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彼らを見ていたら、もっと「生き方」を変えてみたくなった #わたしとcotree

最近、Twitterのタイムラインに3本のnote記事が流れてきました。

オンラインカウンセリングのcotreeの皆様の記事です。(いつもお世話になっています・・・!)

新しい春は、学生さんなら新学期になるし、社会人なら新しい職場や配属先になるかもしれない。あるいは、何もなくても、そわそわして新しいことを始めたくなる。みんななにか「希望」を持った匂いがぷんぷん漂う季節。

だけど、新しい「希望」は「不確実性」と隣合わせ。それは心にもダメージがグサッとくる。

詳細は割愛しますが、自分はたまたまそれが春よりも前に早く来て、ギアをガンガン入れてラッシュで頑張っていました。(いや、頑張って「しまった」かな?)

「希望」というよりも、不確実性に飛び込んだ中での不安や葛藤に近いかもしれないです。

だからこそ、お三方のnoteにあるような、考え方と行動の変容に、すごく「ハッ」とさせられた気がします。

・自分が変わろうと頑張りまくる前に、ちゃんと安全安心な居場所を持てているか?もしくはそれがちゃんと複数あるか?
・変化にともなう不確実性を無理やり飲み込もうとして消耗していないか?
・頑張るのと同じくらい、物理的・精神的なバッファーもちゃんとあるか?

希望で胸いっぱいな時期は、未知に一人で飛び込むこと、わからないことを無理やり飲み込もうとすること、余白ももたずに詰め込むことは、ある意味楽しいしとっても楽。

でも、それが気づかないうちにダメージが蓄積する。そしてきっとドツボにハマる。(おそらくそれが5月病?)自分みたいな精神障害者でも、健常者でもきっと同じこと。

そんな時に流れてきた彼らのnoteは、「春に走り抜ける前に、こんなこと考えてみたら?」って自分たちクライエントに問いかけてくれていたのかなって感じたりもしました。

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きっとお三方に限らず、cotree社の皆さんは、メンタルヘルスの会社の方たちであっても、あるいは臨床心理士や公認心理師みたいな有資格者であっても、今なお葛藤していると同時に、自分自身に問い続けているんだなあと思います。

彼らは「◯◯すべき」とか「◯◯さえすればいい」みたいな安易な答えは絶対に押し付けない人たち。(そんな答えがあったらどんなに楽だろうとも思う。)

そのかわり、「◯◯してくれたら嬉しいな」「◯◯してみるといいんじゃないかな・・・?」っていつも選択肢を提示して、自分たちクライエントが選び取るのをずっと待ってくれている。それを試行錯誤しながら、ウェブサービスや今回のnoteっていう形で表現し続けてくれている。

そして彼ら自身も(おそらく)生き方や心の在り方を変えようと今なお模索しているんだろうと思います。

それは、彼らがメンタルヘルスに「安易な答え」「絶対に確かな答え」が存在しないことを知っている裏返しでもあるのだろうし、同時にそれを押し付けられた苦しさも知っているからこそ、葛藤をしているのでそう。(心は見えないものだから、なおのことそうかもしれないです。)

「やさしいってなんだろう?」「どうやったらこの人に寄り添えるだろう?」そんな苦悩して、己に問い続けている様子も思い浮かびそうです。

でも、だから彼らが信頼できるんだろうと思います。常に自分に問い続けている、考え続けているから、誠実であるんだろうし、自分もきっと彼らに頼ろう、一緒に考えようって思えるんだろうなあと。

そんな3本のnoteをみて、自分自身も問い直しながら、彼らのように誠実な生き方を真似してみたくなった春分の日なのでした。

「しなやかなこころを育てるオンラインカウンセリング」っていうキャッチフレーズがあるけれど、それってもしかして、カウンセリングにも限らないのかもしれないですね、きっと。

中の人の何気ないつぶやきやnote、そこに集うユーザーの人たちとのやりとり、そんなところからでも「しなやかなこころを育てる」ために学べるものはありそうです。

(※最近気に入っているピアノ曲を聞きながら書きました。)