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ゼノフォビアという語彙は不適切か/週刊「移民国家ニッポン」ニュースまとめ(24.4.28-24.5.4)

今週まあまあ注目を集めたニュースといえば。

ゼノフォビア、という単語、当欄でもさんざん使っていて、そこは反論できねえんじゃ? が第一報を見かけたときの私の反応だったんですが、案の定というか、反論後を絶たず。たとえば比較的フラットな論と思えるこちら。

バイデン発言の最大の問題は“xenophobia”という語を不用意に用いたことだ。このニュースを取り上げた日本メディアでは「排外主義」と翻訳しているところが目についたが、この訳語はやや生ぬるい。現代世界でxenophobiaという語は、外国人に対する恐怖や警戒を意味するが、単なる恐怖や警戒ではなく憎悪や軽蔑の感情を強く含んだものとして用いられる。

少なくとも外国人を意図的に排除しようとするエネルギーに関していえば、日本は欧米ほど強くない。実際、外国人を集団で襲撃する、外国施設を攻撃するといった事案は圧倒的に少ない

ダウト。あなたクルドヘイトを知らないひと?

あるいは韓国・北朝鮮ヘイト、なんならベトナムへのヘイト、決して看過できるほど小さいものではないし、それらは紛うことなきゼノフォビアです。それでいうと今週のニュースのひとつ。

これとか。
最高裁で判決が下っているから当然の対応、という声がなんなら多数派で、ちょっといいかね。

地裁判決……追悼碑の支援者たちが集会で「強制連行」という言葉を使ったことは「政治的で、設置許可条件に違反する」としたが、「政治的行事による公園利用者への影響は確認できず、都市公園の機能を喪失したとまではいえない」と判断

高裁判決……「強制連行」は日本政府が認知しない文言であり、「労務動員」を「強制連行」とすることは日本政府の見解に反することになるという共通認識のもと、碑の設置許可を得ている。追悼式において「強制連行」という用語を使用した場合には、追悼式が「政治的行事」に該当し得ることを認識していたと認められる

この「強制連行」というワードを争点に仕立てたのは純正ヘイト団体で、みたいに順を追って説明してなお涌き出る<気に食わない>感情。有りますか? 有るならそれ、よく腑分けして見るといいですよ。
根っこに黒くわだかまっているそれ、そう、それがゼノフォビアっす。

過去、この方角で書いた当欄記事でいちばん印象深いのは2021年6月のこちら。

最近だと先々月のこれ。

あと韓国における外国人嫌悪の風潮は映画という形で記録されてる、という話も書いた。

そう、「移民国家」であることを認めまいとする官の姿勢こそがゼノフォビアの最たる例だろ、と言い続けているのでこの話、いくらでも書ける。

■もうちょっと続けます

「自分たちとは違う」その1点から生じるのがゼノフォビアとするなら、生活保護バッシング、すなわち「いつ自分が生活保護を受ける立場になるか分からない」という恐怖を裏返すと「それでも自分はそうはなっていない」「そうなるのはダメな人間だからだ」って「自分とは違う」を排除したい動物的な反応だろ、と考えます。
その衝動を受け止め、切り離すことで初めて他者と共生する可能性が芽生えるんだと思うのよ。そうやってきたんじゃないんですか、ホモ・サピエンス。

■今週のその他ニュース

最後の記事、何を呑気な。って思いますけど筆者が長年この界隈で足を使って稼いできたライターなので、さすがに読んで損した、とはなりませんでした。

■最後にまとめておきたい、と思ったトピック。

要するに日本全国、人手不足を認めるしかないのでゼノフォビア言うてる場合か。という話です。

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