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ものすごく持って回って杉村三郎シリーズ最新刊を愛でる

宮部みゆき愛読者歴30年超ともなると、好きなのは『クロスファイア』(1998、単行本刊行年。以下同)、『ぼんくら』(2000)、『誰か Somebody』(2003)。ってすぐに3タイトル出てくるけど、好き嫌いを離れて傑作だと思っている作品となると『模倣犯』(2001)『孤宿の人』(2005)両作は譲れないとして、もうひとつは何か。
……みたいなことはね、長々と語れます。

そういう奴あるある、自分以外のひとがケチをつけると目の色変わるくせに自分はケチを付けても許されると勘違いしがち。
という厄介ファンのご多分に漏れず、宮部せんせとはいえアレハイカガナモノカ3題。というセレクションも、実は持ち歩いていたりしましてね。
いわく、『ソロモンの偽証』(2012)で描かれる、とある重要な登場人物の父親の描写がどうにもテンプレートの域を出ないこと。
『泣き童子 三島屋変調百物語参之続』(2013)の第4話、ほんの端役で登場する母娘、彼らも棒人間ほどの厚みしか与えられず、しかもそのままアフターケアもなされないまま退場させられてしまうこと。
この2作品の当該シーンを読んだときのショックは大きなものでした。
どんなチョイ役でも血肉が通った描写がなされる、それが宮部みゆき作品の美点と信じていたので!

さらに輪をかけて衝撃だったのが『ペテロの葬列』(2013)。
とにかく最初に読んだ際、このフンマンやるかたない思いはどこに苦情を申し立てれば。ってジタバタしました。
物語終盤の主要キャラクターの扱いが、プロットを進めるために動かされる駒のようで、え、このひとのためにスペース割こうと思えば絶対割けるよね先生。
それをしないのは、主人公である杉村三郎かわいさのあまり、彼が進むべき道を整備する以上のことをしたくないから、ですか。
それはフィクションの紡ぎ手、神としての怠慢ではないのですか。先生。先生ってば!
ぐらいのことを思ったんですよね。
なにしろ冒頭で申し上げた通り、私にとって杉村三郎シリーズ第1作は、お気に入り中のお気に入りなので。

告白すれば、『誰か Somebody』の時点では、物語がここまで大きなものに成長するとはまったく予想していなかった。杉村三郎が自身の手が届く範囲の中で責任を持って動き、愛する者を守ろうとする。そうした小さな物語として読んでいたからだ。
-文春文庫『ペテロの葬列』解説(杉江松恋)

まさにそれ。
『ペテロの葬列』(2013、文庫化2016年)で裏切られた感覚を抱きながら次の『希望荘』(2016、文庫化2018年)、さらに次の『昨日がなければ明日もない』(2018、文庫化2021年)、とそれぞれ文庫化されてから読む私なので、5年かけてようやく分かったよ。ってなりました記念にこのnoteを書いていますが、そうですか、どことなく不承不承な感じ、出てますか……。
1作目(と2作目)を愛するあまりその残像に引きずられすぎている俺が悪かった。これはこういう物語なんだ、ってあきらめがね、遂についたところです。

いやこれ本当に「ものすごく持って回って杉村三郎シリーズ最新刊を愛で」られてる?

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