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ネトフリ/インド/スケボー映画『スケーターガール』(2021)と元ネタを比較する

映画としてはキュートでよろしいのでは。ぐらいの感想なので、作品に文句をつけることがこのnoteの目的ではありません。
「複数の実話を再構築したオリジナルストーリー」と製作サイドがうたうのはまあいいけど、実在する人物への敬意に欠けている。と指摘する声が当事者からあがっている以上、ネットにそっち寄りの日本語コンテンツがあってもいい。そう思ったので、アメリカの公共ラジオネットワーク、NPRの次の記事をベースにまとめておこうかと。

■スケートボード専用パークの場所

Janwaar-Castle-から-Desert-Dolphin-Skatepark-Google-マップ

映画の元ネタになったマディヤ・プラデシュ州のJanwaar Castleから、映画の舞台、ラジャスタン州のDesert Dolphin Skateparkまでの距離は800km前後。東京広島ぐらいですか。地図の色を見れば分かるとおり、かたやデカン高原北部、かたやパキスタン国境との砂漠地帯なので、実は文化も風習もけっこう違います。

■カースト

現実のインド中部、ジャンワールはAdivasiとYadavという異なるカーストが近接して住んでいるが、両者が交わることはないースケートボード以外では。とNPRの記事は伝えています。
私が授業で習ったカーストって「バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ」ぐらいで(その後、アウトカーストと呼ばれるダリットの存在は知りました)たとえばYadavはクシャトリア相当だと主張していることだとか、もう一方のAdivasiに至ってはカースト制度の前提であるヒンドゥー教徒ではそもそもない、って解説記事を介した粗雑な知識を、さも前から知ってたみたいに書けるいんたーねっと、怖い。
ええと、映画で主人公の女の子たちが所属するカーストはピラミッド下層、彼女が/彼女に好意を寄せる男子は上層。という描かれ方になっているのは、元ネタにさかのぼるまでもなく、現実とかけ離れているわけではない。ってことですね?(映画では男子のカーストをバラモンとしています=フィクション設定盛りがちあるある)

■企画発案didi

ロンドンから来たヒンドゥー喋れる女性が思い立って、よーし、この子たちのためにスケートボード専用パークをつくろう。って急展開が映画ではくりひろげられていましたが、現実はもうちょっと地に足がついた物語でした。
ウルリケ・ラインハルトというドイツ女性、子どもたちへの教育をメインに活動していた彼女がインドに眼を向けるようになったのが2012年。
スケートボードを通じ教育・ジェンダーの重要性理解を促進するNPO「スケーティスタン」の活動をヒントに、ジャンワールにスケートボード専用パークを建設するのは2015年。

このあたりの経緯はいろんな媒体が伝えています。
着工までに裁判沙汰があったこと、クラウドファンディングで建設費はまかなえたこと、アイ・ウェィウェイ(現ドイツ在住)をはじめとするアーチストも協力したこと。

実際にパークが出来て最初にスケートボードを提供したのはドイツのまた別のNPOですが、ラインハルト氏もインドの子どもたちも、どう滑ればいいのかノーヒントだったから「基本YouTubeだのみ」だったこと。
スケートボーダーたちがボランティアでパーク作りに参加し、インドの子たちに手取り足取り、滑り方を教える。という映画のシーン、事実無根ではないまでも、まあまあ盛ってるっぽいこと……まあそのぐらいの「ふくらませ方」は許容範囲ですね。

■コミュニティの反応

あの謎の公園に子どもが遊びに行くと、白人に誘拐されて子どもと二度と会えなくなる、って噂がジャンワールでひろがりました。その噂がおさまるころには、学校をサボってスケートボードに行く子が増えて問題になったので(映画でまるっと使われているとおり)、NO SCHOOL ... NO SKATEBOARDING
ってポリシーをラインハルト氏が導入。学校の出席率が上がってケチのつけどころが失われるようになった。
ちなみにその「学校に行かないならスケボー禁止」はジャンワール・キャッスルにおけるふたつしかないルールのひとつ。もうひとつは「Girls First」。ボードに空きがないときは女子優先、というもの。
男性差別だ! などという世迷言が誰の口からも出ないのは、インド社会全体があからさまに男性優位に設計されていることが、映画を通じてさえ分かるから、ですね。

