同じ場にいる人全員でその場を構成する。会話の責任も、一人だけが負うものではない。
二人以上が同じ空間にいたら
その場の空気― 居心地や安心感、充足感などは
一人だけではなく
そこにいるみんなのエネルギー(関わり)によってつくられる。
メンタルコーチである私は
コーチとして仕事をし始めた当初、
いや、もしかしたらつい最近まで
自分一人が、
その空間をよくするためにがんばらなくてはいけないと
思っていた気がする。
違う言葉でいえば、
相手の反応や場の雰囲気などをうかがいすぎていた、というか。
プロだから、
観察力や場の状態を見る、という点でいうと
一定のレベルでは、当然必要な能力なんだけど。
かつての私は、
本当に未熟で不勉強なことが山ほどあって。
(経験が足りないから当たり前だけど)
職場で、自分ではやっているつもりでも、
「できてない」とお叱りをうけることが多くて。
「もっと空気を読みなさい」と言われて
もう、そのプレッシャーが半端なかった~
(言った側は、そんな厳しくしたつもりはなかった。
あくまで私の受け止め方です)
またあるときは、
自分が後から加入したグループでされた誰かの発言に
みんなが反応しないからと
「自分が何か返答しないといけない」
と思ってしまったら、さあ大変。
その返事のために、
目の前にある大切な人とのコミュニケーションがほったらかしに!
返信の内容を考えるのに時間を取り過ぎて
めちゃくちゃ疲れた経験もあった~笑
逆に、
変な空気になっている場をやり過ごすために
何も知らないふり、わからないふりで
とにかく嵐が過ぎるのを待ってたりもした!
恐かったのね。今思えば。
場の沈黙、
相手に良く思われたい、
この場をなんとか(私にとって)良い状態にしたい、
いい時間だったと思ってほしい
・・・
そんなの、私が決めることではないし、
私の力では決められないこと。
それに
自分だけの力でなんて、傲慢のかたまり笑
もっと、相手のことを信じていい。
そもそも、
「場」っていうのは
そこにいる全員がいるからできていくもの。
自分一人ががんばる必要もない。
相手が何も言わなくても
受け取ってくれているなら、
何らかの反応があってそれが場の空気に力をくれるはず。
喧嘩両成敗って言葉があるけど
両方に責任があるのは、けんかだけではない。
同じところにいる、
みんなの力が集まってその空間がある。
力まなくても
その場はつくられている。
発するのも、発しないのも、みんな自由なのだ。