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サウナイキタイ(タスケテ)

かなり厄介なことになっている。

毎日サウナに行きたいと思っているのに2ヶ月程行ってない。一番ハマってた時は週3くらいいってたのに、いまはどうしても動かない。


休みに入って気持ちを入れてサウナに行こうと車に乗る。気付いたら洗車して薬局に寄って帰っている。

何してんだよ、行けよ。


期待値がバカでかすぎていくのが億劫になってる。

東海オンエアりょうの自宅サウナやサバンナ高橋の別荘サウナ。日々SNSやyoutubeで見かけるサウナの数々、これが得られない人生に意味ある?

なんか太ってきて人前で裸になるの恥ずかしいし、何よりととのえなかったら二度と行けなくなりそうで不安。サウナを神格化しすぎて近寄りがたいものになっている。ぉぇ。
マジで出口ない暗礁に乗り上げちゃってる。第一歩を踏み出す理由がない。

なにするにしても自己愛といのは大事で、行動する時にその願望と己が見合っているかどうかが肝になる。そんなときよぎるのが「年越しデリヘル」だ。何回そのネタこするんだって感じではあるが、半年もたっているのにあの忌々しい経験から抜け出せない。年越しにデブス嬢にケツ穴掘られてる人間が幸せになれるわけねぇだろ。

最近の外出はGWに1日だけ徳山ダムに行って、ダム建設の為住居・故郷を失った建設前の家族写真や風景写真を見て悦に入ってた。邪悪が過ぎるだろうが。

ジムの会費も行ってないのに払い続けてるし、競馬も当たらなければ借金も増えている。報われるわけないだろ、いい加減「年越しデリヘル」以外に自己認識の指標を示せよ。

20代後半の指標として一般的なのは結婚だろう、人生設計に必要なパートナーの選定とパートナーとの共同生活が人間をより文化的にする要因なのだと思う。

正直自分としてはケッコン?少数民族の催しか何か?くらいの縁のない認識である、結婚式の場にいるすべての人が幸せそうな雰囲気。場にいる全員が役割を全うしている感が、かなり社会性でフォーマットに乗っ取っていた作りになっている。ご祝儀は社会性を体験できるお金だと思えば、悪い物でもない。いや、こうも続くとつらいわ。とは言っても時たま寂しい夜は来る。インスタのDMとかで元カノと些細なやり取りしてチョー楽しーってなる。いい加減現実みたほうがいい、相手は彼氏いるし3カ月に一度くらいの連絡で心踊らせて安眠するな。


プライベートで日夜頑張っていることってvalorantだけど、もしイモータル到達できたとしてこの暗雲立ち込める生活の一筋の光にはならない。ならないが今日新しく買った高めのキーボードが届くので、脳内麻薬を出せるように設計されたゲームで短期的に幸福を感じ騙し騙し生きていこう。

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