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だからどうしたというわけではない話で追悼したい

「笹塚日記」の後を受けて始まった「何もない日々」の更新が堂々不定期になったころから覚悟はできていたといえばできていたし、なにしろ本人が店じまい間もなく。を定期的に書くひとだったしね。

問題は第1巻から10年以上が経つのに、合計でまだ28話にしかなっていないことだ。100話に到達するにはまだまだ時間がかかりそうなのである。私も年なので、最後まで見届けられそうにないのがさびしい。

2020/1/10

上梓は来年だという。おお、それまで元気でいたい。

2020/3/9

ただねえ、「ずっとそんなこと言ってるからな」という感想があったのも事実でして。

私はこの秋で六十五歳になる。本人がいちばん信じられないが、ということは、この椎名誠インタビューが終われば六十九歳だ。その意味では、これが私の最後の仕事になるだろう。

2011/8/5

本当に亡くなったのか。と知った心のザワザワは今もおさまりません。

「本の雑誌文化」が指すものとして
・本屋大賞
・文喫
・翻訳文学読者層の形成
あたりは比較的だれでも連想できると思うのですが(それぞれに補足すべき点はあるけど省略)あまり言われないであろうところを指摘しておきたいんです。

いわく、ワールドワイドウェブを現実空間の拡張として、積極的に「紙でやっていたのと同じヨタ話」をくりひろげた故人の功績。

サムネイルの画像はドメイン変更前のオリジナルサイトのキャプチャーですが、いま「webdoku.jp」となっている本の雑誌社のサイト、もとは「webdokusho.com」でした。

出張明けで出社すると、「WEB本の雑誌」「たなぞう」「本屋大賞」のサイトのアドレスが変わっていてビックリした。聞いていた段取りとまったく違うので怒りの連絡を入れる。今回のアドレス変更は本の雑誌社とは一切関わりがなく、システム会社の内紛の結果であり、はっきりいってこちらも大迷惑である。

炎の営業マンによる怒りの痕跡。2009/3/13

つまり、サイト開設の2000年8月、インターネットがまだ茫洋とした大海のようなものだったとき、目黒考二が「いいじゃん。やろうよ」って思ったのは「WEB読書」だった。
オウンドメディアなんて概念はなく、出版社でウェブサイトを持っていること自体がまだレアだった時代に、本を読んでその感想を言い合いたい。という創刊から続く思いを展開する。無料で。誰でもウェルカムで。どっちかというと「役に立つ」よりは「役に立たない」ほうがエラい精神で。

自社コンテンツ販促プラットフォームとしてのウェブサイト、なんてものが隆盛な世界線もありえるなか、こっちの世界に繋いでくれてよかった。そうしたマインド、本の雑誌的な世の中の見方があったから、楽しく生きてきたおおぜいのなかのひとりとして、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。


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