自叙伝ダイジェスト
ども、kissyee(キッシー)です。
よしなに ( `・ω・´)ノ
自分のことつらつら書きますφ(..)
名付けて『自叙伝ダイジェスト』
ちょっと長いけど、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。では行ってみよー( ・ω・)ノホイ
家族
関東地方のド真ん中で、世間で言ういわゆる普通の家庭で何不自由なく生まれ育ちました。いつも明るい父は上場企業のサラリーマン。堅実を絵に描いた母は元銀行員。年上の二人の姉も居て、みんなに甘やかされて育ちました。
父はよく言いました「お前の時代は手に職だよ。サラリーマンになるんじゃないよ。」
引越し
中学1年の冬、父の転勤で埼玉から箱根のお膝元の城下町 小田原に引越しました。息子の思春期に引越しするのかよっ!ってちょっと思ってました(発想が超自己チューですね)。でもドラ息子はウキウキしてました。小田原はどんなところだろぅ。
中学
小田原は自然が一杯でした。猿も狸も鹿も蛇もよく出没しました。学校に行ってはカルチャーショックを受けた日々。校内放送で「プールで猿が泳いでるので近づかないで下さい」とか流れることは日常的なこと。この時に生涯の友ができました。
高校と大学
高校はうっかり進学校の特別進学クラスに入ってしまい、皆みたいに頑張れなくて、だんだんついていけず。可もなく不可もなくをキープ。物理と数学が苦手なくせに、かっこ良さそうだからと大学は建築学科に進みました。しかし、大学は遊ぶところになり、バイトも忙しかった。単位ギリギリで卒業して、振り替えればまぁまぁ良かった大学生活。寝坊して試験受けずに後でこっそりお願いしたら単位くれた先生大好きです。名前忘れちゃったけどね。
就活
父の気持ちなどつゆ知らず、世間様に流されてサラリーマン戦士を選ぶことになりました。と言うより、他人と違うことをする勇気も発想も無かっただけ。戦う前から負け組。
運良く就活2社目で内定が出てしまい、普通ならキープして他を受けるのでしょうが、勤務地は日本橋だし、東京であこがれの一人暮らしだし、早く就活を終わらせて遊び呆けたかったので即受諾。大学4年の春休みのことでした。
高校でも受験でも大学でも、器用貧乏にあぐらをかいて勉強してこなかったので、社会人になってから思い知らされる日々が待っていました。
新社会人
仕事は内装ディスプレイの現場監理。設計職で入ったはずが「まずは現場や!!」と寅さんみたいな社長に上手いこと言いくるめられ現場に出る日々が待っていました。
三越や高島屋、六本木ヒルズや羽田空港を担当しましたが、富豪のお宅の改装にも関われました。仕事のオン/オフがよく分からず、朝昼晩と頑張りすぎた結果、入院したり、反動でさぼったり、ときどき飛んだりして、諸先輩にはたくさん迷惑を掛けました。とにかくガムシャラに働くしか出来ず。思えば自分がどうしたいか決まって無かっただけ。アホでした。
そのうち身体のセンサーがいかれて高熱が下がらなくなってしまって、救急車に2回乗って、当時の彼女とも別れて、親が心配して押し寄せて来ました。その勢いでサラリーマン社会からドロップアウト。フリーターに転身することになりました。
華麗なるフリーターの春
まさか自分がフリーターになるとは思わなかったけど、それなりに居心地よく。25歳でご隠居様のような生活。いや、実家で寄生虫を決め込んで、とにかく何もしませんでした。
その頃仲良しだったのはみんなフリーター。ファミレスで閉店まで絵文字しりとりとか、夜中に富士山ドライブとか、最高でした。
でも一年半が過ぎたとき、このままはさすがにヤバイなと思い始めて、夢見てた一級建築士の勉強を始めたり、職安にお仕事検索しに行ったりしました。(チキンなのは相変わらずw)
ある日「是非来て下さい!」って採用担当から救いの電話が。まだ受けて一社目。就活マジ楽勝だな!って思ってたら、そこはゾンビの掃き溜めのような所でした。
大企業の社畜
こんなにも鬱々とした日々があるだろうか。電気がついてるのに薄暗い。本音と建前、他人の目と上下関係、叩き上げと学閥、派遣と社員。ぐだくだな飲み会。化かし合いの接待。自分がない。どこにも居ない。毎日がつまらない。もう無理と思って一年半で辞めました。
フリーター再び
またフリーターに戻りました。今度は仕切り直しだ!と思っていたら、先輩から声が掛かり、あっさりフリーター生活は終わりました。わずか1ヶ月のこと。
再就職
先輩に声を掛けて貰って、はからずも大企業に就職(ホントは出向の身分)。奇跡的に面接で「風荷重の算定式」が言えたことで気に入られ「解析の仕事やってみるか?」との打診に断る理由もなく「ご指導よろしくお願いします!」となりました。 ここから今のキャリアがスタート。この時期に結婚したり、子供が生まれたり、引っ越したり、人生のイベント目白押しでした。
初めてのスカウト
新しい職場で快適に過ごしていたけど、解析の仕事にちょっと飽きてきた5年目。就職サイトに経歴出してたら東京の設計会社からスカウトがありました。会いに行ったら気に入って貰って、はからずも合格。転職を決意しました。
念願叶う
何度も挑戦し続けた一級建築士試験。予備校に高級車買えるくらい支払いました。なんとか意地で合格。足掛け10年かかりました。合格発表で泣いたのはこれが初めてでした。
世のために働く
こうして仕事に面白味が出てきて、お客さんに指名される喜びを味わい「あぁ仕事ってこうじゃなくちゃ」と実感し始めました。
現在は設計を通じて世の中の具合の悪いところを直すお手伝いをさせてもらってます。
人呼んで「建物のお医者さん」
構造解析とか最適設計ってジャンルなので「お仕事は何をされてるんですか?」という質問にいつも困ります。説明してもほとんど分かって貰えないので子供でも分かるように「お医者さんだよ」と言ってます。
師匠を発見する
松田聖子風に言うと「ビビビと来ちゃった」
そう。お師匠の伊木ヒロシさん。
師匠のことは追々ご紹介するとして、自叙伝ダイジェストはこれにて終わりです。
長かったですね。ここまで読んでいただきありがとうございました。次回からはサクッと読めるやつ書いていきます!( `・ω・´)ノ ヨロシクー
kissyee
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