時実選手の思考、矢野の人生観について考える
博品館劇場が、かなり思い入れのある箱になった。最初に行ったのは言式の解なしで、次が舞台6006。ちなみに次は舞台アイチュウになる予定です。
上演演目としてはかなり好きだが、劇場としては割と微妙だと思っている。段差が緩すぎて頑張ってG列くらいからストレスがすごい。本当に希望を言えばE列以内がいい。
それはさておき、今回の6006はすごく役者同士のバチバチとしたやり取りを見せてもらえて、とても満足だった。うまい役者の、こういうシンプルでひりひりとした会話劇が好きだ。毎公演違った表現、アクシデント等をすべてひっくるめて進んでいく物語に、舞台は生ものだなと再認識したし、正しく舞台上で登場人物たちが生きていた。
ただ、今回の脚本はけっこう余白が多い。スーツケースの中身は女の死体だったのかカーペットだったのか、時実はなぜ日航機墜落事故のニュースを聞いて殺すのをやめたのか、令和の矢野はどこから想定していたのか……等々。なんとなく思ったことをまとめておこうと思う。
あくまでこれは私が観て感じたことなので、正しいとか間違ってるとかはおいておいてください。
スーツケースの中身については、これは普通に女の死体だったと思っている。そもそもカーペットであればゴミ袋にでも入れれば問題ないから、わざわざスーツケースを用意しなくていいはずだ。ただ、これに関しては矢野は現地にいないから、断定できる人間はここにはいない。矢野も別に石上を騙そうとしてその情報を仕入れたわけではなくおそらく石上の師匠を陥れるためにこの情報を仕入れたわけだから、演歌歌手の誰々がVIPで女に薬やらせて殺したという部分しか聞いてないと思うし、相手が黒服なのだからそのあとの部屋の掃除が大変だったという愚痴をこぼされただけの可能性もある。その程度の情報で石上を脅せる矢野もすごいけれど。
次に、時実について。時実って本当に頭が切れすぎる。誘拐したのが矢野と石上なのが分かったのは車の中で2人が会話していたからかもしれないが、石上の服装は袋を被せられる前に見ていないと分からないはずだ。だが、矢野はスポーツ新聞の記者だからともかく演歌歌手のカバン持ちの石上のことは絶対に知らないはず。もしかしたら病院で矢野の周りにいた子、という認識をしていたのかもしれないし、警戒心が強くて自分の周りで不審な行動を取る人は注意する癖があるのかもしれない。どちらにせよ時実選手は頭が切れすぎる。
時実選手の言う運のコンディションというのは、選手がよくやるある種の神頼みだと思っている。スポーツ選手は多かれ少なかれ誰でも願掛けをしているものだと思う。大事な試合の前には神社やお寺に行くとか、道具を手入れするとか、靴は右足から履くなんていうのもある。時実選手の願掛けは、運のコンディションを整えるということだった。具体的に何をしているかは物語上では語られないが、『幸運が続いてるときこそ、来るべき不幸に備えて準備をするべきなんだ』という台詞からとりあえず抜け目なく準備しているのだろうなということは察せられる。保険も色々網羅した高いの入ってそうだし、普段から壊れるかもしれないから道具は予備も持っていくとかしてそうだ。愛人を作らないのは妻だけで精一杯というのも嘘ではないだろうが、何かを失うリスクの高い行動をしたくない、自分の弱みを増やしたくないという恐れが本心なのではないかと思う。
時実選手は、努力家で完璧主義で、楽観的に見えるけれど本当は石橋を叩いて渡りたいタイプの人なのではないかと思っている。
これを踏まえて、時実選手が銃を握ってからの行動を考えてみる。 今までは殺されるのが怖くて野球賭博に一枚かむと言ってしまったが、銃が自分の手元にきて形勢逆転したら一気に後悔が押し寄せてきたのではないか。他にも色々あって、この二人を生かしておくほうがリスキーだと考えたのだろう。二人を生かして何かの拍子に自分の名誉が傷つけられるリスクと、人の少ない田舎で死体を隠すリスクを考えた結果、後者のほうがリスクが低いと判断したのだと思う。非情な人間ではなさそうだから石上が絶対殺されたくない! ハリウッド出たい!! って言ってればもしかしたら殺すのは矢野だけだったかもしれない。ここは考えても仕方のないことだが。
