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20年前の贖えない言葉




この動画は削除されています。

僕はその時になってようやく気付いた。
推しを傷つけていたのだと。


それは何気ないコメントだった。
「声がおばさん」
僕の言葉が誰かに届くなんて思っていなかった。
なのに配信には僕のコメントへの共感が幾つも流れた。
推しの声はとても穏やかで落ち着いていて、母性に溢れた心地よい声だったから、それへの素直な好意を茶化した僕のコメント。
だからこそその言葉はファン達に受け入れられてしまったのかもしれない。
流れるコメントを推しは優しく否定してくれた。
でもその後もファン達によってその言葉は繰り返され、推しはその度に穏やかに否定したけれど、それを僕もファン達も他愛ないネタの一つだと誤解してしまった。
まさか本気で嫌がっているなんて思いもしなかった。

そんなある日、推しは傷ついていたことを文章にして明確に表明した。
僕は混乱した。悪気は無かった、むしろ親愛の表現だとすら考えていた。
そもそも僕の言葉が誰かを傷つけることがあるとすら思ってもいなかった。
愚かな僕がそんなふうに途方に暮れている間に、決定的な決別は進んでいた。
Twitterを見た僕が知ったのは、推しが動画のみならずチャンネルすら削除しているというファン達の悲鳴だった。
慌てて確認すれば、動画やチャンネルが全て削除されていた。
もう僕はパニックになりながらTwitterへ謝罪の言葉を書き込もうとした。そのとき、新たなツイートが追加された。
痛いほど高鳴る心臓と、凍る背筋、震える手のままに見たツイートには推しの別れの言葉が記されていた。
僕はもう慌てて、本当に驚いて、早く謝罪の言葉を書き込もうとした。
そんなつもりは無かった。傷つけるつもりなんて無かった。謝るから、もうしないから、お願いだから、お願いだから、行かないで、行かないで、行かないでください。
本当にごめんなさい。
早く謝らないといけなかった。
だけど、書き上げる度によぎる思いがあった。
また傷つけたら?
悪気無い言葉が推しを傷つけていた。推しをここまで傷つけていた。
僕は国語が苦手で、人の気持ちを思いやれない、イカレタ大馬鹿者なのだ。
そんな人間が書いた文章が、また推しを、誰かを、傷つけないとどうして分かるのだ。
だから誰かに見て欲しかった。言葉を上手く使えない僕に、誰も傷つけない言葉を教えて欲しかった。
でもその誰かは誰もいなかった。
そして僕は悩んで、何度も書き直し、いっそなにも書き込まない方が良いのではとすら思い至り、それでもやはり謝る言葉だけは伝えなければならないと思い直した。
その時には、全ては手遅れになっていた。
推しのTwitterアカウントは削除され、僕の言葉は届かなかった。
いつでも会えると、いつでも見られると思っていた推しは消えてしまった。永久に。

それから20年たっても推しは帰ってこなかった。
同時にその20年間は私にとって決して贖えない罪と向き合い続ける日々だった。
誰にも謝罪できず、誰からも糾弾されず、ただただ自分が壊したあり得たかもしれない推しの未来を想いながら過ごしてきた。
私は安易に書き込むべきでは無かった。
私は言葉の強さを知っているべきだった。
私は推しの気持ちを察するべきだった。
ここにきて、もはや謝罪することも糾弾されることも、どちらも私は望まない。
どちらにせよ、きっと私は救われてしまうだろうから。
このまま私は後悔しながら過ごす。そうするべきだった。










この掌編小説はVRChatのコミュニティ企画「第8回きっとあなたの1400字」に応募したものをnoteにて再公開したものです。
作品はVRChat内、言ノ葉堂2号店にて公開されていますが、VRでは文字を読みにくい方のためにnoteにて公開します。

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