少数派へのあこがれ~からの、違いを知るってことに目を向けた話。
国内的な話題でいえば、お盆休みという地域が大半なのかな?
そんな大多数の話題で、メディアがさわいでいる中・・・
左利きの我がパートナー、
「8月13日は左利きの日なんだって」
と、教えてくれた。
私は、絵に描いたような、いわゆるフツーの右利き。
昭和歌謡に、ボーイフレンドが左利きって歌もあったね・・・
(自分の幼少期ではないよ、念のため)
幼い頃から私の中では、
鉛筆をもっているだけでもなんかかっこよかった。
左利き(サウスポー、レフティ)という響きは
憧れの存在だったので
柔道部のときに、顧問の先生から別個に指導を受けて
「チーム内で初の左つかい」になれたのはちょっと嬉しかったなあ。
そして自分の旦那さんになる人が、まさにその人っていうのも
嬉しかったんだけど。
結婚してから、会話でその不便さもあることや
いわゆる矯正をされたこと、
自分なりに、そばにあるものを使いこなす術を得てきたことを知った。
社会生活の中でも、ドアノブとか、改札とか・・・
少数派にとっては不便なときってあるだろうなあって
気づくことが増えた。
自分のもちあわせているものが、
全部正しいの基準として成立しないこともあるなあ、と。
最近は、少数派向けのいろんなサービスや商品も出てきているように感じる。
そして、社会の課題として、
少数派(というか、多数派の目から見えてなかっただけってことだろうけど。実はとても失礼だよなあ)への勝手な扱いや
これまで目をそらしてきたことに対する提言が増えてきた、かもしれないけど。
もっと近いところに、見えてないことがあるのかもしれない。
見えないことって、ないものとして生きてるもんだしね。
それにしても・・・
日本中(これもメディアが言ってる列島多数、ってことであるけれど)がお盆やら夏休みやらの話題が多いときに
左利きの日っていうのが、なんとも少数精鋭な感じで、
私には大ヒットだった笑
今日も、たいしたこと書いてないな~
でも、書きたかったんだよね♪