self

霧雨50号
テーマ「SNS」
作者:かわたれ
分類:テーマ作品


「ちょっとだけ、時間いいかな。」
必資な資料を貰いに母校を訪れ、事務室の扉を閉めたところで声をかけられた。年は30前後の女性。待って待ってと急いできたような様子を見せながらこちらに笑顔を見せた。人当たりは悪くない。
「わたし、あなたの双子の妹さんの元担任だったんだけど、分かる?」
存在はうっすらと、でも大した覚えはない。なんと答えてみようもなく「まあ…」と呟くと、彼女は気にした様子もなくまた微笑む。笑った時に目の下に浮かぶ皺は少しだけ見覚えのある気がした。

教務室の奥に机といくつかの椅子が置かれた小さめの部屋への扉がある。おおかた先生方が会議をする時に使う部屋なのだろう。ちなみに私は素行不良の生徒が指導のために連れていかれてる様子しか見たことがなかったためあまり良い気はしなかった。通り道すれ違う先生に会釈しながら中へ入る。
「最近の様子はどう?」
「就活もまあまあ順調ですよ。特に困ったことも。」
「そう、ならよかったわ。……妹さんがあんなことになったから少し心配してたの。」
妹は3年前に他界している。原因は車の飛び出し。暗い道をスピードを出して走っていた車に、悩み事を抱えていた妹は反応が遅れた。あまりにもあっけなかった。

「かわいそうよね……まだ全然若いのに。」
「妹さん絵上手かったでしょう、今でも金賞をとった絵を生徒玄関に飾ってもらってるのよ。」
「連絡貰った時本当に悲しくて、そうそう、描いてもらった絵もずっと持ってるわ、この中に。」

「多分他に聞きたいことありますよね。」
苦手なんだろうな、隠し事。さっきから私の話なんて全然しない。
「私ですよ、『self』動かしてるの」


『self』とは妹が描いたイラストを載せていたSNSアカウントのことである。コンテストで賞を受賞したことなども書いていたからその存在を先生方が知っていても何らおかしくははない。
問題は妹が死んでから一切動かなくなったそのアカウントが、一か月ほど前からまた投稿を再開し始めたからだ。

「よく言ってたんです。絵が完成した直後は最高傑作だ!って思えて、でも一日経つと全然ダメに思えて破り捨てたくなる。それからまた一日経つと今度はもうその絵が愛して仕方がなくなって、全世界に自慢したくなるんだ、って。」
私の家にはいまだに妹があげてなかったイラストが数多くある。色味がいまいち、絵の時期が合わない、なんとなく気に入らない……。そうやって積み重ねられたいとし子たちを少しずつ呼び出して、代わりに自慢話をするのが今の私の役目。

「まだ忘れてほしくないんです。妹のこと、『self』のこと。」

ある日、妹は『self』に殺された。
絵を投稿した時にもらえる反応の量に一喜一憂し、誰かもわからない誹謗中傷に苛立ち、いつしか絵を描くことではなく、反応を貰うことが妹の目的になっていた。そうして妹は精神をすリ減らされ続け、あの事故が起きた。
だから私は、楽しそうに絵を描いていたころの妹を生き続けさせるためにアカウントを動かし続けているのだ。


* * *


学校の門をくぐり元担任の姿が見えなくなったあと、私は一人言葉をこぼした。
「…また気づかなかったかぁ」
そういいながらスマホを開いてアカウントのメディア欄をスクロールさせる。ふと、ある絵の上で指を止めた。
ここには妹の作品を私が代わりに投稿していると言ったが、この絵だけは嘘である。これだけは妹が描いたものではない。私が、私の手で描いたものである。


絵に興味を持ち始めたのは二人同時だった。親はやっぱり双子ねなんて言って二人分の画材をそろえてくれて、描き始めるのも一緒だった。
いつでも一緒、私も妹も昔からそれが当たり前だった。同じ遺伝子を持って体を半分ずつ分け合って生まれてから、髪型も、服も、好きなものまで一緒が当たり前だった。姉や妹なんてのはたった数秒の差で形式的についただけであり、私たちは「全く同じ二人の人間」として存在していた。

しかし、それは絵を描き始めてからどんどんと変わってしまった。

妹には才能があった、私には無かった。
妹は目まぐるしい成長を見せた、私は素人に毛が生えた程度にしかならなかった。
妹は賞をいくつも取り認められていった、私はかすりすらしなかった。
私はいつからか描くのをやめた。少なくとも私以外の人間にはそう見えるようふるまった。まるで何も気にしてないですよと言うように、さも興味がなくなったんですとでも言わんばかりに。


しかし自分自身さえも騙すことはできなかった。
結局絵は隠れながらも描き続けた。いつしかそれは愛しさなどでは済まされない、呪いにも似た執念が私の腕と絵を固く結び合わせて離せなくなった。
描いた。描いた。描き続けた。もはやその呪いすらも私になっていた。


その後、妹の遺品を整理していた時にあるものが出てきた。『self』へのログイン用のパスワードが書かれたメモ。私は一切迷わなかった。
私の絵は他の絵と一緒に多くの人に見られ、評価され、認められた。あっけなく、にべもなく。
私が得られたのは一つまみほどの、それでも必死に欲しいともがいてきた満足感、そしてそれを打ち消してなお余りのある劣等感だった。


今の私は『self』が自分をひたすらみじめにしていくだけだと知っていても、それでも手放す勇気もなく、妹の絵に混ざりながら必死に声を上げようとする私の絵を見つめることで精いっぱいなのである。
いつか誰かが『self』でも、才能ある妹の片割れでもなく、私自身を見てくれる時が来ると祈りながら。

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