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野生の校正者

 図書館をよく利用している。ネットでさくっと予約して、近所の図書館に到着したらメールがくる。便利だ、便利すぎてたまにやらかす。図書館にいけなくて、せっかく取り置いてもらったのに期限が切れて返送されてしまったりする。だいたい十数冊図書館から借りた本があり次々と到着するもんだから、貸出期限が近づいて慌てて斜め読みをしたりする。人気作品はいつまでたっても届かないし、次の人が待ってるから、と最優先で読まなくてはならないしと大騒ぎだ。
 本を出すまではそんなに気にしなかったことがある。本の誤字脱字。いや、ときおり「おっ」と見つけたりしても、べつに気にせず読み進めるし、読むスピードがあがると気にせずにぐいぐいといってしまうこともある。多分脳みそが、間違いを見つけても勝手に訂正してすらすら読んでしまうのだろう。あるいは読ませる力がある本、とか。
 いくら校正しても、完璧にまちがいのない一冊にならないときがある。校正者がチェックしてくれたものを、作者は確認してオッケーを出す。しかしプロの校正でも見逃してしまう。何百回と読み返した作者にも、一行一行チェックする編集者の目もかいくぐる「間違い」。僕のデビュー作にもいくつかあった。出版後、増刷したら直したり、電書は訂正をしてもらったりする。分厚い本を出す作家さんは、何十と刷っても間違いが発見される、といつかの講演会で話していた。
 図書館で借りた本を読んでいると、間違っている箇所を鉛筆で訂正してあるのをよく見かける。難しい漢字にふりがなが入っていたりする。なるほどたしかにふりがなは入れてもらいたいところである、がちょっとおせっかいが過ぎるかも。自分用とか?
 先日資料を読んでいたら、年表に訂正が入っていた。ネットで調べたら、たしかに間違っていたみたいだ。すごい。あとから読む人のために、チェックしてくれているのだ。もうこれは「野生の」校正者といえる。
 そしてたまに、校正者は暴走する。ある図書館本には『?』と書いてあった。文章がわかりづらいということだろうか。ときどき僕も校正で「いや、それはあなたの主観でしょ」みたいなメッセージをもらうことがあるが、これもちょっと度が過ぎているような気がする。間違いの訂正までならかわいらしいが、「?」って。次に読む人と思いを共有したいのだろうか。それとも図書館の本を自分のもののように扱っているのか。
 しかし、図書館の本、は面白い。ページを開いてチョコの食べこぼしにでくわすと、うげっ、となるが、かつて自分以外の誰かが、チョコを食べながら読んだのだなあ、なんて感慨にふけってしまう。いや、汚いけど。

 

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キタハラ
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