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僕の恋人を紹介します

最近、アコースティックギターを買った。

まともに楽器を触るのは実に5年ぶりのことで、記憶の中の自分と今ギターを抱えている自分との技術面でのギャップに恐れ慄いている。

すっかり柔らかくなってしまった左指は、鉄線を押さえる圧で痺れている。


きっかけは、ある人に「人生で1番長く続けたことってなに?」と尋ねられたことである。

その質問が為されたのは車での移動中のことである。退屈な時間を潰すための話題の1つに過ぎなかったが、わたしは少し考えて、「音楽」と答えた。

文章を徒然と書いている私ではあるが、人生で最も慣れ親しんだ娯楽は音楽であった。
小学校の6年間ピアノを習い、部活動は鼓笛隊に所属し、ユーフォニウムという最近アニメで話題になった管楽器を担当していた。そのまま中学校では吹奏楽部に入部するも、痛恨の金属アレルギー発症に伴い、高校では一時的に音楽から離れるも、大学の4年間はいつもエレキギターを抱えていた。
都合13年間、私は音を鳴らして過ごしたのである。

最後に楽器をちゃんと奏でたのは大学4年生の卒業イベントだった。私はこれまでの私を殺すように、ステージ上でギターを床へ叩きつけ、真っ二つにへし折ってステージを去った。

あれは今にして思えばまだまだ子供だった私なりの、決別だった。学生という立場から社会人になる上で、これまで好きなことを好きなだけをしていた自分との決別をするのだと、そんなようなことを考えてやったのだ。

そんなふうに派手に音楽とお別れをした私だったので、思わずこぼした「また音楽やりたいなぁ」という呟きへの「やればいいよ、いつでもできるんだから」という言葉が、なんだか免罪符のように感じた。

今までも何度かバンドや楽器の誘いはあったが、頑なに断っていた。
ちゃんとお別れをしたのだから、もう音楽に時間を費やしすぎることはしてはいけないと思っていたからである。
でも、そうでもないのだ。やりたいときに、いつでも人はやりたいことができるのだ。
お別れをしたからと意固地になっていたのは、私だけだったのである。

「そうだね、いつでもできるんだね」と私は答えた。


思い立ったのは、YouTubeで小林私というアーティストの動画を見たからである。

彼は非常に中性的な顔立ちで、煙草を燻らせながら、渋いしゃがれ声でアコースティックギターを抱えて歌う。
動画の背景はいつだって彼の自室である。美しい彼が小さな部屋で気ままに、自由自在にギターを奏でる様は、なんだか私にとって大きな衝撃的だった。

小林私の動画を観た次の日、御茶ノ水で安いアコースティックギターを買った。
なんてことはない安物のギターである。ブラウンのサンバーストで見た目は気に入っているが、すぐに弾きたい気持ちが抑えられず、調整もしてもらわずに持ち帰ってきてしまったので、たいそう弾きづらい。

アコースティックギターという楽器はボディが大きく、中身がほぼ空洞の木箱のような構造なので、とても大きな音が出る。
楽器の音は想像よりも響くので、あまり遅い時間に弾くことはできない。たとえ昼間でももし隣人がリモートワーカーだったらと思うと、思い切りストロークするのもなんだか遠慮してしまう。

おかげで、休みの日に昼過ぎまで寝入ることが減った。いつもよりは少し早めに起きて、迷惑にならない程度の音量で、おそらく迷惑でない時間帯にギターを触る。
仕事もダラダラやらずにサッと終わらせて、できるだけ小さめに口ずさみながら弦を弾く。そんなギターに振り回される生活だ。

コードなどの勉強は全くしてこなかったので、ひとまずはコード表をチラチラ眺めながらただ爪弾いているだけだが、それだけでいつの間にか時が経っている。

人が何かを始めたり、決断したり、その逆に何かを辞めることだって、早いも遅いもないのだ。

早く自分だけのコード進行に気付いて、早くこの先の可能性を、見たい。

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