「付き合う人を選ぶ」ということ。
十代のころ、
両親から「付き合う人を選べ」と言われて
爆怒りした記憶がある。
その時は、私の友人関係を否定されたような気がした。
私は親になっていないが
親と同じ年代になった今、
我が子を心配しての言葉だったのがよくわかる。
そして、この話とは事情がちょっとちがうけど
「選ぶことは必要だ」ってこともわかってきた。
ちょっと前まで
『苦手な人とも付き合えるようにならなければ』
『自分の成長のために、ちょっとぐらい我慢しなきゃ』
と思っていたし
区別することを
「悪」「良くないこと」と思っていたから
あいまいに判断して、ごちゃ混ぜしていた。
質が全く異なるものだ。
10回のうち1回ぐらいは、そういう場に行くようにしたために
くったくたに疲れて帰宅するという経験をしてきた。
そもそも、そんな「大人の」付き合いができない私なのに!笑
疲れる経験を繰り返すうちに、私は
◎私を信頼して言葉を発してくれる人 と
◎単に自分を押し通すために、誰でもいいからと
一方的に言葉を吐き出す人(自分だけスッキリしてるパターン)
がいると気づいたのだった。
後者にとって、相手は誰でもいいのだ!
前者は、
私を(自然にまたは意図的に)選んで
コミュニケーションをとってくれる人。
私にとって、共にいる時間を好み、大切に過ごしてくれる存在。
ちがう表現をすると、
安心して過ごせる・・・
その都度、「どう反応すべきかを考えて力まなくてもいい人」たちである。
「~を見つけたのがうれしくて♪」と連絡をくれる人、
「この間の○○、めちゃくちゃおいしかったね!」
「会えてよかった!」「ありがとうね」
と伝え合える人。
どんな人とつながっていたいか。
今の自分を認知するために
いろんな人とつながるのはありがたいけれど
息苦しい関係に費やすのは、最小限のエネルギーだけにして
自分が安心して自分でいられる人と一緒にいたいし
自分も、相手にとってそういう存在でありたい。