愛人の話は、台本に嘘だと明記されている。ではなぜそんな嘘を吐いたのか。個人的には、運のコンディションを下げるためというのがある気がする。いまの時実選手が絶好調から少しずつ落ちかけている状態なのであれば、多少の不幸話という嘘を吐くことで不幸を小出しにすることができるのかもしれない。すべては絶好調のままアメリカの大リーグに行くために。あくまで個人的な感想です。殺す方法をバットから銃にしたのも、そのほうが肘に負荷が少ないと思ったんじゃないかな。
しかし、飛行機の墜落事故のニュースが流れる。今もだが、アメリカに行くとなれば手段は飛行機ほぼ一択だろう。しかしいくら不幸のために準備をしたところで、乗っていた飛行機が墜落する不幸を想定した準備なんてできない。あの瞬間、時実選手は大リーグに行くという夢が揺らいだのだと私は思う。だから、二人を殺すのをやめた。
そういえば、昭和の石上くんは今でいう闇バイトみたいなことをさせられてるな……と見ながらずっと思っていた。令和はSNSを通じていくらでもこういった子どもが手に入るが、昭和は集めにくかっただろうなと思う。石上くんはデビューして売れれば大金が手に入ってお母さんを楽にさせてあげられると思って頑張っていた。それは成功すればそうかもしれないけれど、失敗するリスクも高い。この辺は安易に闇バイトに手を出す子どもと心理は一緒なのかもしれない……と思うなどしていた。
負け犬が吠えるな! と言った時実に対して、俺も負け犬なんすよ……と力なく言った石上くん。今回の話のあと、矢野は小説家という夢を叶えたのに対して、石上くんは少しだけ歌手をやって(デビューして1枚だけ出せたのもタニマチが約束を果たしただけだろうし……)引退してトラック運転手になっている。矢野に目を付けられなければ、ロングタイムホテルで時実選手と話さなければ、きっとこういった平凡な幸せを掴む未来を選び取らなかっただろうなと思うと切ないものがあります。でも幸せな家庭を築けているなら、それで良かったのかもしれない。
石上くんのことで言いたかったこと思い出した。お母さんの話をするときだけ関西弁が若干出てくるの、すごく好きだった。「夜はミナミのスナックで働いてくれてたんすよ」のところ。最初は全然なまってなかったと思うんですが、公演を重ねるごとになまっていってた気がする。お母さんのことを思い出してるんだなって胸が熱くなるセリフでした。
さて、令和の話。無敵の人、というのがテーマだったように思うけれど、時実のようにこの世にまだ希望を持っているタイプと、矢野のようにこの世に期待していないタイプの両方を描いているのがすごく令和らしいと思った。正直、今の若い人は多かれ少なかれ矢野のような諦観をもって生きていると思う。夢とか希望とか、可能性の低いものを早々に諦めている。子どもの将来の夢が公務員な時代ですからね。インスタのキラキラした人たちを憧れながら、その裏に隠された泥臭い努力や執念には一切気づかずただ羨んでいる。
悩んだときにすぐAIを持ち出してくるのもそうだが、自分の頭で考えずに明確な答えを求めるのがすごく現代の若者らしいと思った。そういえば、今流れているGoogle GeminiのCMを初めて見たときに私は愕然としたのだった。旅行先なんて一つではないし悩んでいる時間も楽しいものなのに、AIに決めてもらうなんてつまらない。プランで大喧嘩したときの折衷案をAIに頼るのはいいと思うけれど、最初からAIに行先を決めてもらうなんて本当に旅行に行きたいのかと思ってしまう。
台本を見て矢野は19歳という年齢を見て、なるほどと思った。デジタルネイティブ世代だ。私は中学卒業時に初めてスマホを持った(それまではガラケーだった)が、今の19歳であれば生まれて初めて持った携帯電話はスマホなのではないかと思う。令和6年で19歳ということは2005年生まれということになる。矢野が小1の2012年のスマホ比率は21.1%だったが、小6の2018年には74.3%も増加している。中学校から携帯電話を与えられたにしても、スマホの確率が高いだろう。PCではなくスマホで初めてインターネットに触れた世代は、やはりPCでインターネットに触れた世代とだいぶ考え方や世の中のとらえ方、生き方が違うように感じる。15歳で家出をして友達の家を渡り歩き、友達がダメならマッチングアプリで出会った人の家に泊まったという。高校生くらいの年齢でネットで出会った人と会うというだけでだいぶハードルが高いが、そもそも私だったら必死で住み込みのバイトとかを探してから家を出ると思うので、その辺りはやはり若い人の考え方だと思う。
