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生しらす丼の抱える闇

嫌いなものある?の問いにいつも「黒にんにくかな」と答える。
相手はいつも苦笑するか無いってことね。と流してくれる。
本当はニンニクがあまり好きではないが、肉料理等大抵の料理がニンニクを使用する)ので言わないようにしている。←気さくでいい奴

が、本当に食べられないものはなにかと自問した時それは「しらす丼」ではないだろうか。
~邂逅~
大学時代に友達といったときの事、元々内陸県に住んでいたこともあり生しらす丼の存在すらも認知していなかった。通りがかった飲食店店頭の「生しらす丼」の文字を見たとき正直に食べるしかないと思った。
「生」の持ちいる甘美な響きは一体何なんだろうか、生クリーム・生キャラメル・生ハム・生ハメetc...
鮮度=うまいという安易な連想から我々は「生」を過大評価していると思う。
~実食~
注文をして卓上に並べられた生しらす丼を見て業が深いと思った。漆黒の椀に乗せられた白米とおびただしい数の生しらす。なんだこれ生き物が過ぎる。ある程度の教養を受けた人がこれを喜んで食す意味が分からない。
勇気を出して口に運んだ。「まずい。。。」どこか生臭いし白米によって中途半端に熱を帯びているのが気持ち悪さを助長している。
卓上調味料にある醤油をこれでもかとかけ間食するに至った。
一瞬でどれだけの命を頂いたのか、まずいと思いながら、、、どうせならおいしく頂きたかった。
この多くの命が私の味覚に圧をかけて口に合わないことを口外すること自体がダブーな気がした。

それ以降生しらす丼に関連するすべてが嫌になった。
商業的付加価値に築かれた生しらすの死体の山に気付かないふりをして、「生」の響きに踊らされる消費者と利用する提供者。


生物は火を通した方がうまいし消化に良い。


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