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その後の仁義なき『橋本治展』

元町中華街駅から歩いて、港の見える丘公園へ。バラ園はいい匂いで、多くの人が眺めたり写真を撮っていた。

奥に大佛次郎の記念館

大佛次郎さんは『宗方姉妹』を今読んでいるところなので、興味深かったんだけど、読み終わってからってことで、素通りし、神奈川近代文学館に。ちょうどいま、『帰ってきた橋本治展』をやっているのである。

中学の時、ファンタジー小説を読んでいたぼくは、徳間ノベルズから出ていた『ハイスクール八犬伝』を愛読しておりました。連載していた『SFアドベンチャー』も買ってたぞ。その流れで、『桃尻娘』シリーズやら、エッセイを読むようになった。あ、そうそう小学生のときにもNHK教育で『まんがで読む枕草子』とか『まんがで読む古典』の徒然草を毎週楽しみに観ていた。『桃尻語訳枕草子』『絵本徒然草』を知った時は嬉しかったな。

なので、橋本さんの本は、出るたびに読んでいた。「わかんないな〜」って内容は流し読みして、とにかくなにか、自分で考えるための知恵が欲しかったんだろう。展示のなかで「本を読まないが頭のいい十五の男の子」を最低限の読者として想定していた、とあった。ぼくは頭は良くないんだけれど、そういうときに出会ったのだ。
古典の知識も古典の面白さも、調子の乗り方も、橋本治さんの本で学んだと思う。自分の武器になっているかというと、使いこなさせていないけれど。

というわけで、「あ、この本持ってた〜」「『双調平家』の原稿用紙の束えぐ〜」などなどかなり、楽しませていただいた。写真もポスターにイラスト、そして編み物も実物を拝見できて、ファンとして大満足です。

最後にお見送り!

では結局、ぼくにとって「橋本治とはなにものだったのか」という話である。
正直、わからない。最近出た橋本治さんの評論を読み、「すごいな〜」と素直に思ったんだけれど、自分もちゃんと言葉にしたいといつだって思っているんだけれど、きちんと論理立てて語ることはまだできそうもない。なんなら一生できなさそうで、それはそれでなんかもったいないな、って思う。
『日本の美100』(平凡社)、のなかで、美しいもののひとつに、たしか青空をあげていたと思う(ごめん、いま手元にないから正確ではない)。

”幸福がありうるかもしれない”と思うからこそ、男は空を眺める。男はそれで幸福を予感出来る。その程度に、男は孤独というものに慣れている。そんな男というものを不幸にするのは、”それで幸福になれる”という断定が消えた時だ。

橋本治『つばめの来る日』角川文庫

「気づかない男たちの上に空はある」−−こう置き換えると、幸福という現実離れのした言葉も、なんとなく身近に感じられてしまう。

同上

おかげで一人でいて、空を見上げていると、橋本治のことを思い出す。「きれいだなー」と思い出させてくれる人として。

近代文学館を出てすぐの眺め



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キタハラ
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