対して、時実は39歳。1985年生まれ。ロスジェネ世代や氷河期世代と呼ばれる世代が1970~1984年生まれらしいが、だいたいそのあたりの世代だ。
16歳で家を出て所沢で一人暮らししてフリーターになったとのことだったが、矢野はヤドカリくんなのに対して時実がある種真っ当な道を選んだのはなんだか昭和と令和の考え方の違いを感じてしまう。
時実の根底には、ちゃんと幸せになりたいという思いがあった。今の人生から抜け出したくて、恋人が欲しいという思いがあって、ちゃんと人生をやり直したいという思いがあった。彼女が作れれば一発逆転だという短絡的思考はものすごく非モテを感じるが、時実だし……。いつぞやのキャッチボールで俺彼女いるんだからな! というマウントを取ってたのも、非モテを感じてとてもよかったです。
矢野には、そういった幸せになりたいとか彼女が欲しいといった思いが感じられなかった。本当の無敵の人とはそういう人だと思う。幸せになりたいとか彼女がが欲しいとかそういったものを諦めてしまっているから、失うものがない。時実は一応29歳で初彼女ができるが、その時に彼女ができなければ本当の無敵の人になっていたのではないかと想像してしまう。
正直、矢野って彼女欲しいとか思ってなさそうだし彼女いるんだぜマウントもだから何? と思ってそう。(そもそも彼女いなくても女友達は普通にいそう)
なぜ矢野は昭和60年のみんなの音声を聞いて犯行をやめたのか、私は実は納得のいく答えが見つかっていない。時実に情が沸いて時実の苦しみをエンタメとしておもしろおかしく編集してYoutubeに上げるのは違うなという思いが生まれたのかもしれないし、父が時実選手の息子に謝りたかったという思いの一端を知れたからかもしれない。ハルカとして語られたお父さんに認めてもらいたかった。褒めてほしかった。という言葉は矢野の本心だろうから、もう一度そのために真っ当に頑張ってみようと思ったのかもしれない。大人と接してきたりYoutuberとしてドッキリやぼったくりバー潜入などもしていた矢野なら、社会派のすごく面白い小説が書けるだろうし。
最後に石上くんについて。石上くんは、一貫して時実に幸せになってほしいと主張していた。銃を突き付けて幸せになれと脅すのは、なんだか矛盾していてとても好きだった。環境を変える提案をしたり、恋バナをしたりして、時実が本当にやりたいことが何なのかを探ってそこに至るまでのプロセスを考えてあげるとてもいい子だった。
06の中で唯一、ちゃんと親から愛されて真っ当に生きてきたんだと思う。アイドルの影の部分を見て病んでしまったのも、健全に生きてきた証拠だ。アイドルをやめてしまったけれど、29歳までアイドルをやれていたならそれはそれですごいことだと思う。
時実は最初から時実選手は自殺じゃないと主張していたけれど、正直これはしっかりとした証拠がない以上願いベースのものでしかない。手紙だって嘘か本当かわからないし、いたずら電話として処理された脅迫電話も矢野という証拠はない。当時の警察は自殺だと片づけてしまって、それ以上の捜査が行われなかった以上、真相を解明するのは不可能だったのだ。
しかし最後の録音で、他殺だと分かった。時実にとっては、それだけでよかったのだと思う。
親から愛されているかどうかは、子にとってすごく影響を与えるものだと思う。生まれてすぐ死んでしまった父から愛されていたというのは、時実にとってすごく大事なことだったのではないかと思う。
兎にも角にも、今回の舞台は会話劇としてものすごく面白かったし、登場人物たちが舞台上でしっかり生きているのを感じたし、舞台は生ものだということをすごく実感できた。バランスがいいこの三人での三人芝居でよかったし、これを見れて幸せだと思った。
またぜひ、この三人の芝居が見れたら嬉しい。
そういえば、見に来てくれた子が1幕の昭和は音響下手だし照明もすごい最低限の劇場設備そのまま使ってる? って感じだったけど2幕の物語に溶け込んでるすごくシンプルな演出見てあれは演出だったんだって気づいたという話をしてくれた。セットも小道具も、余計なものをそぎ落とした最低限しかない空間で、ただひたすら三人の芝居に集中できるような環境が整えられていたと思う。でもスーツケースのときのチャラ~って音楽の入り、毎回ちょこっと集中力途切れてた。
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