。
 平らげてまた携帯を弄ぶ。
 テレビを点ける。全然面白くない。今日のライブの動員数なんかが報道されて気分が悪くなる。
 とうとう拓哉に向けてメールを書き始める。まったく連絡しないでもなく、電話を掛けてしまうでもなくてメールという半端な感じがわたしってだめな奴だよなーと泣けてくるが仕方ない、その代わり練りに練ったメールを出してやるのだ。
 今日のライブの話をして達也の話が出てくるまでに二、三百字費やして告白されるまでやっぱり何百字か掛かってその後も二百字くらいわたしの整理のつかない意味不明な言葉を書き連ねたメールが文字数制限で送れなかったから推敲してうまくまとめてぎりぎりの文字数でようやく送って疲れたーってクッションに寄りかかったら拓哉から電話。
「はや。読むのめちゃはや」「いや、読んでないよ」わたしの努力は……。
 でも
「あんな長いメール送られたら何かあったってすぐ分かるよ。どうせチコちゃん、何時間も悶々としてたんでしょ」
と言う拓哉がもちろん正しい。
「どうせって言うなよお」
「んでどうしたの。今から行こうか?」
「んー、いい。声聞けたら落ち着いた」
「今日の夕飯何?」
「ほうれん草の煮浸し」
「あーうまそう。俺の分ある?」
 って拓哉は強引にわたしのうちに押しかけて来て抱き締めてちゅうしてエッチして朝まで一緒にいてくれた。ラブラブなのだ、達也なんかの入り込む隙間は無い。

 朝は目覚ましにしているビーズで起きる。六時丁度。いつもならここで自分ミックスのメドレーを聞きながら三十分ぐらい布団の中でもぞもぞしているけど今朝は気分が悪くてさっさと立ち上がってコンポを止めてしまう。原因はもちろん分かっている、達也だ。わたしの中でビーズと達也とが結びついてしまったのだ。ファック。
「おはよう」という声に振り向くとベッドで寝たまま拓也がこちらを向いている。
「ん」「何時」「六時」
 ちょっと考える間があって拓也が左手で布団を持ち上げるのでわたしはその中に滑り込んだ。
「ありがとうね」
「チコちゃんさ」
「んー」という声がくぐもるのは胸に顔をうずめているから。
「達也君とは会わない方がいいと思う」
「今達也の話したくない」
拓也がわたしを抱き締める腕に力を込めるので逆にわたしは力が抜けてしまって、何かを吸われているみたいだ。
「大事な話なの」
 頭を撫でてくる辺り扱いをよく分かっている。本気の時の拓也にわたしは絶対敵わない。
「別に男友達と遊ぶなってわけじゃないんだ。達也君に嫉妬してるってわけじゃない」
「うん」
「いや、ちょっとはしてるけど」
「ふふ」
「でも昨日のあれはなんか変じゃない?」
「変て?」
「変て言うか、不気味?」
 わたしもそう思う。
「不気味って?」
「分かんないけど」
「えー」
 と抗議しても拓也はそれ以上何も言わない。自分で分からない感じを拓也に言葉にしてもらおうと思っていたけどうまくはいかないものだ。
「お願いね」って言ってわたしのおでこにちゅっとしてくる。
「よしじゃあ起きるか!」
「もうちょっと大丈夫だよ。二十分くらい」
「俺はまずい。と言うか遅刻」
「スーツ一着くらいうちに置いとけばいいね」
「まずいよ」
「まずくないよ?」
「入り浸るもん」
「まずくないよ」
 問答している間に拓也はぱぱっとシャツを着てスラックスを穿いてネクタイを締めて背広を羽織っている。
 まずくないのに。

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