月まで
父に会った。なかなか破天荒な父は50代の初めにして公務員の職を捨てて無職になった。自分の人生を生きるのだと言って。転職に悩む私に父は、「もっと狂え。狂わんと月まで行けんぞ!ちょっとでも あれ、と思ったら墜落してしまうぞ」とアドバイスをくれた。人生のスパイスとして、もう少し狂ってみるのも悪くないかもしれない。狂うこと。なにかに真剣に夢中になったり、なにかに全力で人生を賭けてみたりしたその先に、きっとこれまで見えなかった景色が広がっているのだろう。
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海へ行きたくなる。さみしいとき、苦しいとき、楽しいとき、きらきらをひたすらに眺めたい気持ちのとき、頭の中がうるさいとき、ぜんぶを忘れてしまいたいとき。海の広がりはあまりにも圧倒的だ。あまりに広いから、自分がちっぽけに感じるし、波の音に包まれて自分がどこまでも一人になれるような気がして落ち着く。青い海も、くもりの日の銀色の海も、夕暮れ時の夢みたいな海も、夜のおそろしい色の海も、どんな海も好きだ。はじめて恋人と出かけた日の海は銀色だった。ずっと覚えている。
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自分のいいところ、自分からは全然見えない。自分の気持ちも自分のもののはずなのに、自分のことになるとさっぱりわからない。難しい。もっと曖昧なものを曖昧なまま抱えていたい。形のないものを形のないままにしておきたい。それなのに、わからないものは恐ろしいとも思う。白黒はっきりつけるのが苦手だ。いろんなことをグラデーションのままにしておくのが好きなこと、友達に言われるまで気が付かなかった。
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おやすみと声をかけることは私にとってちいさな祈りのようなものだ。私が幼い頃、母親は体調が悪くて日中も寝ていることが多く、目が覚めたら自分のことをすっかり忘れているんじゃないかと私はいつも恐れていた。さすがに大人になってそんなことを思うことはなくなったけれど、大事な人にほどおやすみを言うのはどこか特別な意味を持つ感じがする。やさしく眠れますように。どうか眠っている間に私のことを忘れてしまいませんように。夢から迷わずに帰ってこれますように。おやすみ。