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高校時代の黒歴史

読んで頂きありがとうございます!
今回は高校時代を振り返り、ああすれば良かった、こうすれば良かったを言いながら思い出を話したいと思います。
精神的に追いやられる要因が驚くほどあります。是非とも何をやっても上手くいっていない人に見て頂きたいです。ご意見等あればどしどしお願いします!

はじめに

 まず初めに私自身の経歴から話しますと中学、高校共にほとんどをベンチを温めていました。これが強豪チームなら仕方の無い部分というものがあるかもしれません。そのような状況であれば同ポジションに多くのライバルがいて厳しい競争の結果に試合に出る回数が少なくなるということがあることでしょう。
 しかしながら私は中学、高校共に同級生10人前後、1学年下の後輩が5、6人という地方の公立校出身です。この数字を見ると逆にどうやってベンチメンバーになるのかと思うでしょう。

なってしまうのが当時の西尾クオリティー

 この西尾クオリティーになった要因を野球的な面とメンタル的な面の2つで考察していきたいと思います。

野球的な面

 これはとても分かりやすい部分です。単純に守備です。ではどのくらいのレベルかと申しますと




ゴロが飛んできたらほぼエラーです





 だからと言ってフライ捕るのがが上手いのかというとこれもまた下手です。外野からの送球が良いのかというと強さはあるけど大多数が逸れます。
 といったように破壊的な守備をしていました。(一緒にプレーした人はこの片鱗を見たことがあるかもしれません)
 あまりの下手さに練習試合前に相手チームと合同でノックを受ける機会があった際に相手チームの選手から滅茶苦茶に笑われ、バカにされたことだってあります。今思うと当然そんなことになる実力です。
 今も特別上手い訳では無いですが高校時代を知っている人からすると今の自分の守っている姿を見るととてつもない成長をしていると思うでしょう。

 またバッティングも悲しいレベルでした。当時からチームの中でスイングスピードは速い部類に入っていましたが何せ当たらない。サードゴロ、ショートゴロ量産装置。打率も1割にも満たない位だと思います。(当時嫌になって数えてないです。)

自分が監督でもこんな選手使いたく無いです。またこれだけではなくメンタル、性格の部分まで使いたく無い様な代物でした。

メンタル的な面

 ここが一番反省しなければならない要因です。 
 まず1つ目はありもしない他人の目を気にし過ぎていたことです。実力が無いのはある意味仕方の無いことだと思います。中学から野球を始めていて、周りは少年野球からやっているという経験的な部分や試合の出場経験数など累積の点は仕方の無い部分ですがそれを勝手にコンプレックスにしたり、試合に出られないからといって自分を追い込んで卑屈になっているのは全く違います。そのようなどこか暗い部分が出てしまっていることにより色んな部分で吹っ切れず実力が伸びずそこでまた暗い部分がさらに暗くなるという暗黒のループに入っていました。そういう選手はどれだけ頑張っていても扱いにくいですし、面倒なので関与したくないという気持ちは生まれても仕方の無いことだと思います。この様な面倒な選手を我慢強く見てくださった当時の指導者の方々には感謝しか無いです。
 もう2つ目は目標設定の設定ミスです。私自身恐らく理想をとても高いところに設定していて達成出来ずに一人でイライラしていることが多かったと思っています。これは今でもやってしまいがちです。目標を高く持ちそれに向かって努力すること自体はとても大切です。但し、どんなに高い目標設定していてもそれに至る過程を踏まなければなりません。その為に1日1日の小さな目標を持つことが大切ですがそこを疎かにし、高い目標ばかりを追い求めていたら過程などあったものではありません。
 3つ目はやらされていることを強く意識して練習をしていたことです。数年経って自らの意志がない練習の無意味さを痛感しました。何でこんなメニューこなさなきゃいけないんだと思っていたことが多くありました。どんなメニューでも自分で考えて意味を見つけなければやっていけないと思えれば何か変わったかもしれなかったです。
最後に文句・言い訳が多いことです。何も分かっていないのに一丁前に「意味のある練習」を求めたり、「質の高い練習」をしないといけないと思っている割に大したことをしていない、ミスしても取って付けた様に言い訳をするというみっともないことをしていました。結局自分で責任をとって行動するということを怠り、いますべきことを無視して拗ねているだけです。自分の人生を生きていないですね。

書いていて恥ずかしくなってきましたが黒歴史というのはそういうものなのでしょう。禊として投稿することとこれを見た誰かに同じ轍を踏んでほしくないという思いで頑張って書きました。

最後に

 ここまで書いていて嫌になってきましたが高校時代学べたことや得られたことももちろんあります。語りきれないほどありますが良い事、悪い事色々ありました。それが今の自分の糧となっていると信じてやっていくしか無いのだなとふと思う限りなのでした。


(写真は高校時代の宮城県南三陸町への遠征で記念撮影した後ろにいたモアイです。高校時代の写真があまりに無かったのでこれにしました)


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