スカーレット置くだけ(スカヨハ出演作をマッピングする)
スカーレット・ヨハンソンの出演作を「エロい/エロくない」「ダルい/むしろアクティブ」のX軸Y軸でマッピングしながら思い出していたのは、マーベル・シネマティック・ユニバースに初めて彼女が登場した2010年、世間がこのなんとかいう女優が演じるブラック・ウィドウってキャラ、要するにエロ枠だろ。ってラベルを貼った空気のことでした。
違う。
キミたちの目にはエロとダル、というかほぼエロ。しか映らないんだろうけどな、それだけじゃないんだ。もうひとつ、バカ。って側面もあって、MCUにおける彼女は、エロ・ダル・バカ3要素のうち、「バカ」才覚が発揮されるやつなんだよ、最後まで言わせんな恥かしい。
って当時も今もあまり一般的ではないことを思い、案の定まったく賛同を得られそうな気配がなかったこと、私の中の鮮明な記憶として残っています。
コメディエンヌとしてのスカーレット・ヨハンソンの才気があまり注目されることがないのは、彼女のエロ代表作『マッチポイント』(2005)、ダル代表作『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)のような、良心的映画愛好家を唸らせる作品が無いせいですが-個人的には『スパイダーパニック!』(2002)は嚆矢としてもっと評価されて然るべきだと声を大にして言いたい-あれから10年にわたってMCU作品に出演した彼女の足跡が証明するように、もはやスカーレットは彼女をアイデンティファイするために作品へエロ要素を持ち込む必要はなくなりました。
ゴージャスとかグラマラスとか、外見がもたらす形容ではなく、パーソナリティ由来の、全身からにじみ出る「そこはかとないユーモア」。
マリリン・モンローが切望していた場所に遂に彼女が到達したことを、誰が寿がずにいられましょうや。
ちなみに、エロ・ダル・バカの3要素をXYZ軸に置いたときに原点に位置すると私が考える作品は『SING/シング』(2016)ですが、彼女の歌唱力についても過小評価されている気がするんですよ。
私が彼女のことを好きすぎるからそんなふうに感じるのでは、という疑惑はもちろんあるんですが。
とはいえ、そもそもキミたちは彼女の歌声をちゃんと聞いたことがあるのか。たとえばこのデビューアルバム。
びっくりするぐらい加工されてるけどね、スカーレットの声がハスキーなのは誰もが知るところながら、彼女のデビューアルバムの原曲はすべてトム・ウェイツという、歌が超絶うまい本間朋晃みたいなひとで(はいプロレスラーの本間のことです)、つまり原曲は猛烈なダミ声なんですよ。
だからこそ、スカーレットは自身のハスキーボイスを売りにするのではなく、原曲の持つメロディーラインを前に持ってくることを選択し、結果としてそんなに話題にならなかった、っていう。
……ちょっと何を言いたかったかを見失いかけましたが、『ジョジョ・ラビット』(2019)の冒頭で"I Don't Wanna Grow Up"ってトム・ウェイツのオリジナルバージョンが流れたんですよね。
そして、あースカーレットのバージョンも良いんだよー。って誰彼かまわず教えたくなった、っていうぐらいには、俺はスカーレットのことなら何でも良いって言いがちマンではある。
んですが、大人になんかなりたくない、って繰り返す、自分が既に子どもではなくなっていることへの哀惜の曲は、実はスカーレット・ヨハンソンというひとの演じてきたすべてのキャラクターが持っていた嘆きでもあって、もちろんブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフも例外ではありません。
エロとダルのおかげでカルチャー寄りのキャリアを築いてきたスカーレット・ヨハンソンがMCUで「紅一点」的なキャラを演じ始めたとき、ファンとして正直歓迎しませんでした。
なんだかんだいってボーイズクラブ色の濃いアメコミ村で、結局彼女の美貌を消費されるだけでは、という懸念がよぎったからで……それこそね、ホークアイともキャプテン・アメリカとも肉体関係あったんじゃないのか、みたいなゲスい会話を提供する役まわりだったわけですよ。
てなことを思い出していたら、まさにそういう内容のテキストが目に入ってきて、うれしくなりました。
最初で最後となる単独主演作『ブラック・ウィドウ』(2021)が、男性優位社会のくびきから抜ける、新しい時代にふさわしい内容になったことを、あらためてお祝いしたく存じます。
Long live, Natasha.
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