俺たちはよお。存外、愚かで、救いのない、どうしようもない奴らだぜ。

私は自分のことを、世渡りは上手いかもしれないが器用な人間ではないと自負している。
面倒くさがりで計画性がなくて、舞台オタクをギリギリしているという状況である。チケットの申し込みをよくすっぽかすし、発券して券面をじっくり見たら予定帳にメモしていたのと違う日を取ってたこともある。
しかも、友達も数人しかいない。
いつも孤独感を抱えていて、誰かとその孤独感を共有したいと思っている。

三人吉三改め、三人どころじゃない吉三。
この舞台を思い返すと、なんだか自分は孤独ではないような気がしてくる。

三人吉三が繋いだ未来について考えると、なんだかんだ不幸は回避していない気がする。立ち直れるもしくは次に幸運を呼ぶための不幸だけを残している気がするのだ。

八百屋久兵衛は、従来通りにお嬢を失って十三を拾った。
安森源次兵衛は、庚申丸を盗賊に奪われたが切腹を止められた。
その娘の一重は、遊郭に売られるが文里に身請けされた。

お嬢吉三というキャラクターは、眩しすぎてまっすぐすぎて、正直私には理解できないところがある。でもきっと、どんなことがあっても人を信じることのできる人なのだと思う。

お嬢が黒子の頭巾を被り、真実を知る場面。お坊が探していたのがお嬢の持つ庚申丸だったことや、和尚の妹をお嬢が殺したことを知った後。
ぽつりぽつりと、この物語の絡まったえにしを解きほぐすシーンで。
大事なものはすぐそばにあったと語るお坊にお嬢は、そうだねえ。と繰り返す。
全てを知ってももう遅い。閻魔の言った通り、破滅への道を突っ切っていく、その最後の最後。

私がこの舞台にものすごく共感したのは、えにしの絡まりをすべて知っていたとしても、それでも評判や義理を守るために破滅への道を突っ切れる強さと人間臭さがあるからだ。

全員で幸せになりたいと言いながら破滅へ向かう姿勢はなんとなくダブスタのように感じるが、お嬢の思い描く未来はものすごく懐が深くてみんなが自由だな、と思う。
本当なら、誰かを切り捨てたり妥協してしまえばきっともっと早く終わったし、ここまで苦しむこともなかったと思う。
全員が幸せになれる未来は、本当に難しい。
それでもそれを貫けるのは、三人吉三の持っている強くて泥臭くて人間臭い意地だ。
私はそれを、本当に美しくて尊いものだと思う。
私も同じ類の意地を抱えて生きているが、本当に生きづらい。だからこそそれを貫けた三人吉三は、本当にすごいと思っている。

でもこの意地って、人間誰しも大なり小なり抱えているものじゃない?
みんな、うまくいかなくて、抱えているのが苦しくて、諦めてしまう人も多いと思う。
だからこそこの作品は社中さんの中でも人気の演目なのだと思う。
意地を張り合って命を懸けて死んでいくどうしようもない奴らが、全員吉三になってえにしを繋げて幸せを目指す。観客も全員吉三だと井俣さんが言っていたし、私もお客さん吉三としてみんなと幸せを目指していこうと思う。

この作品を劇場で、生で見ることができて本当によかったし、ちゃんと見やすい席で見ることができて本当によかった。
社中さんとまた、劇場でお会いしたいなと思う。

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