人様のコメントに書けない事
人様のコメントに書けなかった事を記事にしています。
独り言です。気にしないでください。
傷つき易い年頃(還暦)なので、誹謗中傷はお止めください\(^o^)/
有料サービスに関する事でしたが・・・
ネットに繋ぐのにも回線料金が必要ですし、有料でやられている方の考えもあると思います。
私もnoteで有料PDFファイルを販売しています。
ネットで人生相談の受付もしています。
(そうだ!ここにも出そう!)
持論では御座いますが、
正当な仕事には、正当な対価があって良いと思いますし、全部が無料ならば、お金を稼ぐ意味も薄れてくると思うのです。
私の子供の頃にはネットもありませんでしたし、お金を貯めて本を買う、欲しいプラモを買うにしても、他人の所有する物への、嫉妬に負けない心を作るのに必要な事だと感じます。
「子供だから」無料で与えられるのであれば教職員の給料は要らない事になります。
私の死んだ元妻も教職員でしたが、大変な仕事だと尊敬しております。
正当な対価としての給料は必要だと思いますし、子供の頃から頑張って勉強して、大学の奨学金の返還もしていました。
全てを無料で与えられ、認められる事に慣れてしまった子供達は、社会という、『野っ原』に投げ出された時にどの様に思考し、行動するのでしょうか?
批判的になっていますが、未来の社会が心配なのです。
昭和38年生まれの、田舎者の爺にはとても心配なのです。
答えが与えられている環境から、答えを自分で探す社会環境へ、思考訓練すら出来ていないヒヨコ達は、さぞ冬空が寒く感じるだろうと狼狽真ながら思ってしまいます。
よそのブログのとある記事で、「6◯歳からゆとりの人生」とありましたが、自立型の老人ホームに入っている92歳の母は相変わらず、入所中の方々から相談を受けたり愚痴を聞いてあげています。
洋裁は若い頃から講師級だったのでパッチワークやバッグ作りをやっています。
新聞紙ゴミ捨てを受注して(もちろん無料)、施設の人に数が揃うと渡しているそうです。
「入所しても結構忙しいよ♪」と元気に答えます。
そして母が私に、「自分でやりなさい。」と言ってくれていたお陰で、飲食店で出せる料理が作れるようになりました。(過去で飲食店もやっていた時期があります。)
「考える事の大切さ」を、小学生の時の校長からも習いました。
「自分で考える事は良いことです。みんな好きなこと興味のある事を調べて考えましょう。」事あるごとに話してくれていました。
ピアノが上手な大好きな校長先生でした。
いま身体がどうにか保てているのは、高校の部活の監督(英語の先生)の指導のお陰です。
高校の時には死ぬほどラグビーをやりました。(専門学校と社会人の時は、それほどやりませんでした。)
合宿で一日に6試合出場した事もありました。
両親は元より、幼稚園、小学校、中学校、高校、専門学校、その中で教鞭を取って下さった先生方、そして知り合った友人達、知人達、家族のお陰で、私は今の私として存在しています。
そして、与えられた事や物が還暦に成れば、歳を取れば取るほどに多くなっていきます。
見聞読し、考察するネタも増えていきます。
自分自身も子供の頃から、無料で与えられた事や物も沢山ある事も承知しています。
その上で言わせて頂くなら、
マイノリティの意見も大事かもしれませんが、現在の結婚しない選択を許す社会も、男女が完全に平等だと唱える社会も、性別を蔑ろにする社会も、それを受け入れ拡散する教育も、男性が男性であり、女性が女性として活躍する世の中を創造できなかった社会に対しても、ある意味悲しく感じています。
そして、親や学校の先生、近所の人々、友人達、知人達、延いては自分の子供を育て、自分が地上に有った事を感謝し、親から、社会からもらった事や物をお返しする事を断ってしまうように思えるのです。
立ち返ってみると、
恩も縁も感謝も循環しています。
宇宙の仕組み、『原因結果の法則(因果の理法)』を砕く事は何人もできません。
善であれ悪であれ、思った事、やった事は、自動で自分に帰ってきます。
「〇〇が言っていたから」、「科学的に〇〇だから」、「〇〇がやっていたから」そんな言い訳は通用しません。
思った事、やった事、それらの結果責任も必ず、それぞれに訪れます。
そして、「この世」は、必要な法則は、自分で探し、自分で学ぶしかない、「辛い世界」であるのも事実なのです。
家庭でも学校でも教えてくれない事。
現代の社会から排除しようとしているものの中に、真実はあるようです。