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役割や立場の前に、あの人も「人」だった。

そんなの、当たり前のことなんだけど。

10代の頃と、40代となった今では
両親や兄弟との関係も変わってきた。

特に、父とは。

最近は、お互いの年齢だったり、
離れて暮らしているという環境の変化が
もちろん要素の一つにはなっているはずだけど。

子としてはずっと、
「父」という存在の「あってほしい姿」があった。

決してそうではなかった振る舞いを
恨んで、許せない時期があった。

子としては、
その言動や態度に、大きく左右されてきた。
自分の思考や、進路などの大切な時期も。
辛い経験もした。

今も、その記憶を忘れたわけではない。

それでも ― 大人になってから聞いた、母の話の中で
ずっと感じていた父とはちがう、
別の姿を知ったときに
ちょっと泣いてしまったことがある。

知っているようで、
実は父のことをよく知らなかった。
(これは両親ともに言えることだけれど)

父も、歩んできた人生において
選ぶことができず、自分の力でなし得なかったことが
たくさんあったのだ。

そしてまた、
どうしても辛い記憶のほうが色濃く残っているけど
父として子を思う気持ちは、人一倍強い人なのだ。

そりゃあもちろん、子どもから言わせてもらえれば
父自身が親になったときに、
「我が子にはそんな思いをさせない」
と決意して生きてくれたらよかったわけだし
辛い歴史は繰り返してほしくないわけだけど笑

それでも
年月が経ち、年齢を重ね
だんだん体にもその影響が出ている父を目にして、
違う側面を知ったとき

過去の恨みつらみを
持ち続けてもしかたないのでは?
という声が、自分の中からしてきて。

父という存在を
大きく設定していたのは実は私だったかもしれないし、
そのフレームにおさめたかったのかもしれないと
感じたのだった。

一方で、その人とともにある母という存在は
その小さい体で、何をもってそんなに強いのかと
感じてしまうのだった。

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