1990年12月23日のトウカイテイオーの思い出
アニメもゲームも詳しくない競馬ファン、なぜかウマ娘には好意的で関連テキストを喜んで読んでいます。と毎度自己紹介しているのですが、恒例となった東スポnoteのトウカイテイオー回を読んだ瞬間、個人的にはあの歩様への言及がないのは物足りない。と思い、テイオーステップに言及するいろんなひとの文章やら動画を目にして、うん、合ってる。合ってるけど……俺が覚えている光景も追加してネットに放流しておくか。ってなったので30年前の淀の話をします(早口)。
テイオーは、流星が目を惹く端正な顔だちで、その立ち姿には気品があった。そして、それ以上にこの馬の存在感を示していたのは、独特の歩き方だった。繋(つなぎ)がやわらかいからか、人間のモンローウォークのように大きく伸び上がりながら脚を踏み出すので、パドックを歩いていても、一頭だけ弾むように腰を上下させていた。あとにも先にも、これだけ後躯を弾ませながら歩く馬を見たことはない
この「独特の歩き方」の由来がトウカイテイオーの「繋」のやわらかさにある、と調教師も含めいろんなひとが伝えているわけですけれど、ツナギって、たとえばJRAの「馬体の名称」って下図でいう41番なんですけど、イメージできます?
動画があれば、あるいは俺がアニメーションで説明できれば。と思うのですが(引退後の函館競馬場の動画は確認していますが、あれちょっと遠いんだよね)41番が「やわらかい」というより「ぐにゃぐにゃ」だったんです。
当時の雰囲気が分かるブログを発見したのでさらに引用。
やじ馬A「見ろよあの足元、関節がくねくねして変だぜ、尻もポンポン跳ねてるぜ、どうみても走らなそうだよな」
やじ馬B「そう言われて見たら確かに変だな? 何なんだ?」
トウカイテイオーは繋が異常に軟らかいのだ。歩いていて球節が地面につくのではないかと思うぐらい、繋が軟らかかった。その為、他の馬に比べると変な動きに見えたのだ。
球節というのは上図42番。
カラダのやわらかい「軟体人間」的なひとがテレビに出てきてぐんにょりカラダを曲げて見せるとき、ギャー、人間そこがそんなに曲がるものじゃないでしょー。みたいな悲鳴が口を衝くじゃないですか。
あれだったんです、トウカイテイオーのパドック(だからステップと華麗を強調するような言い方には「んー」って)。
繋ってそんな角度まで曲がるものじゃないだろ、ほかの馬をよく見てみろ! ってほとんど腹が立つぐらい異様な光景で、しかもこれ、年を取ると少しはマシになったせいで、若駒のころのトウカイテイオーを知っている人たちのみが鮮烈に覚えている類の話で、そうだ、俺はいま明示的にじまんしている。
クソ老害が、って怒られる前に補足すると、だからこそ(たとえば)ソダシが現役のいま、パドックからじっくり見ておくことが大事なんです。大事というより、「大事なものにいずれなる」という表現のほうが適切か。
東スポnoteがこんなに喜ばれるのは戦績だけではこぼれてしまう当時の空気の一端が分かるからですけれど、パドックとか競走前の世間の評価とか、たしかに動画がこんなに発達した世の中になっても、いましか味わえない・まさに一期一会のものがあるなあ。そういって老人は満足げに息絶えたのです(殺さないで)。
なお、本稿タイトルには続きがあって
「1990年12月23日のトウカイテイオーの思い出、1時間後の有馬記念のせいで記憶の隅に追いやられる」
が正式。
東スポnoteのおかげで久しぶりに思い出して懐かしかったのですが、1990年12月23日のトウカイテイオーが完勝したシクラメンステークス。のレース名にまつわる、不要かつオッサン臭いメモリーがよみがえったので、あわせて置いておきますね。
※有馬記念の入線後、田原がガッツポーズしなかった話が感動を呼んでいるようなので、ガッツポーズといえば後世に伝えていきたい感動できない話も投下したい。
1989年、つまりトウカイテイオーの前年のシクラメンSを勝ったのは布施厩舎のハクタイセイでした。その2か月後のきさらぎ賞で生涯初の重賞勝利を飾ることになる所属騎手は、シクラメンSの折は可もなく不可もなかった騎乗ぶりでしたが、重賞を勝った喜びが大きかったとみえ、馬場が悪いにもかかわらず派手なガッツポーズを披露。レースを見ていた俺(たち)ですら腹を立てるぐらい馬がバランスを崩しました。調教師や馬主は間違いなく真顔で怒ったはずで、それも理由のひとつだと今でも信じていますが、皐月賞では乗り替わりの刑に処されました。のちのゴールドシップ調教師です。
PHOTO: 種牡馬時代のトウカイテイオー by Hahifuheho, CC0, via Wikimedia Commons