大人のふりなんてするなよ

※解なしのネタバレしかないです

梅津さんの頭の中を私は全然知らない。
それなりの年月推してきているし、ニコ生は過去のものから全部見ているし、インスタライブやスペースはアーカイブがあるものはすべてしっかり見ている。
梅津さんの考え方や過去の経験、好きな映画や本をできる限り集めたり触れたりしてみた。
けれどやはり私は、梅津さんの頭の中を全然分かっていない。
少しは、分かることもある。でもやっぱり全然分からない。

知りたいと思っているうちが、一番楽しいのかもしれない。

いま、梅津さんは橋本祥平さんと二人芝居をやっている。梅津さんが脚本演出をしていて、濃度がものすごく高い梅津さんに触れられている。
公演を見ていると、過去に語ってくれた梅津さんの思い出だったり考え方が凝縮されていて、今までの配信や文字を思い出してすごく苦しくなるのだ。

公演はオムニバス形式なのだが、その中の一つに、都会に出て大人になってしまった男と田舎にとどまって大人になれない男の出てくる物語がある。
この話もすごく色々考えることがあって、梅津さん演じる田舎の男の真意だったり、脱皮が大人になることのメタファーだから皮を被せることで子どもに戻すのかなと思ったり、佐々木という名前だったり、本当に色々考えることがある。
でも、都会に出て夢破れて帰ってきてしまった男と何も変わらず年だけ取った子どものままの男の対比に、梅津さんはどんなメッセージを託したかったんだろうということを一番考えてしまうのだ。

オムニバス形式の各々の作品に込められたメッセージは私の読み取れてないものも含めてたくさんあると思うが、主題としては、大人のふりなんかするな、お金で買えるものはむなしくなることもある、友情のような替えが利かないものを大事にしろ、仕事は変わりがいる、才能がないなんて思わないで夢に挑戦しろ。おそらくこのへんが挙げられる。
梅津さんのいう才能という言葉には、夢という言葉には、色んな思いを乗せていると思う。

梅津さんは小説家になりたくて文芸学科に入ったが、才能がなくて諦めたそうだ。そのあとで中高の演劇部の縁から演劇に誘われ、就活のような形で劇団オーディションを受け、虚構の劇団に合格したところから今に繋がっている。
梅津さんのいた大学には演劇学科もあったため、当時は文芸学科なのに劇団に受かったことでやっかみを受けたこともあったらしい。そのエピソード自体は2、3回話していると思うが、最初にそのエピソードを話したニコ生ではその時に覚悟について話していた。私も数年前の記憶だからあまり深く覚えているわけではないが、劇団に入ったからといって将来安定なわけではないというようなことを話していたと思う。本当にやりたいことなら、劇団に入れなかったからといって諦めたりしないで、お金がなくて余裕がない生活を強いられたとしても夢に挑戦し続ける覚悟が必要だと。
たぶん、この作品に込められたメッセージはそういうことだと思うのだ。
周りの友達が社会人になって、会社からお金をもらう安定した立場に満足して子どものころの夢を忘れてしまって。周りの友達から取り残されてしまった梅津さんがそいつらに言ってやりたいことが、ここに詰まってるのだと思う。

常々梅津さんは、自分の原動力は怒りだと言っている。自分自身に対する怒りや焦り、人に対する嫉妬、そういったものに足を動かされていると。
今回の話はどれもすごくキラキラしたメッセージが込められているように思うけれど、それを書いた梅津さんのことを考えると、その根底には梅津さんを形作る何かしらの怒りが隠されているような気がする。
これから応援していくうえで、あの時のこれはこういう気持ちで書いていたんだなと気づくこともあるかもしれない。
これからも少しずつ、頭の中をのぞいていきたい。


※追記
最後のシーンを配信で改めて見返して、一つ気づいた。
劇場で見たときは一人で生きていく、変化することの暗示だと思ったのだが、あれは橋本がやるはずだった舞台をみっきーが上演したということなのだろうか。
そういえば、1人芝居HAPPYENDでも同じ図式が使われていた。別にこれは梅津さんの書いた脚本ではないが、梅津さんにとって思い入れのある作品であることは事実だろう。
No future, My life!と叫ぶあの芝居は、風太が死ぬ間際に演るはずだった1人芝居だ。
死んでしまった人が演じるはずだった舞台を残された者が演るという図式は、梅津さんにとってどのような意味を持つのだろう。
そもそも、私のこの解釈も梅津さんの意図したものではないかもしれない。この舞台は『解なし』なのだから。


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