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ただ、そばにいる― 対話の大前提は、級友から教えてもらっていた。

小学生のとき。

同級生だったYちゃんは
どちらかというと、
おとなしい方だった私にとっては
苦手な子。

私は、学校があんまり好きではなかった。
できるだけ静かに学校生活を送ることを願っていた。

そんな私から見えるYちゃんは、
一見「やんちゃな人」で、
「何かとさわがしい人」という印象だった。

私の何が、Yちゃんにヒットしたのか
未だにわからないが

「勉強を教えてほしい」だの
「宿題を一緒にやりたい」だの
「一緒に遊ぼう」だのと言って
ことあるごとにくっついてきた。

選ばれた事実をもってしても、
私にとってのYちゃんは「できれば避けたい人」だった。

多感な時期だったからなのか、
勝手に一人で苦しみすぎて
家で「もういやだ」と泣いたこともあるくらい。

今の自分からしたら、
「そんなにか?」という感じだけど・・・

それでも断れずにいた私とYちゃんは
なんとなく、中学校時代も
一緒に通学することが多かった。

ある日のこと。

夕方、帰り道にYちゃんと一緒になったのだが
そろそろバイバイする地点だな、と思ったときに

「少しの間でよかけん、
ちょっと一緒におってくれん?
お母さんがもうすぐ仕事で家ば出るけん。
あんまり会いとうなかとさ」
と、いつもより小さい声で言った。

Yちゃんのお母さんは、義理のお母さんだった。

血がつながっていても、うまくいかないときはある。
本当のお母さんじゃなかったら、
また違う大変なこともあるんだろうな・・・

私はすんなり受け入れて
近くの公園で
Yちゃんのお母さんの出勤時間を待ったのだった。

何か記憶に残るような会話をしたわけでもなく。
静かな時間だった。

メンタルコーチは
「共にいる」「協働関係」等を大切にする。

指導をしてくれていたコーチは
クライアントの「そばにいる(be with)
と表現していた。

私自身も、コーチングを人に伝えるときに
仕事でよく使わせてもらう言葉なのだが

口にするたび、
この日のことを思い出す。
これが小学生の頃だったか、中学生時代だったかは
今となっては定かではないけれど。

何かしらの思いを抱える相手に対して

こちらがどうにかして、解決する
のではなく

そばにいる、それだけで力になる
という体験。

それはたしかに、
メンタルコーチとしての、私のあり方につながっている。

お互い進路が違ったので
卒業以来、会うことはなかったけれど。

今、幸せにしてるかな。
Yちゃんの幸せを願っている私がいる。

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