ドーナツの穴
デザインについてプレゼンを終えると、時々「意図や意味」を問われることがあります。色、形、配置、など、なぜそうしたのか、そこに意図や意味はあるのか、どういう目的でこのデザインに至ったのか、などなど。
もちろん、尋ねられたポイントに何か意図があって、意識下でそのデザインにした場合は、その意図を答えます。でも、全てが全て、そうした理論的な構造でデザインが成り立つことはほぼなく、意識下にはなく、言葉にできないが「なんとなくそうした」ということも、ときどきシシトウにやけに辛いものがあるみたいに普通に存在します。
その場合、はっきりと意識下にあって、明確な意図や意味があるほうが立派で正しく、意識下にない曖昧なものや説明のつかないものは良くなく、デザインされていないもの。とされがちです。
冷静になって考えると、「なんとなく」とか「わけもなく」というような、言葉で説明できない感覚は、決して捨ててはいけないものです。例えば、なんとなく先の尖ったものには恐怖感があるし、知らない街を歩いていて、なんとなくこれ以上先に進むと危険かも。と感じることは誰にでもあるはずで、なんとなく感じることは、結構大事な動物的感覚が含まれています。その「なんとなくの感覚」を絶対外さないことは、意識のもとで結論づけていく理屈と同じか、むしろそれ以上に大切で、「なんとなく」や「わけもなく」の方が、デザインの土台になりやすいです。
『なぜドーナツに穴があるのか』は、火の通りを良くするため。みたいな説はあるにせよ、サーターアンダギーを見ると、それが定説とは言い難いです。また、ドーナツはあのカタチこそがドーナツであり、あの愛嬌のある穴がドーナツの最大の魅力です。そこに強い意味や意図はなくても、ドーナツの弱みにはまったくなっていません。むしろ最大の強みです。
ぜひ、意味や意図と一緒に「このデザインで、なんとなくこうした」というようなところはあるか?と、デザイナーに尋ねてみてください。