■主人公

映画の主人公が俺には岡田結実にしか見えぬ。という感想が私の第一印象でした(その後、前田敦子説を推す勢力の強さを感じている)。

予告編見ただけですけど、あれ、私ですよね?
とプロデューサーに公開質問状をfacebook経由で送ったのはアシャ・ゴンドというスケーターです。Janwaar出身の、Adivasiの。

ここまで見た通り、映画は基本的にジャンワールで起きたことを、場所・ストーリーの細部を変えることで、フィクションという立て付けにしています。
ですが、映画製作者が話を聞きに現地まで何度もおもむいていて、アシャにはまったくそういう話を持ちかけなかったのに、ウルリケ・ラインハルトとはリサーチコンサルタントとしての契約を結んでいる。(早々に契約解除したラインハルトの弁「映画が安いお涙頂戴モノってわかったから」)。
製作サイド「300人におよぶスケートボード女子に対して取材したので、誰かひとりの、固有の物語というものでは断じてない」「インド出身で国外に活動拠点を置いている私自身をも投影した」-これは著名なボリウッド俳優の娘という、監督のことば。
またいわく、「アシャたちにはクライマックスで出演する機会を提案したけど断られたのよ」。
アシャ「私たちの物語なのだとすれば、その事実が可視化されるべきだと答えました。映画の終わりにちょろっと出してもらって解決とかそういうことではないと思うんです」。
これらを総合するに、ネトフリ予告編を見たアシャが「私の物語じゃん!」って思うのは当然だな、という側に私は立ちます。

なお、ラインハルト氏の立場は「自分たちの活動やインドの環境を広く知らしめるために、このネットフリックス作品が果たす役割はある」。(公式サイトには『映画はジャンワールにおけるアシャ、ウルリケの物語だが、何度も現地まで来ていたプロデューサー兼監督は物語の由来を尊重しているように思えず、残念なことです』と静かな声明が載っています。この辺)
アシャ・ゴンドも質問状を送った以外には、騒ぎ立ててはいません。予告編だけじゃなくて本編も見たい、とは言ってますけど。
「ネトフリのアカウント持ってないんで」。

■クレジット

どうしても連想するのは、これもネットフリックスでストリーミングされているナイジェリア映画『オロトゥーレ』(2019)です。
下記noteに昨秋、詳しくまとめましたが、原作が存在するにもかかわらず手柄を映画製作サイドがひとりじめしようとした経緯があるんですよ。たぶんそこにこだわってるの、日本では私だけなんですけど。
原作者に対価を支払い、作品にクレジット表記を入れることで手打ちへ……と聞いていたけど、ネトフリで公開されたのが2020年10月。そして2021年6月現在、原作者の固定ツイートに「ネトフリの『オロトゥーレ』は私の物語です」って抗議は載ったまま。

(追記)
アカデミー短編映画賞2021を受賞したネトフリ『隔たる世界の2人』(2020)の、「タイムループする人種差別の物語」って話の骨格が盗作だ、と騒がれたばかりでもあるし、要するに言いがかりでしょ。ってなるんだろうなあ。ってこのnoteを書いて思いました。
個人的には『隔たる~』は「アイデアに著作権はありません」案件だけど、『オロトゥーレ』はbased onだし『スケーターガール』は最低でもinspired byだろ、と考えます。

作品が胸を張って「多くのひとに見てもらいたい」と言うには、ステークホルダー(!)からあがる声を聞こえないフリをしたらダメだろ、と思うんですよね。昔から決まってるルールに納得できないと思ったら、性差や身分差を理由に黙るのではなく、チャレンジしよう、勇気を出して。
そういう映画だったじゃないですか、『スケーターガール』。

photo: IMDb

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